葛飾北斎 作品

葛飾北斎の作品|神奈川沖浪裏・冨嶽三十六景と技法を解説|アーティストの人生
作品3万点以上70年錦絵にしきえ版本はんぽん肉筆画にくひつが
ARTIST · WORKS

葛飾北斎の作品The Works of Katsushika Hokusai

冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』のあの青は、日本の伝統色ではない。1704年にベルリンで偶然合成された化学顔料が、百年以上かけて長崎に届き、天保てんぽうのはじめに浮世絵へ入った。それがいつ入ったのかは、蛍光X線分析で鉄元素を検出することによって特定されている。この記事では、北斎の作品を顔料と版画技法の側から一点ずつたどり、最後に無料で見られる場所をまとめる。

葛飾北斎《諸国瀧廻り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧》
葛飾北斎《諸国瀧廻りしょこくたきめぐり 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧きそじのおくあみだがたき》。大英博物館所蔵/Wikimedia Commons
DATA作品データ
総点数3万点以上(版下絵はんしたえ・素描を含む)
挿絵を手がけた書物500点前後
制作期間70年以上
形式錦絵にしきえ版本はんぽん・絵手本/肉筆画にくひつが摺物すりもの
落款らっかん改号かいごうごとに変わる(制作年代の手がかり)
主な版元西村屋与八にしむらやよはち永寿堂えいじゅどう
代表的な連作冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』全46図/『諸国瀧廻りしょこくたきめぐり』全8図/『諸国名橋奇覧しょこくめいきょうきらん』/『千絵の海ちえのうみ』/『富嶽百景ふがくひゃっけい』全3編/『北斎漫画』全15編
主な所蔵館東京国立博物館/国立国会図書館/すみだ北斎美術館/北斎館(小布施おぶせ)/メトロポリタン美術館/大英博物館/シカゴ美術館
3点でわかる葛飾北斎の作品
  1. 冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』の青は輸入化学顔料ベロ藍である。浮世絵への本格導入が天保てんぽう元年(1830年)後半以降であることは、蛍光X線分析による鉄元素の検出で科学的に特定されている。
  2. 神奈川沖浪裏かながわおきなみうら》の深い青は一度で摺られていない。ベロ藍と伝統的な藍を混ぜた下摺りの上に、純粋なベロ藍を重ねる二重摺りが分光分析で確認されている。
  3. 北斎は自分の技法を隠さなかった。『略画早指南りゃくがはやおしえ』では定規とコンパスだけであらゆる形を作図する方法を公開し、絵手本として大量に流通させている。
WORKS

葛飾北斎の作品

顔料と版画技法の話から始め、作図法を挟んで、連作を一つずつ。最後に無料で見られる場所をまとめる。

総数と形式 OEUVRE 01

3万点をどう数えるか

葛飾北斎が制作した絵の数は、版下絵はんしたえや素描を含めて3万点を超えるとされる。挿絵を手がけた書物は500点前後。画業の期間は70年以上におよぶ。油彩画家の作品数とは桁が違うが、これは北斎が主に版画と版本はんぽんの絵師だったことによる。

作品は大きく四つの形式に分かれる。

ひとつめは錦絵にしきえである。多色摺りの一枚物の版画で、『冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』はこれにあたる。版元が企画し、絵師が版下絵はんしたえを描き、彫師が版木はんぎを彫り、摺師すりしが摺る。数百枚から数千枚が市場に出る商品であり、一枚あたりの価格は蕎麦一杯ほどだったと言われる。

ふたつめは版本はんぽんである。本の形をした出版物で、読本の挿絵、絵手本、絵本がここに入る。『北斎漫画』も『富嶽百景ふがくひゃっけい』も版本はんぽんである。多くは墨一色、あるいは墨と淡い色の数版だけで摺られている。

みっつめは肉筆画にくひつが。紙や絹に直接筆を下ろした一点物で、版元も彫師も摺師すりしも介在しない。掛軸、屏風、絵馬、天井画がこれにあたる。北斎は八十代に入ってからこの形式に比重を移した。

