フィンセント・ファン・ゴッホの作品

フィンセント・ファン・ゴッホの作品|アーティストの人生
作品1881–1890ポスト印象派パブリックドメイン
VINCENT VAN GOGH · WORKS

フィンセント・ファン・ゴッホの作品The Works of Vincent van Gogh (1853–1890)

フィンセント・ファン・ゴッホが画家として活動したのは、1880年代初頭から1890年7月までのわずか10年ほどにすぎない。にもかかわらず、その短い期間に彼が残した油彩・素描・水彩の総数は膨大で、しかもオランダの暗い農民画から南仏の眩い黄色へという、一人の画家の生涯とは思えないほど劇的な変貌を遂げている。本記事では、制作地ごとの作風の推移、代表作一点一点の読み解き、厚塗り(インパスト)と補色対比という技法の核心、そして現代の保存科学が明らかにした「我々が見ている色はゴッホが塗った色ではない」という事実までを、公開画像とともに通覧する。

灰色のフェルト帽をかぶった自画像(1887年、パリ)
灰色のフェルト帽をかぶった自画像(1887年、パリ)。点描的な短い筆触が放射状に広がり、パリ時代に獲得した色彩理論の成果が凝縮されている。
Vincent van Gogh, Self-Portrait with Grey Felt Hat, 1887 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Wikimedia Commons, Public Domain
DATA作品データ
制作期間1881年頃–1890年7月(画業は約10年)
主要ジャンル農民画・風景画・静物画・肖像画・自画像
形式カンヴァスに油彩/紙にペン・鉛筆・水彩
主な画材クロムイエロー、コバルトブルー、ゼラニウムレーキ(エオシン)ほか19世紀の合成顔料
サイン・署名多くの作品で “Vincent” とファーストネームのみ
代表的なシリーズひまわり/糸杉/麦畑/自画像/ジャポネズリー(浮世絵模写)
主な所蔵館ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)、クレラー=ミュラー美術館、オルセー美術館、MoMA、メトロポリタン美術館、シカゴ美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリー
著作権状態パブリックドメイン(作者没後100年以上経過)
3点でわかるゴッホの作品
  1. 10年間で作風が三度変わった。 オランダ時代の「土の色」、パリ時代の「明るい色彩と点描」、南仏時代の「黄色と補色対比」。ゴッホの作品は一枚の連続した曲線ではなく、明確な三つの断層をもって展開する。
  2. 筆致そのものが主題である。 厚塗り(インパスト)でカンヴァス上に盛り上げられた絵具の畝は、対象の再現ではなく、画家が対象に向けた身体的なエネルギーの記録として機能している。
  3. いま見えている色は、彼が塗った色ではない。 シンクロトロン放射光X線分析などの最新研究により、クロムイエローの黒変とエオシン(ゼラニウムレーキ)の退色が確認され、本来の鮮烈な色彩がすでに失われていることが科学的に証明されている。
WORKS

フィンセント・ファン・ゴッホの作品

1881年から1890年までのおよそ10年。ゴッホが画家として生きたのはそれだけの時間である。この記事は、その10年を制作地ごとに追いながら、代表作を一点ずつ読み解き、さらに顔料と筆致という物質のレベルまで降りていく。最後に触れるのは、彼の絵がいま現在も化学的に変化し続けているという事実である。

1881–1890年OVERVIEW01

ゴッホ作品の全体像 ── 10年という制作期間

フィンセント・ファン・ゴッホが本格的に絵を描き始めたのは1880年から1881年にかけて、27歳前後のことである。そして1890年7月、37歳で世を去る。画家としてのキャリアは、どれほど広く見積もってもおよそ10年しかない。多くの画家が修業期間として費やす程度の年月のうちに、彼はオランダの農村から南仏プロヴァンスまでを移動し、そのつど画風を根底から作り直した。

制作点数については、油彩がおよそ860点、素描・水彩などの紙作品が1300点以上、合計しておよそ2100点という概数が広く流通している。ただしこれは帰属研究の進展によって増減しうる数字であり、確定値ではない。単純に割れば年間200点を超える計算になるが、実際の制作は均等ではない。アルル滞在の15か月間だけで200点近い油彩が生まれており、オーヴェール=シュル=オワーズで過ごした最後の約70日間には70点を超える油彩が制作されたと考えられている。晩年に向かうほど制作の密度が上がっていくのが、この画家の特異な点である。

作品の分類は、大きく五つに整理できる。第一に農民や労働者を主題とした人物画。第二に風景画。第三に静物画、とりわけ花の静物。第四に肖像画。そして第五に、生涯で30点以上が確認されている自画像である。これらのジャンルは時期によって比重を変えるが、消えることはない。オランダ時代に農民の頭部を執拗しつように描いた経験は、アルル時代の郵便配達人ルーランやルーラン夫人の肖像へと接続され、初期の素描で鍛えられた輪郭把握は、晩年のうねる筆致の下に骨格として残り続けている。

もう一つ、彼の作品を理解する上で欠かせないのが、弟テオドルス(テオ)・ファン・ゴッホ宛を中心とする膨大な書簡群である。現存する書簡は900通を超え、そこには制作中の作品についての具体的な記述、色彩の選択理由、構図のスケッチまでもが記されている。ゴッホほど「作品の制作意図が本人の言葉で残っている」画家は近代西洋美術史においてきわめてまれであり、この書簡群の存在が、作品研究を推測ではなく検証可能な領域へ引き上げている。

『悲しみ(Sorrow)』1882年、ハーグ時代
画家として歩き始めて間もない時期の素描。まだ色彩はなく、輪郭線と陰影だけで人間の重みを掴もうとしている。Vincent van Gogh, Sorrow, 1882 / Wikimedia Commons, Public Domain
1883–1885年NUENEN(オランダ)02

オランダ時代 ── 土の色で描く

ゴッホの出発点は、暗い。1883年末から1885年にかけて、彼は北ブラバント州ニューネンの牧師館に身を寄せ、周辺の農民、織工、農作業の風景をひたすら描き続けた。この時期の作品を支配するのは、褐色、暗緑色、灰黒色といった土の系統の色である。当時のオランダで規範とされていたハーグ派の暗いトーン、そしてゴッホが深く敬愛したジャン=フランソワ・ミレーの農民画が、その基調を決定づけていた。

この時期の到達点が、1885年の『ジャガイモを食べる人々』である。ゴッホはこの作品を自らの最初の本格的な人物画と位置づけ、農村生活の現実を美化せずに描き出すことを目指した。ランプ一つの薄暗い室内で、五人の農民が皿のジャガイモに手を伸ばしている。彼らの顔つきは粗野で、指の関節は労働で節くれ立ち、肌の色はゴッホ自身が言うところの「皮をむいていない、土埃に塗れたジャガイモのような色」で塗られている。

ここで重要なのは、この醜さが失敗ではなく設計であるという点である。ゴッホは、彼らが皿に差し出しているその手で自ら大地を耕し、誠実にかてを得たということを視覚的に伝達しようとした。解剖学的な正確さや技術的な洗練よりも、社会的メッセージと生の感情が優先されている。だからこそ当時の美術界からは「色が暗すぎる」「人物のデッサンが間違っている」と激しい批判を浴びた。友人の画家アントン・ファン・ラッパルトからの厳しい指摘は、二人の関係を決裂させるほどのものだった。

しかし現在、この作品はゴッホのヒューマニズムと芸術的誠実さを象徴する最も重要な作品の一つとして評価されている。技術的完成度ではなく、対象への態度によって絵の価値を決めるという判断基準は、この一枚ですでに確立されていた。

同じニューネン時代の『開いた聖書のある静物』(1885年)は、別の意味で示唆的である。画面には父の遺した大判の聖書が開かれ、その手前にエミール・ゾラの小説『生きる歓び』の黄色い表紙本が小さく置かれている。牧師の家に生まれた自身の宗教的出自と、当時の近代文学が体現する新しい世界観。その二つを一枚の静物に同居させたこの構図は、ゴッホの主題が最初から「見えるもの」ではなく「対立する価値」であったことを示している。

『ジャガイモを食べる人々』1885年、カンヴァスに油彩、82×114cm、ファン・ゴッホ美術館蔵
ゴッホ自身が最初の本格的人物画と位置づけた作品。Vincent van Gogh, The Potato Eaters, 1885 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『開いた聖書のある静物』1885年
父の聖書と、ゾラの黄色い小説本。信仰と近代文学という二つの価値が一つの卓上で対峙している。Vincent van Gogh, Still Life with Bible, 1885 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『農婦の頭部』1885年
ゴッホはニューネン時代、農民の頭部だけを繰り返し描いた習作を大量に残した。『ジャガイモを食べる人々』はこの蓄積の上に立っている。Vincent van Gogh, Head of a Peasant Woman, 1885 / Wikimedia Commons, Public Domain
1886–1888年2月PARIS(フランス)03

パリ時代 ── 色彩の大転換

1886年、ゴッホは弟テオを頼ってパリに出る。ここで起きたことは、緩やかな成長ではなく断絶に近い。わずか2年足らずのうちに、彼のパレットは土の色から純色へと完全に入れ替わった。

