葛飾北斎の作品The Works of Katsushika Hokusai
『冨嶽三十六景』のあの青は、日本の伝統色ではない。1704年にベルリンで偶然合成された化学顔料が、百年以上かけて長崎に届き、天保のはじめに浮世絵へ入った。それがいつ入ったのかは、蛍光X線分析で鉄元素を検出することによって特定されている。この記事では、北斎の作品を顔料と版画技法の側から一点ずつたどり、最後に無料で見られる場所をまとめる。

- 『冨嶽三十六景』の青は輸入化学顔料ベロ藍である。浮世絵への本格導入が天保元年(1830年)後半以降であることは、蛍光X線分析による鉄元素の検出で科学的に特定されている。
- 《神奈川沖浪裏》の深い青は一度で摺られていない。ベロ藍と伝統的な藍を混ぜた下摺りの上に、純粋なベロ藍を重ねる二重摺りが分光分析で確認されている。
- 北斎は自分の技法を隠さなかった。『略画早指南』では定規とコンパスだけであらゆる形を作図する方法を公開し、絵手本として大量に流通させている。
葛飾北斎の作品
顔料と版画技法の話から始め、作図法を挟んで、連作を一つずつ。最後に無料で見られる場所をまとめる。
3万点をどう数えるか
葛飾北斎が制作した絵の数は、版下絵や素描を含めて3万点を超えるとされる。挿絵を手がけた書物は500点前後。画業の期間は70年以上におよぶ。油彩画家の作品数とは桁が違うが、これは北斎が主に版画と版本の絵師だったことによる。
作品は大きく四つの形式に分かれる。
ひとつめは錦絵である。多色摺りの一枚物の版画で、『冨嶽三十六景』はこれにあたる。版元が企画し、絵師が版下絵を描き、彫師が版木を彫り、摺師が摺る。数百枚から数千枚が市場に出る商品であり、一枚あたりの価格は蕎麦一杯ほどだったと言われる。
ふたつめは版本である。本の形をした出版物で、読本の挿絵、絵手本、絵本がここに入る。『北斎漫画』も『富嶽百景』も版本である。多くは墨一色、あるいは墨と淡い色の数版だけで摺られている。
みっつめは肉筆画。紙や絹に直接筆を下ろした一点物で、版元も彫師も摺師も介在しない。掛軸、屏風、絵馬、天井画がこれにあたる。北斎は八十代に入ってからこの形式に比重を移した。
よっつめは摺物である。市販されない私家版の版画で、狂歌の連や個人が特別な機会に配るために作らせる。部数が少なく費用は注文主が負担するため、市販の錦絵では採算の合わない高価な顔料や、金銀、空摺りといった技法を使うことができた。技術の実験場として機能している。
制作年を特定する手がかりのひとつが落款である。北斎は生涯に三十回以上画号を改めており、その改号が作品に署名として残っている。「勝川春朗」なら勝川派時代、「北斎辰政」なら寛政末、「葛飾北斎」以降は独立後、「戴斗」は『北斎漫画』の時期、「為一」は文政三年(1820年)以降、「画狂老人卍」は天保五年(1834年)以降にあたる。
『冨嶽三十六景』の落款は「北斎改為一筆」である。北斎あらため為一が描いた、という意味で、改号したばかりであることを客に知らせている。署名がそのまま出版上の告知になっていた。
ベルリンで偶然できた青
『冨嶽三十六景』を見て最初に目に入るのは、深く、透明感があり、退色していない青である。この色はベロ藍と呼ばれる。ベルリン・ブルー、プルシアンブルー、アイアンブルーとも言う。天然の鉱物でも植物でもなく、人工の化学顔料である。
できたのは1704年、ヨーロッパ。染料業者のヨハン・ヤコブ・ディースバッハが、赤い顔料を作ろうとして失敗した結果として生まれた。彼はコチニールの抽出液に、ミョウバンと硫酸鉄、そして炭酸カリウムを混ぜた。このとき使ったカリウムが不純物としてシアン化物を含んでいた。生じたのは期待した赤ではなく、濃密な青の沈殿だった。世界で最初の合成配位化合物である。
この青が日本へ届くまでに、百年以上かかっている。
それ以前、浮世絵の青には主にツユクサと植物由来の藍(インディゴ)が使われていた。どちらも紫外線に弱い。摺り上がった直後は美しくても、日に当たれば数年で褪せる。現存する古い浮世絵の空が緑がかっていたり、ほとんど白く抜けていたりするのは、この退色による。彩度と透明感にも限界があった。
鉱物由来の本群青——ラピスラズリを砕いた顔料——であれば深い青が出せるが、これは極めて高価である。一枚あたり蕎麦一杯ほどの値段で売る大衆向けの版画に使える材料ではない。