よっつめは摺物すりものである。市販されない私家版の版画で、狂歌きょうかの連や個人が特別な機会に配るために作らせる。部数が少なく費用は注文主が負担するため、市販の錦絵にしきえでは採算の合わない高価な顔料や、金銀、空摺りからずりといった技法を使うことができた。技術の実験場として機能している。

《五百らかん寺さゞゐどう》(冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 横大判の錦絵にしきえ。回廊に並ぶ人々の視線が、そのまま画面奥の富士へ向かうように配置されている。 Wikimedia Commons(Sazai hall – 500 Rakan temples.jpg)

制作年を特定する手がかりのひとつが落款らっかんである。北斎は生涯に三十回以上画号がごうを改めており、その改号かいごうが作品に署名として残っている。「勝川春朗かつかわしゅんろう」なら勝川派時代、「北斎辰政」なら寛政かんせい末、「葛飾北斎」以降は独立後、「戴斗たいと」は『北斎漫画』の時期、「為一いいつ」は文政三年(1820年)以降、「画狂老人卍がきょうろうじんまんじ」は天保てんぽう五年(1834年)以降にあたる。

冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』の落款らっかんは「北斎改為一いいつ筆」である。北斎あらため為一いいつが描いた、という意味で、改号かいごうしたばかりであることを客に知らせている。署名がそのまま出版上の告知になっていた。

顔料 PRUSSIAN BLUE 02

ベルリンで偶然できた青

冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』を見て最初に目に入るのは、深く、透明感があり、退色していない青である。この色はベロ藍と呼ばれる。ベルリン・ブルー、プルシアンブルー、アイアンブルーとも言う。天然の鉱物でも植物でもなく、人工の化学顔料である。

できたのは1704年、ヨーロッパ。染料業者のヨハン・ヤコブ・ディースバッハが、赤い顔料を作ろうとして失敗した結果として生まれた。彼はコチニールの抽出液に、ミョウバンと硫酸鉄、そして炭酸カリウムを混ぜた。このとき使ったカリウムが不純物としてシアン化物を含んでいた。生じたのは期待した赤ではなく、濃密な青の沈殿だった。世界で最初の合成配位化合物である。

この青が日本へ届くまでに、百年以上かかっている。

それ以前、浮世絵の青には主にツユクサ植物由来の藍(インディゴ)が使われていた。どちらも紫外線に弱い。摺り上がった直後は美しくても、日に当たれば数年で褪せるあせる。現存する古い浮世絵の空が緑がかっていたり、ほとんど白く抜けていたりするのは、この退色による。彩度と透明感にも限界があった。

鉱物由来の本群青ほんぐんじょう——ラピスラズリを砕いた顔料——であれば深い青が出せるが、これは極めて高価である。一枚あたり蕎麦一杯ほどの値段で売る大衆向けの版画に使える材料ではない。

ベロ藍は、この二つの問題を同時に解いた。安価でありながら発色が鮮やかで、しかも水に強い。木版画では水で溶いた絵具を版木はんぎに置いて摺るため、耐水性は決定的に重要である。ベロ藍は摺りムラが出にくく、濃淡の調整も利いた。木版画の顔料として、これ以上ないほど条件に合っていた。

科学的年代特定 XRF ANALYSIS 03

鉄元素で年代を特定する

ベロ藍が日本の浮世絵にいつ使われはじめたのか。これは長いあいだ確証のない問題だった。文献に記録が残っていないうえ、目視では伝統的な藍と区別がつかない場合があるためである。

この問題を解いたのは、化学分析だった。

東京文化財研究所、吉備国際大学の下山進名誉教授、礫川浮世絵美術館こいしかわうきよえびじゅつかんの故・松井英男らによる共同研究は、蛍光X線分析を用いて浮世絵の青色部分に含まれる元素を調べた。ベロ藍はフェロシアン化鉄であり、主成分にを含む。一方、ツユクサや植物性の藍は有機色素であって鉄を含まない。青い部分から鉄が検出されれば、そこにベロ藍が使われていることになる。

問題は、分析する作品の制作年が分かっていなければ意味がないという点である。ここで使われたのが歌舞伎番付などの役者絵だった。上演された演目と役者の組み合わせから、興行の年月を特定できる資料群である。