引き金は三つある。第一に印象派である。モネやルノワールが実践していた、影を黒ではなく色で描く方法。第二に新印象派、すなわちスーラやシニャックの点描主義である。ゴッホは点描の理論をそのまま受け入れたわけではないが、色を混ぜずに並置することで網膜もうまく上で混色させるという発想は決定的な影響を与えた。彼の筆触が短く、細かく、方向性を持つようになるのはこの時期からである。第三が浮世絵、すなわちジャポニスムだった。

ゴッホは弟とともに数百点の日本版画を収集し、そのうち数点を油彩で模写している。渓斎英泉けいさいえいせん花魁おいらん図を拡大した『花魁』、歌川広重の『名所江戸百景』から取った『雨の中の橋』などがそれである。この模写作業を通して彼が獲得したのは、単なるエキゾチックな図像ではない。明確な輪郭線、平面的な色面、大胆な余白と切り取り、そして陰影に頼らない空間構成である。アルル時代以降の作品で背景が平坦に塗られ、対象が輪郭線で縁取られるようになるのは、この浮世絵経験の直接的な帰結である。

パリ時代を象徴するのが、1887年の『麦わら帽子をかぶった自画像』(メトロポリタン美術館蔵)である。青と黄という補色に近い色が短い筆触で並置され、オランダ時代の重い褐色は跡形もない。そしてこの作品には、ゴッホの経済的苦境を物語る物理的な証拠が残されている。カンヴァスの裏面には、1885年ニューネン時代に描かれた『ジャガイモの皮をむく農婦』が存在するのだ。カンヴァスを買う資金にすら事欠いた彼は、古い作品の裏を再利用した。この一枚の表裏は、わずか2年の間に暗褐色の農民画から眩いまばゆい補色対比へと飛躍した軌跡を、文字どおり背中合わせで証明する資料となっている。

もう一つ、パリ時代を代表する肖像が『タンギー爺さんの肖像』である。モデルのジュリアン・タンギーは画材商であり、印象派やポスト印象派の画家たちに絵具を融通し、作品を預かった人物である。ゴッホはこの人物を、背景いっぱいに浮世絵を貼りめぐらせた画面のなかに正面向きに座らせた。日本版画に囲まれて微笑む老画材商という構図は、当時のパリにおけるジャポニスムの熱狂と、それを吸収するゴッホ自身の位置を同時に記録している。

『花魁(渓斎英泉による)』1887年
雑誌の表紙図版を拡大模写し、周囲に竹・蓮・鶴・蛙を配した独自の枠を加えている。Vincent van Gogh, Courtesan (after Eisen), 1887 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『雨の中の橋(歌川広重による)』1887年
広重『名所江戸百景』の「大はしあたけの夕立」を油彩で写した一枚。雨の直線と橋の対角線という日本版画の構成原理を、そのまま油彩の言語に翻訳しようとしている。Vincent van Gogh, Bridge in the Rain (after Hiroshige), 1887 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『麦わら帽子をかぶった自画像』1887年、カンヴァスに油彩、40.6×31.8cm、メトロポリタン美術館蔵
青と黄の短い筆触が放射状に置かれている。Vincent van Gogh, Self-Portrait with a Straw Hat, 1887 / The Metropolitan Museum of Art, New York (Open Access) / Wikimedia Commons, Public Domain
同じカンヴァスの裏面『ジャガイモの皮をむく農婦』1885年
表と裏で、ゴッホの2年間の変貌がそのまま可視化されている。Vincent van Gogh, The Potato Peeler (reverse of Self-Portrait with a Straw Hat), 1885 / The Metropolitan Museum of Art, New York (Open Access) / Wikimedia Commons, Public Domain
『タンギー爺さんの肖像』1887年頃、ロダン美術館蔵
背景を埋め尽くす浮世絵が、パリのジャポニスムの熱をそのまま記録している。Vincent van Gogh, Portrait of Père Tanguy, 1887–88 / Musée Rodin, Paris / Wikimedia Commons, Public Domain
1888年2月–1889年5月ARLES(南仏プロヴァンス)04

アルル時代 ── 黄色の発見

1888年2月、ゴッホはパリを離れて南仏アルルに移る。目的は明確だった。強い陽光の下でこそ、パリで学んだ色彩理論を完全な形で実現できると考えたのである。そしてもう一つ、彼はアルルに「南仏アトリエ(Studio in the South)」を構想していた。画家たちが共同生活を送り、互いに刺激し合いながら制作する共同体である。この二つの動機が、アルル時代の作品を貫いている。

到着直後の作品には、まだ北方的な明晰さが残っている。跳ね橋を描いた『ラングロワの橋』(1888年)は、水面に映る橋脚と洗濯女たちを鮮やかな青と黄で構成した一枚で、オランダの運河風景の記憶と南仏の光が重なっている。5月末から6月にかけては地中海沿岸のサント=マリー=ド・ラ・メールに滞在し、砂浜に引き上げられた漁船を描いた。船体の赤・緑・青・黄が原色のまま並置されるこの作品では、輪郭線で色面を区切る浮世絵的な処理がすでに完成している。

そして夏、ゴッホは黄色を発見する。正確に言えば、黄色を「意味を持つ色」として使い始める。彼にとって黄色は、暖かさ、友情、そして太陽の光そのものの記号だった。9月に描かれた『夜のカフェテラス』では、ガス灯に照らされたカフェのテラスが濃密な黄色で塗られ、その上に広がる夜空は深い青で対置される。黒を一切使わずに夜を描くという試みが、ここで達成されている。

一方、同じ時期の『夜のカフェ』(1888年9月、イェール大学美術館蔵)は正反対の性格を持つ。ゴッホはこの室内を、赤と緑という補色の激突によって構成した。テオへの手紙で彼は、この絵で「人間が身を滅ぼし、狂気に陥り、罪を犯しうる場所」を表現しようとしたと述べている。同じ黄色いランプの光でも、テラスでは友愛の象徴となり、室内では逃げ場のない緊張の光源となる。色彩に固定的な意味があるのではなく、対比の構造が意味を生むという理解が、この二枚の対をなす夜景に現れている。

黄色はやがて、建物そのものにまで及ぶ。ゴッホがアルルで借りたラマルティーヌ広場2番地の家は、外壁が黄色く塗られていた。『黄色い家(通り)』(1888年)に描かれたこの建物こそ、南仏アトリエの拠点として彼が用意した場所であり、後にゴーギャンとの共同生活の舞台となる。

『ラングロワの橋』1888年、クレラー=ミュラー美術館蔵
アルル到着直後、オランダの運河風景の記憶が南仏の光のもとで塗り直された一枚。Vincent van Gogh, The Langlois Bridge at Arles, 1888 / Kröller-Müller Museum, Otterlo / Wikimedia Commons, Public Domain
『サント=マリーの海辺の漁船』1888年6月
輪郭線で区切られた原色の色面という、浮世絵から学んだ構成が完成している。Vincent van Gogh, Fishing Boats on the Beach at Les Saintes-Maries-de-la-Mer, 1888 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『夜のカフェテラス(フォロム広場)』1888年9月、クレラー=ミュラー美術館蔵
黒を使わずに夜を描くという課題への、最も明快な解答。Vincent van Gogh, Café Terrace at Night (Place du Forum), 1888 / Kröller-Müller Museum, Otterlo / Wikimedia Commons, Public Domain
『夜のカフェ』1888年9月、イェール大学美術館蔵
赤と緑の補色を正面衝突させ、居心地の悪さそのものを画面化している。Vincent van Gogh, The Night Café, 1888 / Yale University Art Gallery / Wikimedia Commons, Public Domain
『黄色い家(通り)』1888年
ラマルティーヌ広場2番地。ゴッホが「南仏アトリエ」の拠点として借りた、外壁の黄色い建物。Vincent van Gogh, The Yellow House (‘The Street’), 1888 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
1888年8月–1889年1月ARLES / 連作05

連作『ひまわり』を読む

『ひまわり』は、ゴッホの作品のなかで最も広く知られ、同時に最も誤解されやすい連作である。この花瓶に活けられたひまわりの連作は、アルルで着想された「南仏アトリエ」構想と直結している。ゴッホは、共同生活を送ることになる画家ポール・ゴーギャンを迎えるにあたり、彼が使う予定の部屋を飾るためにこの連作を描いた。つまり『ひまわり』は、歓迎と友情の表明として制作された装飾画である。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵するバージョン(1888年8月制作)は、15本のひまわりが描かれたもので、連作のうち4番目にあたる。この作品で行われている実験は、色彩理論の観点から見るときわめて大胆である。明るい黄色の背景に、黄色の花を描く。当時の常識では、対象と背景を同系色で塗れば形が溶けて画面が崩壊するはずだった。ゴッホはあえてこれを行い、黄色の微細な階調差と、輪郭線、そして絵具の厚みだけで形を成立させている。前述のクロムイエローという19世紀の新しい工業用顔料がなければ、この試みは物理的に不可能だった。

描かれている花は、すべてが満開ではない。蕾のもの、盛りのもの、花弁を落として種子を露わにしたもの、茎が折れて頭を垂れたもの。生命のサイクルの各段階が、一つの花瓶のなかに同居している。これは17世紀オランダの静物画における「ヴァニタス」、すなわち生命の儚さはかなさ寓意ぐういの伝統を踏襲するものである。同時にひまわりは、太陽の方を向く性質から、光や信仰への献身の象徴としても機能してきた。牧師の家に育ったゴッホが、この二重の意味を知らなかったとは考えにくい。