ベロ藍は、この二つの問題を同時に解いた。安価でありながら発色が鮮やかで、しかも水に強い。木版画では水で溶いた絵具を版木に置いて摺るため、耐水性は決定的に重要である。ベロ藍は摺りムラが出にくく、濃淡の調整も利いた。木版画の顔料として、これ以上ないほど条件に合っていた。
鉄元素で年代を特定する
ベロ藍が日本の浮世絵にいつ使われはじめたのか。これは長いあいだ確証のない問題だった。文献に記録が残っていないうえ、目視では伝統的な藍と区別がつかない場合があるためである。
この問題を解いたのは、化学分析だった。
東京文化財研究所、吉備国際大学の下山進名誉教授、礫川浮世絵美術館の故・松井英男らによる共同研究は、蛍光X線分析を用いて浮世絵の青色部分に含まれる元素を調べた。ベロ藍はフェロシアン化鉄であり、主成分に鉄を含む。一方、ツユクサや植物性の藍は有機色素であって鉄を含まない。青い部分から鉄が検出されれば、そこにベロ藍が使われていることになる。
問題は、分析する作品の制作年が分かっていなければ意味がないという点である。ここで使われたのが歌舞伎番付などの役者絵だった。上演された演目と役者の組み合わせから、興行の年月を特定できる資料群である。
分析を重ねた結果、境目がはっきりした。天保元年(1830年)の後半以降に制作された作品から、鉄元素が検出されるようになる。それ以前の作品からは検出されない。ベロ藍が浮世絵に本格的に導入された時期が、科学的に確定した。
『冨嶽三十六景』の刊行が始まったのは、その直後である。北斎と版元の西村屋与八は、新しい顔料が使えるようになったその年のうちに、それを全面採用した連作を市場へ出したことになる。
蛍光X線分析は試料を採取せず、作品に触れずに元素を調べられる。文化財の調査で広く使われている手法で、絵具の層を破壊しない点が重要である。
藍摺という商品
新しい顔料が手に入ったとき、北斎と永寿堂が最初にしたことのひとつが、青だけで画面を構成するという試みだった。
これを藍摺(あいずり)という。輪郭線も、空も、水も、山も、すべて青の濃淡だけで摺る。色数を減らせば版木の数が減り、摺りの工程も減る。制作費が下がる。それでいて、新奇な見た目の商品になる。
採算と表現が同じ方向を向いていた。ベロ藍は濃淡の階調が作りやすい顔料であり、薄めれば水色から、重ねれば黒に近い紺まで出せる。単色でありながら、明暗の幅が広い。西洋の銅版画やエッチングが単色で立体を表現していたのと、原理的には同じことを木版でやったことになる。
『冨嶽三十六景』の初期の図には、この藍摺の性格が強く残っている。輪郭線が黒ではなく青で摺られており、画面全体が青に統一されている。後半になるにつれて色数が増え、黒い輪郭線も使われるようになる。同じシリーズの中で、商品としての作り方が変化していく。
皮肉なのは、この「日本的」と受け取られてきた青が、ヨーロッパで合成された化学物質だったという点である。数十年後、パリの画家たちは浮世絵の色に驚くことになるが、彼らが見ていた青は自分たちの側で作られたものだった。
《神奈川沖浪裏》の二重摺り
『冨嶽三十六景』のうち、世界で最も知られている一図が《神奈川沖浪裏》である。この作品については、メトロポリタン美術館の科学研究部門(Marco Leona博士ら)が顕微分光分析と3Dスキャニング顕微鏡を用いた調査を行っている。
従来、波の深い青はベロ藍の濃淡だけで表現されていると考えられていた。薄い青と濃い青を摺り分けているだけだ、と。
分光分析の結果は違っていた。
波の暗い縦縞と輪郭線を摺る際、職人たちはベロ藍と伝統的な藍(インディゴ)を混合していた。この混合によって、暗く沈んだ砲金色に近い青灰色ができる。まずこれで下摺りを行う。
その上から、純粋で彩度の高いベロ藍を重ねて摺る。波のくぼみや陰影の部分、そして縞と縞のあいだの余白がこれで埋められていく。
なぜこの手順を踏むのか。単純にベロ藍を濃く摺れば、確かに暗くはなる。しかし濃度を上げるほど色は濁り、あの鮮烈な青の色相が失われる。逆に藍だけで暗部を作れば、今度は全体が沈んで彩度が出ない。
二つの顔料を混ぜた層を下に敷き、その上に純粋な顔料を重ねることで、色相を保ったまま暗さを作ることができる。深い陰影と鮮やかさが両立している。
この手順を設計したのが北斎自身なのか、摺師なのか、両者の協議によるものなのかは記録に残っていない。分かっているのは、名前の残らなかった職人たちが、輸入されたばかりの材料の性質を理解し、それを扱う工程を組み立てたということである。