分析を重ねた結果、境目がはっきりした。天保てんぽう元年(1830年)の後半以降に制作された作品から、鉄元素が検出されるようになる。それ以前の作品からは検出されない。ベロ藍が浮世絵に本格的に導入された時期が、科学的に確定した。

冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』の刊行が始まったのは、その直後である。北斎と版元の西村屋与八にしむらやよはちは、新しい顔料が使えるようになったその年のうちに、それを全面採用した連作を市場へ出したことになる。

蛍光X線分析は試料を採取せず、作品に触れずに元素を調べられる。文化財の調査で広く使われている手法で、絵具の層を破壊しない点が重要である。

藍摺あいずり AIZURI-E 04

藍摺あいずりという商品

新しい顔料が手に入ったとき、北斎と永寿堂えいじゅどうが最初にしたことのひとつが、青だけで画面を構成するという試みだった。

これを藍摺(あいずり)という。輪郭線も、空も、水も、山も、すべて青の濃淡だけで摺る。色数を減らせば版木はんぎの数が減り、摺りの工程も減る。制作費が下がる。それでいて、新奇な見た目の商品になる。

採算と表現が同じ方向を向いていた。ベロ藍は濃淡の階調が作りやすい顔料であり、薄めれば水色から、重ねれば黒に近い紺まで出せる。単色でありながら、明暗の幅が広い。西洋の銅版画やエッチングが単色で立体を表現していたのと、原理的には同じことを木版でやったことになる。

冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』の初期の図には、この藍摺あいずりの性格が強く残っている。輪郭線が黒ではなく青で摺られており、画面全体が青に統一されている。後半になるにつれて色数が増え、黒い輪郭線も使われるようになる。同じシリーズの中で、商品としての作り方が変化していく。

《深川万年橋下》(冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 橋の弧を額縁のように使い、その内側に富士を収める。青の濃淡が空と水を分けている。 Wikimedia Commons(Fuji seen through the Mannen bridge at Fukagawa.jpg)

皮肉なのは、この「日本的」と受け取られてきた青が、ヨーロッパで合成された化学物質だったという点である。数十年後、パリの画家たちは浮世絵の色に驚くことになるが、彼らが見ていた青は自分たちの側で作られたものだった。

二重摺り THE GREAT WAVE 05

神奈川沖浪裏かながわおきなみうら》の二重摺り

冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』のうち、世界で最も知られている一図が《神奈川沖浪裏かながわおきなみうら》である。この作品については、メトロポリタン美術館の科学研究部門(Marco Leona博士ら)が顕微分光分析と3Dスキャニング顕微鏡を用いた調査を行っている。

従来、波の深い青はベロ藍の濃淡だけで表現されていると考えられていた。薄い青と濃い青を摺り分けているだけだ、と。

分光分析の結果は違っていた。

波の暗い縦縞と輪郭線を摺る際、職人たちはベロ藍と伝統的な藍(インディゴ)を混合していた。この混合によって、暗く沈んだ砲金色ほうきんしょくに近い青灰色ができる。まずこれで下摺りを行う。

その上から、純粋で彩度の高いベロ藍を重ねて摺る。波のくぼみや陰影の部分、そして縞と縞のあいだの余白がこれで埋められていく。

神奈川沖浪裏かながわおきなみうら》(冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 波の暗部は一度で摺られていない。藍を混ぜた暗い下摺りの上に、純粋なベロ藍を重ねている。 Wikimedia Commons(The Great Wave off Kanagawa.jpg)

なぜこの手順を踏むのか。単純にベロ藍を濃く摺れば、確かに暗くはなる。しかし濃度を上げるほど色は濁り、あの鮮烈な青の色相が失われる。逆に藍だけで暗部を作れば、今度は全体が沈んで彩度が出ない。

二つの顔料を混ぜた層を下に敷き、その上に純粋な顔料を重ねることで、色相を保ったまま暗さを作ることができる。深い陰影と鮮やかさが両立している。

この手順を設計したのが北斎自身なのか、摺師すりしなのか、両者の協議によるものなのかは記録に残っていない。分かっているのは、名前の残らなかった職人たちが、輸入されたばかりの材料の性質を理解し、それを扱う工程を組み立てたということである。