なお、この連作の一点は、第二次世界大戦中の1945年、兵庫県芦屋市への空襲によって焼失している。実業家・山本顧彌太が所蔵していた作品で、現存しない。公共施設で常時鑑賞できる『ひまわり』が世界に数点しかないのは、こうした事情による。

近年、この作品は別の意味でも注目を集めた。2022年10月、環境活動家団体「Just Stop Oil」がロンドン・ナショナル・ギャラリーの『ひまわり』にトマトスープを投げつける抗議行動を行ったのである。作品はガラスで保護されていたため、絵画本体は難を逃れた。

『ひまわり』1888年8月、カンヴァスに油彩、92.1×73cm、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
15本のひまわりを描いた4番目のバージョン。Vincent van Gogh, Sunflowers, 1888 / The National Gallery, London / Wikimedia Commons, Public Domain
ファン・ゴッホ美術館所蔵の『ひまわり』
ロンドン版をゴッホ自身が反復した一点で、連作が単一の傑作ではなく反復と変奏の集合であることを示している。Vincent van Gogh, Sunflowers (F458) / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Wikimedia Commons, Public Domain
POINT

『ひまわり』の黄色は、現在も変化し続けている。ファン・ゴッホ美術館所蔵の『ひまわり』を対象としたシンクロトロン放射光X線調査では、絵具とニスの境界面において、クロムイオンが6価から3価へ還元されていることを示す化合物の生成が確認された。鮮やかだった黄色が、目に見えない速度で褐色へ向かっているということである。

1888年10月/1889年ARLES / SAINT-RÉMY06

『寝室』三つのバージョン

アルルの黄色い家で、ゴッホは自室を描いた。傾いた床、歪んだ遠近法、赤い掛け布団、二脚の椅子、そして壁に掛けられた数点の絵。この構図の絵画は3点存在し、それぞれアムステルダムのファン・ゴッホ美術館、シカゴ美術館、パリのオルセー美術館に所蔵されている。シカゴ美術館のバージョンは1889年に制作されたもので、CC0ライセンスの下で高解像度データが公開されている。

ゴッホはこの絵について、テオに宛てて「完全な休息」を表現しようとしたと語っている。彼の説明によれば、家具の単純な形と、壁・床・寝具の色面が、見る者の頭を休ませるはずだった。ところが実際の画面が与える印象は、しばしばその逆である。床は手前に向かって急激に落ち込み、壁と床の交線は幾何学的に破綻している。左右の壁の消失点は一致せず、部屋全体がわずかに捻れている。

この歪みを、単純に精神状態の反映として読むべきかどうかは慎重を要する。実際の部屋が台形に近い不整形だったという指摘もあり、また浮世絵から学んだ空間処理が西洋の一点透視法を意図的に無効化している可能性もある。いずれにせよ確かなのは、「休息」という宣言と、画面が実際に生み出す緊張感との間に、埋めがたい落差があるということだ。

三つのバージョンの差異のうち、最も雄弁なのが壁に掛けられた絵の内容である。最初のバージョンでは、友人であるウジェーヌ・ボック(思索的な詩人肌のベルギー人画家)と、ポール=ウジェーヌ・ミリエ少尉(外交的で男性的な軍人)という対照的な二人の肖像画が描かれていた。ところがシカゴ版では、この二点が自画像と身元不明の女性の肖像に描き変えられている。理想化された芸術家ネットワークへの渇望と、その後の対人関係の変遷が、室内の細部の装飾に直接投影されているのである。

『寝室』1889年、カンヴァスに油彩、73.6×92.3cm、シカゴ美術館蔵
CC0ライセンスで高解像度データが公開されている。壁の絵は自画像と女性の肖像に描き変えられている。Vincent van Gogh, The Bedroom, 1889 / The Art Institute of Chicago (CC0) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『ウジェーヌ・ボック(詩人)』1888年、オルセー美術館蔵
『寝室』最初のバージョンの壁に掛けられていた肖像の一方。深い群青の背景に星を思わせる点が散る。Vincent van Gogh, Eugène Boch (The Poet), 1888 / Musée d’Orsay, Paris / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
1888年10月–1889年初頭ARLES / 黄色い家07

ゴーギャンと二脚の椅子

1888年10月23日、ポール・ゴーギャンがアルルに到着する。ゴッホが構想した「南仏アトリエ」は、この瞬間に一度だけ現実になった。二人は黄色い家で共同生活を始め、同じモチーフを並んで描き、議論を交わした。だがこの共同生活は約2か月しか続かず、12月23日の事件によって破局を迎える。

この期間に生まれた作品のうち、最も特異なのが二脚の椅子を描いた一対の絵である。『ファン・ゴッホの椅子』は、素朴な木の椅子に藁の座面、その上にパイプと煙草入れが無造作に置かれている。昼の光のなか、床のタイルは明るく、全体が黄色と青の澄んだ対比で構成されている。対する『ゴーギャンの椅子』は、曲線的な肘掛け椅子で、座面には燭台と二冊の本が置かれ、背景は夜の深い緑と赤で塗られている。

人物は描かれていない。にもかかわらず、この二枚は明確に肖像画である。素朴な木と藁、パイプと煙草。曲線的な肘掛けと、蝋燭の火と、書物。それぞれの持ち主の気質、教養、そして二人の関係における立ち位置の差が、家具と小物だけで語られている。ゴッホがオランダ時代に農民の靴を描いたときからずっと持っていた、「物は使う者の生を記録する」という確信が、ここで最も洗練された形をとった。

同じ時期、ゴッホはアルルの郵便配達人ジョゼフ・ルーランとその家族を繰り返し描いている。ルーランはゴッホにとって数少ない理解者であり、事件の後も彼を支えた人物である。ルーラン夫人を描いた『ラ・ベルスーズ(子守唄/揺りかごを揺らす女)』は、1889年初頭に5点のバージョンが制作された。ゴッホはこの絵を、漁師が船室に掛けて故郷を思い出すための絵として構想し、両脇に『ひまわり』を配した三幅対として展示することを考えていた。友情の黄色と、母性の緑と赤。共同体を失った直後に彼が描いたのが、慰めのための装飾画だったという事実は重い。

『ファン・ゴッホの椅子』1888年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
藁の座面にパイプと煙草入れ。昼の光のなかの素朴な木の椅子。Vincent van Gogh, Van Gogh’s Chair, 1888 / The National Gallery, London / Wikimedia Commons, Public Domain
『ゴーギャンの椅子』1888年、ファン・ゴッホ美術館蔵
曲線的な肘掛け椅子に燭台と二冊の本。夜の緑と赤で塗られた、もう一つの肖像なき肖像。Vincent van Gogh, Gauguin’s Chair, 1888 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『郵便配達人ジョゼフ・ルーランの肖像』1888年、ヴィンタートゥール美術館蔵
青い制服と豊かな髭。アルルにおける数少ない理解者の一人。Vincent van Gogh, Portrait of Joseph Roulin, 1888 / Kunstmuseum Winterthur / Wikimedia Commons, Public Domain
『ラ・ベルスーズ(揺りかごを揺らす女/ルーラン夫人)』1889年、ステデリック美術館蔵
5点制作されたバージョンの一つ。両脇に『ひまわり』を配した三幅対が構想されていた。Vincent van Gogh, La Berceuse (Augustine Roulin), 1889 / Stedelijk Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, Public Domain
『耳に包帯をした自画像』1889年1月、コートールド美術研究所蔵
背景には日本版画が掛けられ、イーゼルは空白のまま残されている。Vincent van Gogh, Self-Portrait with Bandaged Ear, 1889 / The Courtauld Institute of Art, London / Wikimedia Commons, Public Domain
1889年5月–1890年5月SAINT-RÉMY-DE-PROVENCE08

サン=レミ ── 『星月夜』のうねり

1889年5月、ゴッホは自らの意思でサン=レミ=ド=プロヴァンスのサン・ポール・ド・モーゾール療養院に入る。以後約1年、彼はこの施設を拠点に制作を続けた。行動の自由は限られ、体調の波も大きかったが、この1年に生まれた作品群は、彼の全画業のなかでも最も強度が高い。

代表作『星月夜』が描かれたのは1889年6月である。1941年にリリー・P・ブリスの遺贈によりニューヨーク近代美術館(MoMA)の所蔵となった。本作は療養院の東向きの鉄格子の窓から見た夜明け前の風景に着想を得ているが、ゴッホは眼前の風景をそのまま写し取ってはいない。画面手前には、実際には窓から見えなかったはずの巨大な糸杉が配置され、村の風景には彼の故郷であるオランダの建築様式を思わせる尖塔のある教会が描き込まれている。観察と記憶と想像が、一つの画面で合成されているのである。

空の表現は、本作において最もダイナミックかつ心理学的な要素である。うねるような青と黄色の厚塗りの筆致が渦を巻き、天体のエネルギーと画家自身の内面の高揚を同時に視覚化している。画面中央左にある白く輝く大きな星は、天文学的な調査により、当時プロヴァンスの夜明けの空に実際に最も明るく輝いていた金星(明けの明星)であることが特定されている。想像で描かれた空のなかに、観測可能な事実が正確に埋め込まれている。