紙にできた三段の高さ
同じ調査で、もうひとつ別のことが測定されている。紙の表面の高さである。
木版画では、摺師がバレンで紙を版木に押しつける。このとき版木の凸部が紙に食い込み、その部分がわずかに沈む。絵具が載ると同時に、紙が物理的に変形している。
メトロポリタン美術館は3Dスキャニング顕微鏡で版画表面をマッピングした。得られたのは、色の層ごとに紙の高さが違うというデータである。
波のくぼみの部分を見ると、三つの高さがある。
いちばん高いのは、摺られていない白い水しぶきの部分。ここには版木が当たっていないので、紙は元の高さのままである。次が一度だけ摺られたミディアム・ブルーの部分。ここは一回沈んでいる。いちばん低いのが二度摺られたディープ・ブルーの部分で、二回押し込まれている。
つまり、色が濃い場所ほど紙が沈んでいる。
この段差は、肉眼ではほとんど分からない。しかし版画を手に取って光を当てれば、影ができる。指でなぞれば、わずかに引っかかる。鑑賞者はそれを意識しないまま、色の対比と同時に微細な凹凸を受け取っている。
波が立体的に見えるのは、描かれた形と色のためだけではない。紙そのものが波の形に凹んでいるからでもある。二次元の版画が、実際には薄い三次元の物体として作られていた。
複製の画像では、この層は完全に失われる。画面で見る《神奈川沖浪裏》と、実物の《神奈川沖浪裏》は、物として別のものである。
色を使わずに描く
立体感を作る方法は、色を重ねることだけではない。顔料をまったく載せずに版木を押し当てるという技法がある。空摺り(からずり)という。
絵具のついていない版木に紙を置き、バレンで強く押す。紙は版木の凹凸の形に変形し、そこだけ表面が沈む、あるいは盛り上がる。色は付かない。付くのは形だけである。
東京国立博物館が所蔵する『冨嶽三十六景・武州玉川』に、この技法がはっきり確認できる。
この作品では、画面のかなりの面積を多摩川の水面が占めている。そこに白から濃い青までのベロ藍のグラデーションが凝縮されており、色の変化だけで水深と流れが表現されている。
そのうえで、水面に立った細かな波頭と、白く抜けた流れの部分に空摺りが施されている。ここには顔料がない。あるのは紙の凹凸だけである。
効果は光の当たり方で変わる。正面から見れば、そこはただの白い紙に見える。角度をつければ、凹凸が影を作り、水面が煌めいているように見える。作品を見る角度によって、画面の見え方が変わる。
色の層と物理的な凹凸の層を別々に制御して、紙の上に薄い立体を作る。ここで行われているのは、絵を描くというより、浅浮き彫りに近い作業である。
万物は丸と角である
北斎の画面が持つ安定感と、同時に成立している激しい動きは、感覚だけで説明できるものではない。その裏側を本人が公開している資料がある。文化九年(1812年)ごろに刊行された絵手本、『略画早指南(りゃくがはやおしえ)』である。
この本の前編で、北斎は「規矩の二つをもって諸々の画なすの定位を教ふ」と記した。規矩とは、コンパスと定規のことである。江戸では定規を樋定規(ひじょうぎ)、コンパスをぶんまわしと呼んだ。製図用具である。
北斎はこの二つの道具だけで、あらゆるものの形を作図する方法を図解した。前提にあるのは、万物の基本は丸と角、つまり円と四角形に還元できるという考え方である。
複雑な骨格を持つ馬。羽根の重なった鳥。形の定まらない波のうねり。これらはすべて、大小の円弧の連なりと直線の交差として分解でき、座標の上で組み立て直せる。北斎はそう説いた。
この考え方は、彼自身の作品にそのまま現れている。《神奈川沖浪裏》の波は、円の一部を連ねた曲線でできている。爪のように伸びた飛沫は、大きな円弧から派生した小さな円弧である。そして画面の中心には、直線二本でできた三角形の富士がある。円の運動と三角形の静止が、同じ画面で衝突している。
研究者や画家が北斎の風景画を評して「思わず補助線を引きたくなる」と言うのは、この構造による。画面の背後に、見えないグリッドと円周が張られている。
絵手本というシステム
『略画早指南』は単発の企画ではない。北斎は絵手本を精力的に出版し続けている。