表面のトポグラフィ 3D MICROSCOPY 06

紙にできた三段の高さ

同じ調査で、もうひとつ別のことが測定されている。紙の表面の高さである。

木版画では、摺師すりしがバレンで紙を版木はんぎに押しつける。このとき版木はんぎの凸部が紙に食い込み、その部分がわずかに沈む。絵具が載ると同時に、紙が物理的に変形している。

メトロポリタン美術館は3Dスキャニング顕微鏡で版画表面をマッピングした。得られたのは、色の層ごとに紙の高さが違うというデータである。

波のくぼみの部分を見ると、三つの高さがある。

いちばん高いのは、摺られていない白い水しぶきの部分。ここには版木はんぎが当たっていないので、紙は元の高さのままである。次が一度だけ摺られたミディアム・ブルーの部分。ここは一回沈んでいる。いちばん低いのが二度摺られたディープ・ブルーの部分で、二回押し込まれている。

つまり、色が濃い場所ほど紙が沈んでいる。

この段差は、肉眼ではほとんど分からない。しかし版画を手に取って光を当てれば、影ができる。指でなぞれば、わずかに引っかかる。鑑賞者はそれを意識しないまま、色の対比と同時に微細な凹凸を受け取っている。

波が立体的に見えるのは、描かれた形と色のためだけではない。紙そのものが波の形に凹んでいるからでもある。二次元の版画が、実際には薄い三次元の物体として作られていた。

複製の画像では、この層は完全に失われる。画面で見る《神奈川沖浪裏かながわおきなみうら》と、実物の《神奈川沖浪裏かながわおきなみうら》は、物として別のものである。

空摺りからずり KARAZURI 07

色を使わずに描く

立体感を作る方法は、色を重ねることだけではない。顔料をまったく載せずに版木はんぎを押し当てるという技法がある。空摺り(からずり)という。

絵具のついていない版木はんぎに紙を置き、バレンで強く押す。紙は版木はんぎの凹凸の形に変形し、そこだけ表面が沈む、あるいは盛り上がる。色は付かない。付くのは形だけである。

東京国立博物館が所蔵する『冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい武州玉川ぶしゅうたまがわ』に、この技法がはっきり確認できる。

武州玉川ぶしゅうたまがわ》(冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 画面の大半を占める川幅に、白から濃紺までのベロ藍の階調が置かれている。水面の白い部分には顔料が載っておらず、版木はんぎの凹凸だけで波頭が表されている。 東京国立博物館所蔵(A-11176-10)/Wikimedia Commons

この作品では、画面のかなりの面積を多摩川の水面が占めている。そこに白から濃い青までのベロ藍のグラデーションが凝縮されており、色の変化だけで水深と流れが表現されている。

そのうえで、水面に立った細かな波頭と、白く抜けた流れの部分空摺りからずりが施されている。ここには顔料がない。あるのは紙の凹凸だけである。

効果は光の当たり方で変わる。正面から見れば、そこはただの白い紙に見える。角度をつければ、凹凸が影を作り、水面が煌めいてきらめいているように見える。作品を見る角度によって、画面の見え方が変わる

色の層と物理的な凹凸の層を別々に制御して、紙の上に薄い立体を作る。ここで行われているのは、絵を描くというより、浅浮き彫りに近い作業である。

作図法 RYAKUGA HAYAOSHIE 08

万物は丸と角である

北斎の画面が持つ安定感と、同時に成立している激しい動きは、感覚だけで説明できるものではない。その裏側を本人が公開している資料がある。文化九年(1812年)ごろに刊行された絵手本、『略画早指南(りゃくがはやおしえ)』である。

この本の前編で、北斎は規矩きくの二つをもって諸々の画なすの定位を教ふ」と記した。規矩きくとは、コンパスと定規のことである。江戸では定規を樋定規(ひじょうぎ)、コンパスをぶんまわしと呼んだ。製図用具である。