ゴッホは弟テオ宛の手紙の中で「死をとって星に行く」という趣旨のことを語っており、死と永遠性を象徴する糸杉が、地上の世界と天空の星々を繋ぐ架け橋として画面を力強く縦断している。この作品は、印象派の自然の客観的描写から完全に脱却し、感情と色彩が直結する表現主義への扉を開いた歴史的転換点として位置づけられている。

サン=レミ時代のもう一つの重要な系列が、糸杉とオリーブの木である。糸杉について彼は、エジプトのオベリスクのように美しい線と均衡を持つと書いている。メトロポリタン美術館所蔵の『糸杉』(1889年)では、炎のように立ち上がる暗緑の樹形が画面を縦に貫き、背後の丘と雲がそれに呼応して波打つ。MoMA所蔵の『オリーブの木々』では、銀灰色の葉叢と赤褐色の土が、うねる筆致の網目として一体化している。

同じ時期の『アイリス』(1889年、J・ポール・ゲティ美術館蔵)は、療養院の庭で制作された。療養院に入って最初の週に描かれたとされるこの作品では、青紫のアイリスが赤土の地面と補色関係で対置されている。そしてこの作品もまた、後述する赤色顔料の退色によって、本来の色関係が失われた例の一つである。

『刈り入れをする人のいる麦畑』(1889年)についてゴッホは、この刈り入れる人物のなかに死のイメージを見ていると書いている。ただし、それは悲しい死ではなく、太陽の光のなかで完了する収穫としての死である。麦畑と刈り手というモチーフは、彼が終生こだわり続けたミレーの主題であり、この時期に自らの実存的な問題として引き受け直された。

『星月夜』1889年6月、カンヴァスに油彩、73.7×92.1cm、ニューヨーク近代美術館(MoMA)蔵
療養院の窓から見た風景に、記憶と想像を合成した夜景。中央左の大きな星は金星と特定されている。Vincent van Gogh, The Starry Night, 1889 / The Museum of Modern Art, New York / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『糸杉』1889年、メトロポリタン美術館蔵
オベリスクのようだと彼が書いた樹形。炎の形と墓標の形が重なっている。Vincent van Gogh, Cypresses, 1889 / The Metropolitan Museum of Art, New York (Open Access) / Wikimedia Commons, Public Domain
『オリーブの木々』1889年、ニューヨーク近代美術館蔵
銀灰の葉、赤褐色の土、うねる空。すべてが同じ筆致の運動で編み上げられている。Vincent van Gogh, The Olive Trees, 1889 / The Museum of Modern Art, New York / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『アイリス』1889年、J・ポール・ゲティ美術館蔵
療養院の庭で制作された。青紫の花と赤土の対比は、赤色顔料の退色によって現在では当初の強度を失っている。Vincent van Gogh, Irises, 1889 / The J. Paul Getty Museum, Los Angeles / Wikimedia Commons, Public Domain
『刈り入れをする人のいる麦畑』1889年、ファン・ゴッホ美術館蔵
黄一色に沈む麦畑のなかで、刈り手が静かに働いている。Vincent van Gogh, Wheatfield with a Reaper, 1889 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『囚人の運動(監獄の中庭)』1890年、プーシキン美術館蔵
ギュスターヴ・ドレの版画に基づく翻案ほんあん。高い壁に囲まれた円環を歩き続ける囚人たちの図像は、療養院に置かれた自身の状況と重なる。Vincent van Gogh, Prisoners Exercising (after Doré), 1890 / Pushkin State Museum of Fine Arts, Moscow / Wikimedia Commons, Public Domain
『花咲くアーモンドの枝』1890年2月、ファン・ゴッホ美術館蔵
甥フィンセントの誕生を祝って描かれた一枚。ターコイズブルーの空を背に枝を配する構図には、浮世絵の影響が最も明快に現れている。Vincent van Gogh, Almond Blossom, 1890 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
1890年5月–7月AUVERS-SUR-OISE09

オーヴェール ── 最後の70日

1890年5月、ゴッホは南仏を離れ、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移る。この地でホメオパシー医であり、また自らも版画を制作するアマチュア画家であったポール・ガシェ博士の診察を受けながら制作を続けた。7月29日に亡くなるまでの約70日間で、彼は70点を超える油彩を残したとされる。一日一点に近い制作速度である。

この時期の作品には、二つの相反する傾向が同居している。一つは、静かで抒情的な村の風景である。藁葺き屋根の農家、庭の花、麦の穂。もう一つは、極端に不安定な構図と激しい筆致である。オーヴェールの教会を描いた『オーヴェールの教会』(1890年、オルセー美術館蔵)は、その両方が同時に現れた作品と言える。教会の壁は青紫に染まり、空は濃い群青で塗られ、建物全体が地面から浮き上がるように歪んでいる。窓には光がなく、内部は暗い。手前で二手に分かれる道と、その一方を歩く農婦の後ろ姿が、この建物が誰のためのものかという問いを宙吊りにしている。

ガシェ博士の肖像は、この時期の代表作である。頬杖をついて斜めに傾いた姿勢、手前に置かれたジギタリス(ガシェの医師としての職能を示す薬草)、そして背景と衣服を覆う青の階調。ゴッホはこの絵についてテオに、「我々の時代の、悲しげな、しかし穏やかで明晰な表情」を持つ肖像を描きたかったと書いている。本作は2点のバージョンが存在し、うち1点は1990年のオークションで当時の絵画取引の最高額を記録したことでも知られる。

そして『カラスのいる麦畑』(1890年7月)。低い視点から見上げる形で描かれた麦畑の上を、黒い群れが飛び交う。手前で三方向に分かれる道は、どれも画面の外に消えるか、途中で途切れている。長らくこの作品はゴッホの最後の絵と語られてきたが、現在の研究ではそれを裏づける確実な根拠はなく、最後の数週間に描かれた複数の作品の一つと考えるのが妥当とされている。過度に伝記的な読みを差し引いても、黄と青の圧倒的な補色対比と、遠近法が解体された空間の緊張は、この画家が到達した表現の極点を示している。

同じ時期の『木の根』は、さらに徹底している。斜面に露出した樹木の根と幹だけが画面いっぱいに描かれ、空も地平線もない。何を描いた絵なのかが一見して分からないほどに対象は解体され、色面と筆致の運動だけが残されている。近年の研究では、この作品の制作地がオーヴェール村内の特定の斜面であると比定されており、抽象化の極致に見える画面が、実は徹底した現場観察に基づいていたことが明らかになっている。

『オーヴェールの教会』1890年、オルセー美術館蔵
窓に光はなく、建物は地面から浮き上がるように歪んでいる。Vincent van Gogh, The Church in Auvers-sur-Oise, View from the Chevet, 1890 / Musée d’Orsay, Paris / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『ガシェ博士の肖像』1890年
頬杖をつく姿勢と、手前に置かれたジギタリス。青の階調で統一された「我々の時代の表情」。Vincent van Gogh, Portrait of Dr Paul Gachet, 1890 / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『カラスのいる麦畑』1890年7月、ファン・ゴッホ美術館蔵
三方向に分かれる道はいずれも行き先を持たない。Vincent van Gogh, Wheatfield with Crows, 1890 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
『木の根』1890年、ファン・ゴッホ美術館蔵
空も地平線もなく、根と幹の絡み合いだけが画面を埋める。抽象に見えて、制作地は特定されている。Vincent van Gogh, Tree Roots, 1890 / Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation) / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
POINT

オーヴェール時代の作品には、横長の特殊な寸法(およそ50×100cm)のカンヴァスが集中している。『カラスのいる麦畑』『木の根』を含むこの「ダブルスクエア」形式の作品群は、パノラマ的な視野と、上下方向の圧縮という二つの効果を同時に生む。最晩年の不安定さは、しばしば心理の問題として語られるが、まず第一に画面形式の選択という造形上の判断だった可能性がある。

技法論TECHNIQUE10

技法1 ── インパストと筆触

ゴッホの作品を実際に美術館で見たとき、複製図版との最大の差として感じられるのは色ではなく、厚みである。絵具は薄く塗り広げられるのではなく、チューブから絞り出したままに近い状態でカンヴァスに置かれ、筆や時にはパレットナイフで押しつけられている。この厚塗り技法をインパスト(impasto)と呼ぶ。

インパストがもたらす効果は三つある。第一に物理的な効果。盛り上がった絵具は実際の凹凸として光を受け、見る角度によって影を落とす。つまり画面上に、描かれた陰影とは別の、実在する陰影が発生する。第二に時間の記録という効果。一筆の始まりと終わり、筆圧の変化、絵具が引きずられた方向が、そのまま画面に固定される。鑑賞者は完成した図像だけでなく、それが作られた過程そのものを見ることになる。第三に触覚的な効果。麦の穂、糸杉の葉、空気の渦といった対象の質感が、色ではなく物質の凹凸として翻訳される。