北斎はこの二つの道具だけで、あらゆるものの形を作図する方法を図解した。前提にあるのは、万物の基本は丸と角、つまり円と四角形に還元できるという考え方である。

複雑な骨格を持つ馬。羽根の重なった鳥。形の定まらない波のうねり。これらはすべて、大小の円弧の連なりと直線の交差として分解でき、座標の上で組み立て直せる。北斎はそう説いた。

この考え方は、彼自身の作品にそのまま現れている。《神奈川沖浪裏かながわおきなみうら》の波は、円の一部を連ねた曲線でできている。爪のように伸びた飛沫しぶきは、大きな円弧から派生した小さな円弧である。そして画面の中心には、直線二本でできた三角形の富士がある。円の運動と三角形の静止が、同じ画面で衝突している。

凱風快晴がいふうかいせい 山、空、鱗雲うろこぐも、裾野の樹林。要素を四つに削り、直線と曲線の対比だけで画面を作っている。 Wikimedia Commons
駿州江尻すんしゅうえじり 突風で飛ばされた紙が、風の軌跡を可視化している。目に見えないものを線の配置で描く例。 Wikimedia Commons

研究者や画家が北斎の風景画を評して「思わず補助線を引きたくなる」と言うのは、この構造による。画面の背後に、見えないグリッドと円周が張られている。

絵手本 ETEHON 09

絵手本というシステム

略画早指南りゃくがはやおしえ』は単発の企画ではない。北斎は絵手本を精力的に出版し続けている。

一筆画譜いっぴつがふは、一本の線を切らずに描き切る方法を集めた本である。画本早引えほんはやびきは、あらゆる画題をいろは順に並べたビジュアル事典で、辞書と同じ引き方ができる。「や」の項を開けば、八岐大蛇やまたのおろちと焼餅が並んでいる。神話上の怪物と、餅を焼く場面が、同じ見出しの下に等価に置かれる。数本の線だけで対象を成立させる方法が示されている。

『諸職絵本 新鄙形(しょしょくえほん しんひながた)』では、神社仏閣の建築や梵鐘ぼんしょうの構造を、設計図に近い描き方で示した。『新形小紋帳(しんがたこもんちょう)』は、着物に使う小紋の柄を集めた本で、模様が繰り返しの単位に分解されている。テキスタイルのモジュール集である。

『北斎漫画』より 市井の人々の姿態を集めた頁。 Wikimedia Commons
『北斎漫画』六編より 人物の動作を分解して並べた頁。 Wikimedia Commons

そして『北斎漫画』がある。文化十一年(1814年)に初編が出て、最終的に全十五編、約四千図に達した。人物、動植物、風景、建築、妖怪、神仏。相互に無関係な図が延々と並ぶ。

これらの出版物の読者は、門人だけではなかった。職人が図案を探すための資料として広く使われている。蒔絵師まきえし、染物屋、彫刻師。安房あわの宮彫師である武志伊八郎信由が北斎の図から影響を受けたとされるのは、その一例である。

POINT

絵手本を出すということは、自分の技法を他人が再現できる形にして売るということでもある。北斎は、絵を描く手順を秘伝として囲い込まず、誰でも使える道具の組み合わせに翻訳して出版した。定規とコンパスは、当時どこの職人の手元にもあった。

1830年代初頭 36 VIEWS OF FUJI 10

冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』全46図

冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』は、題名に反して全46図ある。

企画された当初は三十六図だった。刊行が始まると売れ行きがよく、版元の西村屋与八にしむらやよはちは十図を追加した。この追加分の十図を裏富士、当初の三十六図を表富士と呼び分ける習慣がある。

追加分では輪郭線が黒で摺られており、初期の藍摺あいずりに近い作りとは印象が異なる。シリーズの途中で、商品としての仕様が変わっている。

この連作が浮世絵の市場で果たした役割は大きい。それまで版元にとっての主力商品は役者絵と美人画であり、風景は人物の背景として存在していた。『冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』は風景そのものを売れる商品として成立させた。以後、歌川広重の『東海道五拾三次』をはじめ、名所絵は浮世絵の一大ジャンルになる。