筆触の方向性も、ゴッホにおいてはきわめて意識的である。『星月夜』の空では渦を描き、『糸杉』では上昇する炎の形をとり、『刈り入れをする人のいる麦畑』では水平方向に流れ、『オリーブの木々』では網目状に絡み合う。同じ画家の同じ時期の作品でありながら、筆触の運動が対象ごとに書き分けられている。これは、対象の外形を写すのではなく、対象が持つエネルギーの型を写しているということである。

なお、この厚塗りは経済的な制約とも無関係ではない。絵具を大量に消費するインパストは高コストであり、テオからの送金に依存していたゴッホにとっては常に負担だった。彼が安価な絵具を使わざるを得なかったこと、そしてその安価な絵具の一部が化学的に不安定だったことが、後述する退色・変色問題の背景にある。技法と経済と保存科学は、この画家において分かちがたく結びついている。

技法論COLOR THEORY11

技法2 ── 補色対比の設計

ゴッホの作品を特徴づける最大の要素は、鮮やかな色彩のコントラストと奔放な用筆である。彼は自然の写実的な再現を超え、色彩に感情的・象徴的な言語を与えた。その中核にあるのが、補色対比という原理である。

補色とは、色相環上で正反対に位置する色の組み合わせを指す。赤と緑、黄と紫、青と橙。これらを隣り合わせに置くと、互いの彩度が最大限に高められて見える。この原理は19世紀の化学者ミシェル・ウジェーヌ・シュヴルールらによって理論化され、印象派・新印象派を経てゴッホに届いた。彼は書簡のなかで、色の組み合わせについて具体的な指示を書き残しており、対比の選択が偶然ではなく設計であったことが確認できる。

実作における適用は明快である。『夜のカフェ』は赤と緑の激突であり、その不快さこそが主題だった。『夜のカフェテラス』は黄と青の対置で、こちらは調和として機能する。『ひまわり』は黄と黄という補色対比の意図的な放棄であり、だからこそ実験としての意味を持つ。『アイリス』は青紫の花と赤褐色の土という対比で構成されている。『カラスのいる麦畑』では黄の麦と青の空が画面をほぼ二分し、その境界に黒いカラスが置かれる。

ここで注意すべきなのは、これらの対比の多くが、現在では当初の強度で見られないということである。ゴッホが赤として使った顔料の一部は、光によって急速に退色する性質を持っていた。赤が褪せれば、それと対をなすはずだった緑は単に緑として孤立する。補色対比という設計そのものが、時間の経過によって解体されつつあるのである。次章以降で扱うのは、この問題の科学的な内実である。

保存科学CHROME YELLOW12

科学1 ── クロムイエローの黒変

ゴッホの代名詞とも言える黄色は、主に「クロムイエロー(黄鉛)」と呼ばれる19世紀の新しい工業用顔料によって生み出されている。南仏アルルの眩い陽光や『ひまわり』の強烈な生命感は、この顔料なしには実現し得なかった。しかし長年の間、いくつかの作品において、鮮やかだった黄色がくすんだ褐色やオリーブ・グリーンへと変色していく現象が確認されていた。

この変色メカニズムを解明するため、アントワープ大学のクーン・ヤンセンス(Koen Janssens)氏やレティツィア・モニコ(Letizia Monico)氏を中心とする国際研究チームが、欧州シンクロトロン放射光施設(ESRF)やドイツ電子シンクロトロン(DESY)の最先端の放射光X線を用いて詳細な調査を実施した。

分析によると、ゴッホは化学的に安定した標準的なクロムイエロー(中黄、PbCrO₄)だけでなく、より明るい色調を求めて硫黄を含有した不安定なタイプ(レモンイエローやプライムローズイエロー、PbCr₁₋ₓSₓO₄、x>0.4)も意図的に使用していたことが判明した。

この硫黄を多く含むクロムイエローは、紫外線(UV)や、美術館で一般的に使用されるLED照明などに含まれる青・緑色光に曝露ばくろされると、顔料の表面数マイクロメートルの層において、クロムイオンの酸化数が最高酸化状態の6価(Cr(VI))から3価(Cr(III))へと還元される光化学反応を引き起こす。この還元反応が、本来の輝くような黄色を暗褐色に変成させている。

さらに微小X線ビームを用いた調査(XANES、EPR、UV-Vis分光法など)では、バリウムや硫黄を含む化合物──たとえばゴッホが絵具を混色する際に用いた硫酸バリウムや、充填材としての炭酸カルシウム──が存在する環境下で、このCr(III)への還元が顕著に進行することが示唆されている。

アムステルダムのファン・ゴッホ美術館が所蔵する『ひまわり』を対象とした非破壊分光分析およびシンクロトロン放射光X線調査をまとめた学術論文(Angewandte Chemie 掲載)においても、絵具とニスの境界面においてCr(III)化合物の生成という確固たる化学変化の証拠が提示されている。また『セーヌ川の川岸(Bank of the Seine)』の微小サンプル分析においても、光暴露による表面劣化層の形成が確認されており、ゴッホの意図した鮮やかな黄色の保存には、厳格な照明環境の制御が不可欠であることが科学的に証明された。

ここから導かれる実務上の帰結は明確である。展示照明の選択は美観の問題ではなく、化学反応の速度を決める変数である。LED照明が含む青・緑成分が劣化を促進しうるという知見は、美術館の照明設計そのものを再検討させる材料となっている。

表:クロムイエロー劣化に関する主要な分析手法

手法略号何を明らかにするか
シンクロトロン放射光X線吸収端近傍構造解析XANESクロムイオンの酸化数(Cr(VI)/Cr(III))の分布
マクロ蛍光X線分析MA-XRF元素の面的な分布マッピング(非破壊)
電子常磁性共鳴EPR還元によって生じた常磁性種の同定
紫外可視分光法UV-Vis表面劣化層の光学的特性の変化
表面増強ラマン散乱SERS微量の有機染料の分子同定
高分解能質量分析HRMS有機顔料の分解生成物の特定
保存科学EOSIN / RED LAKE13

科学2 ── エオシンの退色と失われたピンク

黄色の黒変と並んでゴッホの作品の意図を大きく損なっているのが、赤色顔料の退色である。ゴッホは、コチニール、マダー(あかね)、ブラジルウッドといった伝統的な有機赤色顔料に加え、「ゼラニウムレーキ」として商業的に販売されていた「エオシン(Eosin:2′,4′,5′,7′-tetrabromofluorescein)」を多用した。

エオシンは、鮮烈なピンクから紫がかった赤色を放つ美しい染料であるが、極めて光に弱く、光と酸素の存在下で急速に退色する光増感剤としての特性を持つ。ゴッホが意図した「ピンク色の背景」や「赤と緑の補色対比」は、エオシンが退色して白や青灰色に変化したことで、現在では完全に失われている事例が多い。彼自身も手紙の中で「絵画は花のように色褪せる」と記しており、顔料の永続性に対する懸念と、コストを抑えるために安価で低品質な絵具を使わざるを得ない経済的苦境が窺える。

近年の保存科学では、退色して肉眼では見えなくなったエオシンの痕跡こんせきを辿るために、マクロ蛍光X線分析(MA-XRF)や表面増強ラマン散乱(SERS)、高分解能質量分析(HRMS)が用いられている。決め手となるのは「臭素しゅうそ(Br)」である。エオシンの分子構造に含まれる臭素は、歴史的な顔料にはほとんど含まれない元素であるため、XRF分析において臭素の分布をマッピングすることで、かつてエオシンが塗られていた領域──すなわちピンク色だった部分──を正確に特定することが可能となった。

この手法を応用した『下草と人物(Undergrowth with Two Figures)』の研究では、現在白く見えているポプラの林の花387個のうち、37.7%から臭素が検出された。これにより、本来は無数のピンク色の花が描かれていたことが証明され、Photoshopを用いたデジタル復元画像が作成されるに至っている。また、メトロポリタン美術館所蔵の『アイリス』や『バラ』においても同様の分析が行われ、退色による補色効果の喪失がデジタルシミュレーションによって可視化され、作品本来の視覚的インパクトが再評価されている。

つまり我々がいま美術館で目にしている『下草と人物』は、ゴッホが描いた絵の「その後」である。白い森の絵として鑑賞されてきたこの作品は、本来ピンクの花が散る森だった。同じことが、程度の差はあれ、彼の多くの作品に当てはまる。

表:色彩変化が確認・推定されている主な作品

作品名制作年変化の内容分析・研究の要点
ひまわり(ファン・ゴッホ美術館)1889年クロムイエローの黒変絵具とニスの境界面にCr(III)化合物の生成を確認
セーヌ川の川岸1887年クロムイエローの黒変微小サンプル分析で光暴露による表面劣化層を確認
下草と人物1890年エオシンの退色(ピンク→白)花387個のうち37.7%から臭素を検出、デジタル復元を実施
アイリス(メトロポリタン美術館)1890年赤色レーキの退色化学分析と画像技術により当初の色関係を再構成
バラ(メトロポリタン美術館)1890年赤色レーキの退色(ピンク→白)同上、補色効果の喪失をシミュレーションで可視化
『下草と二人の人物』1890年、シンシナティ美術館蔵
現在は白い花に見える部分の多くから、退色したエオシンに由来する臭素が検出されている。Vincent van Gogh, Undergrowth with Two Figures (F773), 1890 / Cincinnati Art Museum / Wikimedia Commons, Public Domain
『バラ』1890年、メトロポリタン美術館蔵
制作当初はピンクだったとされる花が、赤色レーキの退色により現在は白く見えている。Vincent van Gogh, Roses, 1890 / The Metropolitan Museum of Art, New York (Open Access) / Wikimedia Commons, Public Domain
主題論ICONOGRAPHY14

主題論 ──「種播く人」から「耕す人」へ

科学的分析によるアプローチに加えて、主題論的観点からの研究も進展している。従来、ジャン=フランソワ・ミレーの影響を受けたゴッホの主題としては「種播く人(Sower)」が頻繁に言及され、「ゴッホ=種播く人」というキリスト教的・福音的な解釈が美術史研究において一般的であった。

ゴッホは実際、ミレーの『種播く人』を生涯にわたって繰り返し模写・翻案している。オランダ時代の素描から、アルル時代の『種まく人』(1888年)に至るまで、この主題は彼の制作の基層をなしている。1888年6月の作品では、巨大な黄色い太陽を背に、紫の耕地を歩く人物が配され、黄と紫という補色対比が主題そのものを支えている。種を蒔く行為は、神の言葉の伝道や未来への希望、すなわち生命の誕生を象徴する。

これに対し、日本の学術論文データベース(CiNii)に登録されている研究は、「耕す人(Ploughman)」としてのゴッホという新たな視点を提示している。土を耕す行為は、苦痛に満ちた肉体労働、死と再生のサイクル、あるいは画家自身の過酷な自己探求のメタファーとして機能する。種を蒔く者が未来を託す存在であるのに対し、耕す者は現在の労苦を引き受ける存在である。

このような主題的分析は、彼の手紙に記された精神的葛藤と、キャンバス上の土を掘り返すかのような物理的な厚塗り(インパスト)技法の相関性を理解する上で、極めて重要な示唆を与えている。ゴッホの絵具のうねは、比喩ではなく文字どおりの意味で、耕された土の畝と同じ運動でつくられている。「耕す人」という視点は、主題論と技法論を一つの線で結ぶ鍵になりうる。

『種まく人』1888年
巨大な太陽を背に、紫の耕地を歩く人物。黄と紫という補色対比が、主題そのものを支えている。Vincent van Gogh, The Sower, 1888 / Google Art Project via Wikimedia Commons, Public Domain
現在OPEN ACCESS15

オープンアクセスと作品画像

ゴッホの死後100年以上が経過しているため、彼の作品の著作権は全世界的に完全に消滅し、パブリックドメインに属している。近年、世界トップクラスの美術館が「オープンアクセス」ポリシーを相次いで導入し、高解像度の作品画像をクリエイティブ・コモンズ・ゼロ(CC0)やパブリックドメイン・マークの下で、商用・非商用を問わず無償公開している。

2017年、ニューヨークのメトロポリタン美術館(The Met)は約37万5000点に及ぶ所蔵品の画像をオープンアクセス化する画期的なポリシーを発表した。これに続き、シカゴ美術館、ワシントン・ナショナル・ギャラリー、クリーブランド美術館なども同様の取り組みを行っている。現在では学術研究、出版、個人的な創作活動に至るまで、ゴッホの傑作群の高精細データを誰でも自由にダウンロードし利用できる環境が整っている。

実務上、注意すべき点が二つある。第一に、作品自体がパブリックドメインであることと、特定の撮影画像の利用条件は別問題である場合があること。美術館によっては、所蔵品の写真に独自の利用条件を設定していることがあるため、利用時には各館の方針を確認する必要がある。第二に、Wikimedia Commons 上のファイルは同一作品について複数バージョンが存在することが多く、解像度・色調・トリミングが異なる。用途に応じて、Google Art Project 由来の高解像度ファイルか、美術館が直接提供したファイルかを選ぶのが実務的である。

物質としての絵画が不可逆的な劣化の危機に瀕している一方で、その画像データは物理的制約を超えて拡散し、いつでも参照可能な状態に置かれている。これは単なる利便性の問題ではない。退色前の色彩をデジタル上で復元しようとする研究も、書簡の全文公開に基づく主題の再解釈も、こうしたオープンアクセスの基盤があって初めて成立する。ゴッホの作品は、劣化と公開という二つの逆向きのベクトルの上に、いま置かれている。

『自画像』1889年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
同館もオープンアクセス方針を採用しており、高解像度画像が公開されている。Vincent van Gogh, Self-Portrait, 1889 / National Gallery of Art, Washington (Open Access) / Wikimedia Commons, Public Domain
POINT

我々が今日感嘆する『星月夜』や『ひまわり』の色彩は、彼が南仏アルルやサン=レミで実際に見た、あるいは想像した色彩そのものではない。それは時間と光、そして物質の経年劣化を経た「現在の状態」である。この事実を踏まえたうえでなお、彼の絵の前で人が足を止めるという事実こそが、色彩とは別の次元にある何かがこの作品群に定着していることの証拠である。

LIST / 一覧主要作品一覧

本記事で言及した作品を制作年順に整理した。所蔵機関はいずれも公開情報に基づく。作品自体はすべてパブリックドメインである。

#作品名(日本語/英語)制作年制作地所蔵機関特記事項
01悲しみ/Sorrow1882年ハーグ諸機関に複数版初期の素描。輪郭線のみで人間の重さを掴む試み
02開いた聖書のある静物/Still Life with Bible1885年ニューネンファン・ゴッホ美術館父の聖書とゾラの黄色い小説本を並置
03農婦の頭部/Head of a Peasant Woman1885年ニューネン諸機関に複数版農民頭部の連作習作
04ジャガイモを食べる人々/The Potato Eaters1885年ニューネンファン・ゴッホ美術館82×114cm。最初の本格的人物画
05ジャガイモの皮をむく農婦/The Potato Peeler1885年ニューネンメトロポリタン美術館06の裏面。同一カンヴァスの表裏
06麦わら帽子をかぶった自画像/Self-Portrait with a Straw Hat1887年パリメトロポリタン美術館40.6×31.8cm。裏面に05
07灰色のフェルト帽の自画像/Self-Portrait with Grey Felt Hat1887年パリファン・ゴッホ美術館放射状の点描的筆触
08花魁(渓斎英泉による)/Courtesan (after Eisen)1887年パリファン・ゴッホ美術館ジャポネズリー連作の一点
09雨の中の橋(広重による)/Bridge in the Rain (after Hiroshige)1887年パリファン・ゴッホ美術館『名所江戸百景』の油彩模写
10タンギー爺さんの肖像/Portrait of Père Tanguy1887–88年パリロダン美術館背景に浮世絵を貼りめぐらせた構図
11ラングロワの橋/The Langlois Bridge at Arles1888年アルルクレラー=ミュラー美術館アルル到着直後の跳ね橋
12サント=マリーの海辺の漁船/Fishing Boats on the Beach1888年サント=マリーファン・ゴッホ美術館輪郭線と原色の色面構成
13種まく人/The Sower1888年アルルクレラー=ミュラー美術館ほか黄と紫の補色対比。ミレー主題の翻案
14ひまわり/Sunflowers(第4バージョン)1888年アルルロンドン・ナショナル・ギャラリー92.1×73cm。15本のひまわり
15ひまわり/Sunflowers(F458)1889年アルルファン・ゴッホ美術館クロムイエロー黒変の分析対象
16黄色い家(通り)/The Yellow House (‘The Street’)1888年アルルファン・ゴッホ美術館ラマルティーヌ広場2番地
17夜のカフェテラス/Café Terrace at Night1888年アルルクレラー=ミュラー美術館黒を用いない夜景
18夜のカフェ/The Night Café1888年アルルイェール大学美術館赤と緑の補色の激突
19ウジェーヌ・ボック(詩人)/Eugène Boch1888年アルルオルセー美術館『寝室』初版の壁に掛かる肖像
20郵便配達人ジョゼフ・ルーラン/Postman Joseph Roulin1888年アルルヴィンタートゥール美術館ほかルーラン一家連作の中心
21ファン・ゴッホの椅子/Van Gogh’s Chair1888年アルルロンドン・ナショナル・ギャラリー22と対をなす「肖像なき肖像」
22ゴーギャンの椅子/Gauguin’s Chair1888年アルルファン・ゴッホ美術館21と対
23耳に包帯をした自画像/Self-Portrait with Bandaged Ear1889年アルルコートールド美術研究所背景に日本版画、イーゼルは空白
24ラ・ベルスーズ/La Berceuse1889年アルルステデリック美術館ほか5点のバージョン。三幅対構想
25寝室/The Bedroom1889年サン=レミシカゴ美術館73.6×92.3cm。CC0公開
26星月夜/The Starry Night1889年サン=レミニューヨーク近代美術館(MoMA)73.7×92.1cm。中央左の星は金星
27アイリス/Irises1889年サン=レミJ・ポール・ゲティ美術館療養院の庭で制作
28糸杉/Cypresses1889年サン=レミメトロポリタン美術館オベリスクに喩えられた樹形
29オリーブの木々/The Olive Trees1889年サン=レミニューヨーク近代美術館(MoMA)網目状に絡み合う筆致
30刈り入れをする人のいる麦畑/Wheatfield with a Reaper1889年サン=レミファン・ゴッホ美術館死を収穫として捉える主題
31囚人の運動/Prisoners Exercising1890年サン=レミプーシキン美術館ギュスターヴ・ドレの版画に基づく翻案
32花咲くアーモンドの枝/Almond Blossom1890年サン=レミファン・ゴッホ美術館甥の誕生を祝う一枚
33オーヴェールの教会/The Church at Auvers1890年オーヴェールオルセー美術館窓に光のない教会
34ガシェ博士の肖像/Portrait of Dr Gachet1890年オーヴェール2点のバージョンが存在ジギタリスと頬杖の姿勢
35下草と二人の人物/Undergrowth with Two Figures1890年オーヴェールシンシナティ美術館臭素マッピングでピンクの花を確認
36バラ/Roses1890年サン=レミ複数機関に所蔵赤色レーキ退色の代表例
37カラスのいる麦畑/Wheatfield with Crows1890年オーヴェールファン・ゴッホ美術館ダブルスクエア形式
38木の根/Tree Roots1890年オーヴェールファン・ゴッホ美術館制作地が特定されている
39自画像/Self-Portrait1889年サン=レミワシントン・ナショナル・ギャラリーオープンアクセス公開