富士という主題の選び方も、市場を意識している。当時、街道が整い、庶民が寺社参詣を名目に旅へ出るようになっていた。富士講ふじこうの信仰も広がっていた。富士は誰もが知っており、しかも実際に見た人は限られている。行った土地を思い出すためにも、行っていない土地を眺めるためにも買われる主題である。

礫川雪ノ且こいしかわゆきのあした 雪の朝の茶屋。屋内の人物と屋外の風景を同じ画面に入れている。 Wikimedia Commons
《東海道江尻田子の浦略図》 海面の広がりと、その奥の富士。人物は画面の下端に小さく配置される。 Wikimedia Commons

四十六図を通して見ると、富士の扱いが一定でないことに気づく。画面の主役になる図もあれば、労働している人々の背後に小さく写り込むだけの図もある。桶の内側から見えたり、樹木の枝越しに現れたりもする。同じ山を、あらゆる距離と角度から提示するという構成そのものが、この連作の主題になっている。

1830年代 SERIES 11

水の連作

冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』と同じ時期、北斎は他の連作にも取りかかっている。共通しているのは、ひとつの主題を複数の図で解体するという方法である。

諸国瀧廻りしょこくたきめぐりは各地の滝を集めた全八図の連作で、天保てんぽう四年(1833年)ごろ、同じく西村屋与八にしむらやよはちから出た。滝を主題にした浮世絵の連作としては最初のものとされる。

八図はいずれも、滝が画面のほとんどを占め、人間は極端に小さい。落下する水の描き方は図ごとに違う。太い帯として垂直に落ちるもの、細い縞に分解されるもの、上部で円形に溜まってから落ちるもの。北斎の関心は各地の名所を紹介することよりも、水という形の定まらないものを、どう線に置き換えるかにあった。

木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧きそじのおくあみだがたき》(諸国瀧廻りしょこくたきめぐり 滝の上部が円形に膨らみ、そこから縞状の水が落ちる。自然の地形を幾何学的な形に置き換えている。 大英博物館所蔵/Wikimedia Commons

諸国名橋奇覧しょこくめいきょうきらんは各地の橋を集めた連作である。ここでも主題は風景ではなく構造で、吊橋の縄の垂れ方、桁の組み方、橋脚の並び方が画面の主役になっている。土木構造物を描いた版画として、現在は工学の側からも参照されている。

飛越の堺つりはしひえつのさかいつりはし》(諸国名橋奇覧しょこくめいきょうきらん 谷にかかる吊橋。縄の描く曲線と、それを渡る人物の姿勢が画面を構成している。 Wikimedia Commons(Pont Hida Etchy Hokusai.jpg)

千絵の海ちえのうみは漁の場面を集めた連作である。東京国立博物館が所蔵する《甲州火振こうしゅうひぶり》は、夜の川で火を振りまわして魚を集める漁を描いており、黒々と摺られた夜空と、漁火いさりびの鮮烈な明るさが対比されている。暗部を版で作り、明部を紙の白で残すという構成である。

花鳥画も手がけた。同じく東京国立博物館の《桜花に鷹》は、七十代の落款らっかん「前北斎為一いいつ筆」を持つ作品で、『富嶽百景ふがくひゃっけい』に描かれた鷹と同じ姿勢を取っている。同じ形を版本はんぽんと一枚絵の両方で使いまわすという制作のしかたが、ここから見える。

架に据えられた鷹 北斎は鷹を繰り返し描いている。羽根一枚ずつの重なりと、爪の握りが克明に捉えられている。 Wikimedia Commons(Hawk on a ceremonial stand.jpg)
1850年代以降 JAPONISME 12

海を渡った青

1853年の開国後、浮世絵はヨーロッパへ流入した。陶器の緩衝材かんしょうざいとして使われていた紙が現地で開かれた、という経緯がよく語られる。

西洋の画家たちが受けた衝撃は、主に三点にあった。平面的な空間処理画面の端で対象を大胆に切るトリミング。そして鮮烈な色彩である。三点目の色が、彼ら自身の大陸で合成されたプルシアンブルーだったのは皮肉と言うほかない。

美術評論家のフィリップ・ビュルティは1866年の著書で、北斎の筆致ひっちをルーベンスに、優雅さをヴァトーに、幻想性をゴヤに、躍動感をドラクロワに例えて論じた。西洋美術史の頂点にある画家たちを、一人の東洋の版画家に並べたことになる。

フィンセント・ファン・ゴッホは、1885年と1888年の弟テオ宛の手紙で北斎の名を挙げている。アルルの風景を前にして、これは純粋な北斎の世界だ、という趣旨のことを書いた。クロード・モネエドゥアール・ヴュイヤールも北斎の版画を収集し、自分の色彩と構図に取り込んでいる。

影響は音楽にも及んだ。クロード・ドビュッシー(1862–1918)は、ローマ留学時代から日本の美術品を集めており、パリの書斎に《神奈川沖浪裏かながわおきなみうら》を額装して掛けていた。

ドビュッシーは、古典派やロマン派の厳格な形式——動機を展開して構造を組み上げていく作法——を嫌っていた。彼が求めたのは、自然のエネルギーの推移そのものを音にすることである。1905年に発表した交響詩『海(La Mer)』は、北斎の波の運動から直接の着想を得ている。同年の初版スコアの表紙には、《神奈川沖浪裏かながわおきなみうら》の波がそのまま使われた。

POINT

ヨーロッパで合成された顔料が江戸に届き、その顔料で摺られた版画が数十年後にヨーロッパへ戻り、現地の絵画と音楽を変えた。材料は往復しているが、その間に日本側で加えられたのは、二重摺りという工程と、円と直線による作図法だった。

LIST / 一覧主要作品一覧

本記事で扱った作品と連作をまとめた。所蔵は2026年8月時点。

作品名制作年形式特記事項所蔵・公開
略画早指南りゃくがはやおしえ1812年ごろ版本はんぽん(絵手本)定規とコンパスによる作図法を図解各館
北斎漫画1814年〜版本はんぽん(全15編・約4,000図)最後の3編は没後刊行国立国会図書館ほか
冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 神奈川沖浪裏かながわおきなみうら1830年代初頭錦絵にしきえ(横大判)ベロ藍と藍の二重摺り。紙面に三段の凹凸東京国立博物館/メトロポリタン美術館ほか
冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 凱風快晴がいふうかいせい1830年代初頭錦絵にしきえ(横大判)通称「赤富士」。人物を排した構成東京国立博物館(A-11176-1)ほか
冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 武州玉川ぶしゅうたまがわ1830年代初頭錦絵にしきえ(横大判)水面の白い部分に空摺りからずり東京国立博物館(A-11176-10)
冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 深川万年橋下1830年代初頭錦絵にしきえ(横大判)橋の弧を額縁として使う構図各館
冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 五百らかん寺さゞゐどう1830年代初頭錦絵にしきえ(横大判)回廊の人物の視線で奥行きを作る各館
冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 駿州江尻すんしゅうえじり1830年代初頭錦絵にしきえ(横大判)飛ばされた紙で風を可視化各館
冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 礫川雪ノ且こいしかわゆきのあした1830年代初頭錦絵にしきえ(横大判)屋内と屋外を同一画面に配置各館
冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 東海道江尻田子の浦略図1830年代初頭錦絵にしきえ(横大判)海面の広がりと遠景の富士各館
諸国瀧廻りしょこくたきめぐり 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧きそじのおくあみだがたき1833年ごろ錦絵にしきえ(縦大判・全8図)滝を主題にした最初の連作とされる大英博物館/東京国立博物館ほか
諸国名橋奇覧しょこくめいきょうきらん 飛越の堺つりはしひえつのさかいつりはし1830年代錦絵にしきえ橋の構造そのものが主題各館
千絵の海ちえのうみ 甲州火振こうしゅうひぶり1830年代錦絵にしきえ夜空の黒摺りと漁火いさりびの対比東京国立博物館(A-10569-643)
桜花に鷹1830年代(70歳代)錦絵にしきえ落款らっかん「前北斎為一いいつ筆」。『富嶽百景ふがくひゃっけい』と同姿東京国立博物館(A-10569-697)
富嶽百景ふがくひゃっけい1834年〜版本はんぽん(全3編)墨一色。跋文ばつぶんに画業の自己評価国立国会図書館ほか