DATA / 資料オープンアクセスで高解像度画像が提供される代表作

作品名(日本語/英語)制作年技法・材質/サイズ所蔵機関オープンアクセス提供元
星月夜(The Starry Night)1889年カンヴァスに油彩/73.7×92.1cmニューヨーク近代美術館(MoMA)MoMA Collection
ひまわり(Sunflowers, Fourth Version)1888年カンヴァスに油彩/92.1×73cmロンドン・ナショナル・ギャラリーThe National Gallery
寝室(The Bedroom)1889年カンヴァスに油彩/73.6×92.3cmシカゴ美術館Art Institute of Chicago(CC0)
麦わら帽子をかぶった自画像(Self-Portrait with a Straw Hat)1887年カンヴァスに油彩/40.6×31.8cmメトロポリタン美術館The Met Open Access
ジャガイモを食べる人々(The Potato Eaters)1885年カンヴァスに油彩/82×114cmファン・ゴッホ美術館Van Gogh Museum

DATA / 資料制作地別・作風の比較

時期制作地主要色調筆致の特徴主題の中心代表作
1883–1885ニューネン(オランダ)褐色・暗緑・灰黒塗り重ねによる重い量感農民・労働・室内ジャガイモを食べる人々
1886–1888.2パリ(フランス)明色化、純色の並置短く細かい点描的筆触自画像・花・浮世絵模写麦わら帽子をかぶった自画像
1888.2–1889.5アルル(南仏)黄と青、赤と緑の補色太く方向性のある筆致風景・肖像・室内・連作ひまわり/夜のカフェテラス
1889.5–1890.5サン=レミ(南仏)青緑・黄・銀灰うねり・渦・上昇する運動糸杉・オリーブ・麦畑・夜空星月夜/糸杉
1890.5–1890.7オーヴェール(パリ近郊)群青・黄・青紫分断的、遠近法の解体村・畑・肖像・根カラスのいる麦畑/木の根

DATA / 資料連作『ひまわり』と『寝室』の比較

連作点数の概要主な所蔵制作意図現在の課題
ひまわり(花瓶のひまわり)アルルで複数点を制作。うち1点は1945年に日本の空襲で焼失ロンドン・ナショナル・ギャラリー、ファン・ゴッホ美術館ほかゴーギャンを迎える部屋の装飾/友情の表明クロムイエローの黒変が進行
寝室3点ファン・ゴッホ美術館、シカゴ美術館、オルセー美術館「完全な休息」の表現バージョン間で壁の絵が描き変えられている

BOOKS & FILM / 本と映像作品をもっと深く見るために

ゴッホの「作品」の背景にある哲学、生涯、膨大な手紙の記録、そして歴史的文脈を理解するための書籍・映像資料を掲載する。ASINはAmazon.co.jpの商品ページに基づく。書影画像は各商品ページから取得すること。

もっと知りたいゴッホ 生涯と作品(アート・ビギナーズ・コレクション)
書籍/入門・作品解説

もっと知りたいゴッホ 生涯と作品(アート・ビギナーズ・コレクション)

著者
圀府寺 司
出版社
東京美術
形式
単行本

ゴッホの作品と生涯を俯瞰ふかんする上で最も優れた入門書の一つ。ゴッホを象徴する7つのキーワード(①黄色 ②夜 ③絆 ④ジャポニスム ⑤うねり ⑥祈り ⑦自画像)を軸に、作品を解剖図鑑的に徹底解説している。色彩が何を象徴しているかといった知的好奇心を満たす構成で、図版と解説が対応しているため、本記事で扱った色彩分析や主題論を視覚的に確認しながら読み進めることができる。最初の一冊として推奨できる。

Amazonで見る
ゴッホの眼
書籍/評論

ゴッホの眼

著者
高階 秀爾
出版社
青土社
形式
単行本

日本の西洋美術史学の権威である高階秀爾による名著。アルルから終焉の地オーヴェール=シュル=オワーズに至る晩年の作品群と、テオに宛てた膨大な手紙の精緻せいちなテクスト解読を往復しながら、ゴッホの孤独な人生と激しい創作衝動の根源を浮き彫りにする。単なる「狂気の天才」という通俗的イメージを排し、極めて理知的で計算された「画家としての眼」を証明する評論である。本記事の技法論・補色対比の章を、より深く読み直すための一冊。

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ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家(角川ソフィア文庫)
書籍/ジャポニスム研究

ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家(角川ソフィア文庫)

著者
圀府寺 司
出版社
KADOKAWA
形式
文庫

日本におけるゴッホ研究の第一人者による著作。19世紀後半のパリで流行した「ジャポニスム」が、ゴッホの空間構成、色彩理論、そしてユートピア思想にいかなる決定的な影響を与えたかを実証的に検証している。浮世絵から受容した平面的色彩や明確な輪郭線が、アルルでの『ひまわり』や『寝室』にどう応用されたかを理解するための必読書。本記事のパリ時代(q3)とアルル時代(q4)を補完する。

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ファン・ゴッホ詳伝
書籍/伝記・書簡研究

ファン・ゴッホ詳伝

著者
二見 史郎
出版社
みすず書房
形式
単行本

1950年代からゴッホの書簡(全900通以上)の翻訳に従事してきた研究者による決定版の伝記。手紙からの直接の引用と伝記的叙述をシームレスに統合し、「人間ゴッホ」の心理的変遷を学術的な裏付けのもとに追体験させる。初期のハーグ時代に日本人留学生がもたらした浮世絵の環境など、歴史的な細部への言及が、作品の文脈的理解に深みを与えている。作品の制作年代と生活史を突き合わせたい読者に適する。

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ファン・ゴッホの手紙【新装版】
書籍/一次資料(書簡集)

ファン・ゴッホの手紙【新装版】

著者
フィンセント・ファン・ゴッホ/二見 史郎 編訳/圀府寺 司 訳
出版社
みすず書房
形式
単行本

ゴッホ自身の言葉に直接あたるための書簡集。本記事で繰り返し触れたように、ゴッホは制作中の作品について、色の選択理由や構図の意図を弟テオ宛の手紙に詳細に書き残している。『夜のカフェ』の赤と緑、『寝室』の「完全な休息」、『ひまわり』の装飾計画といった記述は、いずれも手紙が出典である。作品解説を読むのではなく、画家自身の一次資料から出発したい読者にとって最も重要な一冊。

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ファン・ゴッホの生涯 上
書籍/本格伝記

ファン・ゴッホの生涯 上

著者
スティーヴン・ネイフ/グレゴリー・ホワイト・スミス
出版社
国書刊行会
形式
単行本

ファン・ゴッホ美術館の協力のもと、書簡と一次資料を網羅的に精査して書かれた大部の評伝の邦訳。上下巻構成で、家族関係、経済状況、宗教的背景、医学的所見までを含めて生涯を再構成する。作品単体の解説書ではないが、なぜその時期にその主題が選ばれたのかという問いに対して、最も厚い記述を与えてくれる。作品論を歴史的文脈のなかに置き直したい読者向け。

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ファン・ゴッホ 自然と宗教の闘争
書籍/宗教と自然

ファン・ゴッホ 自然と宗教の闘争

著者
圀府寺 司
出版社
小学館
形式
単行本

牧師の家に生まれ、一時は伝道者を志したゴッホにとって、宗教と自然はどのような関係にあったのか。『開いた聖書のある静物』における聖書とゾラの並置、『種播く人』の福音的解釈、糸杉と星に託された永遠性といった主題を、宗教史・思想史の文脈から検証する。本記事の主題論の章(q14)をさらに掘り下げたい読者に適する。

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たゆたえども沈まず(幻冬舎文庫)
書籍/小説(アート・フィクション)

たゆたえども沈まず(幻冬舎文庫)