BOOKS & FILM / 本と映像作品をもっと見るために

葛飾北斎 冨嶽三十六景 画集 全46作品収録
全46図

葛飾北斎 冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい 画集(A4ポスター用)全46作品収録

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冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』の全46図を、鑑賞と印刷の両方に使える形で収録した画集。本記事の第10章で触れたとおり、このシリーズは表富士36図と裏富士10図で仕様が変わる。全図を続けて見ると、輪郭線の色や色数の変化が図の並びとして確認できる。A4での出力を前提にしているため、細部を大きく見たい場合に向く。

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葛飾北斎 冨嶽三十六景
作品集

葛飾北斎 冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい

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冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』の標準的な作品集。Kindle Unlimitedの対象になっていることが多く、まず全体を通して見たい場合の入口として使いやすい。個々の図の解説より図版の閲覧に重心があるため、本記事で扱った顔料や摺りの話は別の資料で補うことになる。

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葛飾北斎 冨嶽2冊セット『冨嶽三十六景』『富嶽百景』
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葛飾北斎 冨嶽2冊セット『冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』『富嶽百景ふがくひゃっけい

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多色摺りの錦絵にしきえ冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい』と、墨一色の版本はんぽん富嶽百景ふがくひゃっけい』をセットにした構成。同じ富士という主題を、色を使う場合と使わない場合でどう扱ったかを並べて確認できる。色を捨てたときに何が残るのかという問いに、そのまま答えが出ている組み合わせで、本記事の第4章と第10章を読んだあとに開くと違いが分かりやすい。

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北斎肉筆画大全
肉筆画にくひつが

北斎肉筆画にくひつが大全

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版画ではなく、北斎が紙や絹に直接筆を下ろした一点物を集めた画集。彫師と摺師すりしを経由しない分、線の速度と筆圧がそのまま残っている。本記事は版画技法を主に扱っているが、北斎が八十代で比重を移した先がこの形式であり、版画と肉筆の両方を見ることで画業の全体像がつかめる。

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江戸春画 江戸文化が生んだ耽美
艶本えんぽん・成人向け

江戸春画 江戸文化が生んだ耽美たんび

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歌川国芳らの作品とあわせて、北斎が手がけた艶本えんぽんを扱った資料。春画は江戸の版画市場において無視できない比重を占めており、高価な顔料や高度な摺り技法が投入された分野でもある。人体描写の水準を確認する資料としての価値がある一方、内容は成人向けであるため、購入前に対象読者の確認をおすすめする。

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REFERENCES / 出典参考文献

科学的分析・調査報告

  • The Metropolitan Museum of Art, “The Great Wave: Anatomy of an Icon”(顕微分光分析および3Dスキャニング顕微鏡による調査)
  • 東京文化財研究所/下山進(吉備国際大学名誉教授)/松井英男(礫川浮世絵美術館こいしかわうきよえびじゅつかん)による蛍光X線分析を用いたベロ藍導入時期の特定

北斎の絵手本(一次資料)

  • 葛飾北斎『略画早指南りゃくがはやおしえ』前編・後編(1812年ごろ〜)
  • 葛飾北斎『一筆画譜いっぴつがふ』『画本早引えほんはやびき
  • 葛飾北斎『諸職絵本 新鄙形しょしょくえほん しんひながた』『新形小紋帳しんがたこもんちょう
  • 葛飾北斎『北斎漫画』全15編
  • 葛飾北斎『富嶽百景ふがくひゃっけい』全3編

所蔵館・公的機関の資料

  • 東京国立博物館/ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)作品解説
  • 国立国会図書館デジタルコレクション
  • メトロポリタン美術館 オープンアクセス・コレクション
  • 大英博物館 北斎関連展覧会資料
  • すみだ北斎美術館/北斎館(長野県小布施おぶせ町)

ジャポニスム関連

  • フィリップ・ビュルティによる北斎評(1866年)
  • フィンセント・ファン・ゴッホのテオ宛書簡(1885年、1888年)
  • クロード・ドビュッシー『海(La Mer)』初版スコア(1905年)
最終更新:2026年8月23日

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