著者
原田 マハ
出版社
幻冬舎
形式
文庫

厳密な学術書ではないが、美術史的史実に基づくアート・フィクションとして特筆すべき作品。ゴッホを経済的・精神的に支え続けた弟テオと、当時パリでジャポニスムの旋風を巻き起こしていた実在の日本人画商・林忠正との交友を軸に展開される。美術市場というシステムの中でゴッホの作品がいかに評価されず、またいかにして後世に残されたかという「社会的存在としての作品」の裏面史を鮮やかに描き出しており、美術史の社会学的理解を助ける。

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ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯(幻冬舎新書)
書籍/新書

ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯(幻冬舎新書)

著者
原田 マハ
出版社
幻冬舎
形式
新書

小説『たゆたえども沈まず』の背景となった取材と考察を、ノンフィクションとして整理した一冊。ゴッホと日本の関係、林忠正をめぐる史実、そしてゴッホ作品が日本でどのように受容されてきたかが平易に語られる。小説から入った読者が史実との境界を確認するための橋渡しとして機能する。

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永遠の門 ゴッホの見た未来 [DVD]
映像/劇映画

永遠の門 ゴッホの見た未来 [DVD]

監督
ジュリアン・シュナーベル
主演
ウィレム・デフォー
形式
DVD

新表現主義の画家であり映画監督でもあるジュリアン・シュナーベルが手掛けた作品。単なる史実の羅列や伝記ドラマに留まらず、「ゴッホの主観的な視覚体験」を独特のカメラワークと色彩フィルターを通じて映像化している点に最大の美学的価値がある。プロヴァンスの風景がどのように彼の目に映り、それがどのようにカンヴァス上の荒々しいインパストや歪んだ遠近法へと変換されていったのかを、追体験的に理解させる。本記事の技法論(q10)と併せて観ると効果が高い。

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ゴッホ 最期の手紙 [Blu-ray]
映像/全編油彩アニメーション

ゴッホ 最期の手紙 [Blu-ray]

監督
ドロタ・コビエラ/ヒュー・ウェルチマン
形式
Blu-ray(DVD版 ASIN:B07C6R9PR2

世界各国の画家が描いた油彩画をコマ撮りしてつなぐという手法で制作された長編アニメーション。ゴッホ作品の筆致そのものが動く映像として体験できるため、インパストと筆触の方向性という本記事の主要テーマを、視覚的に最も直接的に理解させてくれる。物語はゴッホの死の経緯をめぐるミステリー形式で進行し、ルーラン、ガシェ博士、タンギー爺さんなど、本記事に登場する実在の人物が肖像画の姿のまま語り手として現れる。

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図版クレジット一覧

すべて Wikimedia Commons 収載。原作者フィンセント・ファン・ゴッホ(1853–1890)の作品はパブリックドメイン。

#使用章Commons ファイル名作品名クレジット
01ヒーローFile:Vincent van Gogh – Self-portrait with grey felt hat – Google Art Project.jpg灰色のフェルト帽の自画像(1887)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
02q1File:Vincent van Gogh – Sorrow (1882).jpg悲しみ(1882)Wikimedia Commons, PD
03q2File:Vincent van Gogh – The potato eaters – Google Art Project.jpgジャガイモを食べる人々(1885)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
04q2File:Vincent van Gogh – Still life with Bible – Google Art Project.jpg開いた聖書のある静物(1885)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
05q2File:Vincent van Gogh – Head of a Peasant Woman (1885).jpg農婦の頭部(1885)Wikimedia Commons, PD
06q3File:Vincent van Gogh – Courtesan- after Eisen – Google Art Project.jpg花魁(渓斎英泉による)(1887)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
07q3File:Vincent van Gogh – Brug in de regen- naar Hiroshige – Google Art Project.jpg雨の中の橋(広重による)(1887)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
08q3File:Van Gogh Self-Portrait with Straw Hat 1887-Metropolitan.jpg麦わら帽子をかぶった自画像(1887)The Metropolitan Museum of Art(Open Access)/ Wikimedia Commons, PD
09q3File:Self-Portrait with a Straw Hat (obverse- The Potato Peeler) MET ep67.187.70A.R.jpgジャガイモの皮をむく農婦(1885・裏面)The Metropolitan Museum of Art(Open Access)/ Wikimedia Commons, PD
10q3File:Van Gogh – Portrait of Pere Tanguy 1887-8.JPGタンギー爺さんの肖像(1887–88)Musée Rodin, Paris / Wikimedia Commons, PD
11q4File:Vincent Willem van Gogh – Pont de Langlois – Kröller-Müller.jpgラングロワの橋(1888)Kröller-Müller Museum / Wikimedia Commons, PD
12q4File:Vincent van Gogh – Vissersboten op het strand van Les Saintes-Maries-de-la-Mer – Google Art Project.jpgサント=マリーの海辺の漁船(1888)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
13q4File:Vincent van Gogh – Cafe Terrace at Night (1888).jpg夜のカフェテラス(1888)Kröller-Müller Museum / Wikimedia Commons, PD
14q4File:Le café de nuit (The Night Café) by Vincent van Gogh.jpeg夜のカフェ(1888)Yale University Art Gallery / Wikimedia Commons, PD
15q4File:Vincent van Gogh – The yellow house (`The street’) – Google Art Project.jpg黄色い家(通り)(1888)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
16q5File:Vincent van Gogh – Sunflowers (1888, National Gallery London).jpgひまわり(1888・第4バージョン)The National Gallery, London / Wikimedia Commons, PD
17q5File:Vincent van Gogh – Sunflowers – VGM F458.jpgひまわり(F458)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
18q6File:Vincent van Gogh – The Bedroom – Google Art Project.jpg寝室(1889・シカゴ版)The Art Institute of Chicago(CC0)/ Wikimedia Commons, PD
19q6File:Vincent van Gogh – Eugène Boch – Google Art Project.jpgウジェーヌ・ボック(詩人)(1888)Musée d’Orsay, Paris / Wikimedia Commons, PD
20q7File:Van Gogh’s Chair.jpgファン・ゴッホの椅子(1888)The National Gallery, London / Wikimedia Commons, PD
21q7File:Vincent van Gogh – De stoel van Gauguin – Google Art Project.jpgゴーギャンの椅子(1888)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
22q7File:Portrait of the Postman Joseph Roulin (1888) van Gogh Getty.jpg郵便配達人ジョゼフ・ルーランの肖像(1888)The J. Paul Getty Museum / Wikimedia Commons, PD
23q7File:La Berceuse 1889 van Gogh Stedelijk Museum.jpgラ・ベルスーズ(1889)Stedelijk Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
24q7File:Vincent van Gogh – Self-portrait with bandaged ear (1889, Courtauld Institute).jpg耳に包帯をした自画像(1889)The Courtauld, London / Wikimedia Commons, PD
25q8File:Van Gogh – Starry Night – Google Art Project.jpg星月夜(1889)The Museum of Modern Art, New York / Wikimedia Commons, PD
26q8File:Cypresses MET DP130999.jpg糸杉(1889)The Metropolitan Museum of Art(Open Access)/ Wikimedia Commons, PD
27q8File:Vincent van Gogh – The Olive Trees – Google Art Project.jpgオリーブの木々(1889)The Museum of Modern Art, New York / Wikimedia Commons, PD
28q8File:Vincent van Gogh – Irises (1889).jpgアイリス(1889)The J. Paul Getty Museum / Wikimedia Commons, PD
29q8File:Vincent van Gogh – Wheatfield with a reaper – Google Art Project.jpg刈り入れをする人のいる麦畑(1889)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
30q8File:Vincent van Gogh – The Prison Courtyard (1890).jpg囚人の運動(1890)Pushkin State Museum of Fine Arts / Wikimedia Commons, PD
31q9File:Vincent van Gogh – The Church in Auvers-sur-Oise, View from the Chevet – Google Art Project.jpgオーヴェールの教会(1890)Musée d’Orsay, Paris / Wikimedia Commons, PD
32q9File:Vincent van Gogh – Dr Paul Gachet – Google Art Project.jpgガシェ博士の肖像(1890)Wikimedia Commons, PD
33q9File:Vincent van Gogh – Wheatfield with crows – Google Art Project.jpgカラスのいる麦畑(1890)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
34q9File:Vincent van Gogh – Tree-roots – Google Art Project.jpg木の根(1890)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
35q9File:Vincent van Gogh – Almond blossom – Google Art Project.jpg花咲くアーモンドの枝(1890)Van Gogh Museum, Amsterdam / Wikimedia Commons, PD
36q13File:Vincent van Gogh – Undergrowth with Two Figures (F773).jpg下草と二人の人物(1890)Cincinnati Art Museum / Wikimedia Commons, PD
37q13File:Vincent van Gogh – Roses – Google Art Project.jpgバラ(1890)Wikimedia Commons, PD
38q14File:Vincent van Gogh – The sower – Google Art Project.jpg種まく人(1888)Wikimedia Commons, PD
39q15File:Vincent van Gogh, Self-Portrait, 1889, NGA 106382.jpg自画像(1889)National Gallery of Art, Washington(Open Access)/ Wikimedia Commons, PD

REFERENCES / 出典参考文献

保存科学・顔料分析

赤色顔料(エオシン/レーキ)の退色

作品・所蔵機関

主題論・日本語文献

オープンアクセス関連

最終更新:2026年8月25日

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