『一筆画譜』は、一本の線を切らずに描き切る方法を集めた本である。『画本早引』は、あらゆる画題をいろは順に並べたビジュアル事典で、辞書と同じ引き方ができる。「や」の項を開けば、八岐大蛇と焼餅が並んでいる。神話上の怪物と、餅を焼く場面が、同じ見出しの下に等価に置かれる。数本の線だけで対象を成立させる方法が示されている。
『諸職絵本 新鄙形(しょしょくえほん しんひながた)』では、神社仏閣の建築や梵鐘の構造を、設計図に近い描き方で示した。『新形小紋帳(しんがたこもんちょう)』は、着物に使う小紋の柄を集めた本で、模様が繰り返しの単位に分解されている。テキスタイルのモジュール集である。
そして『北斎漫画』がある。文化十一年(1814年)に初編が出て、最終的に全十五編、約四千図に達した。人物、動植物、風景、建築、妖怪、神仏。相互に無関係な図が延々と並ぶ。
これらの出版物の読者は、門人だけではなかった。職人が図案を探すための資料として広く使われている。蒔絵師、染物屋、彫刻師。安房の宮彫師である武志伊八郎信由が北斎の図から影響を受けたとされるのは、その一例である。
絵手本を出すということは、自分の技法を他人が再現できる形にして売るということでもある。北斎は、絵を描く手順を秘伝として囲い込まず、誰でも使える道具の組み合わせに翻訳して出版した。定規とコンパスは、当時どこの職人の手元にもあった。
『冨嶽三十六景』全46図
『冨嶽三十六景』は、題名に反して全46図ある。
企画された当初は三十六図だった。刊行が始まると売れ行きがよく、版元の西村屋与八は十図を追加した。この追加分の十図を裏富士、当初の三十六図を表富士と呼び分ける習慣がある。
追加分では輪郭線が黒で摺られており、初期の藍摺に近い作りとは印象が異なる。シリーズの途中で、商品としての仕様が変わっている。
この連作が浮世絵の市場で果たした役割は大きい。それまで版元にとっての主力商品は役者絵と美人画であり、風景は人物の背景として存在していた。『冨嶽三十六景』は風景そのものを売れる商品として成立させた。以後、歌川広重の『東海道五拾三次』をはじめ、名所絵は浮世絵の一大ジャンルになる。
富士という主題の選び方も、市場を意識している。当時、街道が整い、庶民が寺社参詣を名目に旅へ出るようになっていた。富士講の信仰も広がっていた。富士は誰もが知っており、しかも実際に見た人は限られている。行った土地を思い出すためにも、行っていない土地を眺めるためにも買われる主題である。
四十六図を通して見ると、富士の扱いが一定でないことに気づく。画面の主役になる図もあれば、労働している人々の背後に小さく写り込むだけの図もある。桶の内側から見えたり、樹木の枝越しに現れたりもする。同じ山を、あらゆる距離と角度から提示するという構成そのものが、この連作の主題になっている。
水の連作
『冨嶽三十六景』と同じ時期、北斎は他の連作にも取りかかっている。共通しているのは、ひとつの主題を複数の図で解体するという方法である。
『諸国瀧廻り』は各地の滝を集めた全八図の連作で、天保四年(1833年)ごろ、同じく西村屋与八から出た。滝を主題にした浮世絵の連作としては最初のものとされる。
八図はいずれも、滝が画面のほとんどを占め、人間は極端に小さい。落下する水の描き方は図ごとに違う。太い帯として垂直に落ちるもの、細い縞に分解されるもの、上部で円形に溜まってから落ちるもの。北斎の関心は各地の名所を紹介することよりも、水という形の定まらないものを、どう線に置き換えるかにあった。
『諸国名橋奇覧』は各地の橋を集めた連作である。ここでも主題は風景ではなく構造で、吊橋の縄の垂れ方、桁の組み方、橋脚の並び方が画面の主役になっている。土木構造物を描いた版画として、現在は工学の側からも参照されている。
『千絵の海』は漁の場面を集めた連作である。東京国立博物館が所蔵する《甲州火振》は、夜の川で火を振りまわして魚を集める漁を描いており、黒々と摺られた夜空と、漁火の鮮烈な明るさが対比されている。暗部を版で作り、明部を紙の白で残すという構成である。
花鳥画も手がけた。同じく東京国立博物館の《桜花に鷹》は、七十代の落款「前北斎為一筆」を持つ作品で、『富嶽百景』に描かれた鷹と同じ姿勢を取っている。同じ形を版本と一枚絵の両方で使いまわすという制作のしかたが、ここから見える。
海を渡った青
1853年の開国後、浮世絵はヨーロッパへ流入した。陶器の緩衝材として使われていた紙が現地で開かれた、という経緯がよく語られる。
西洋の画家たちが受けた衝撃は、主に三点にあった。平面的な空間処理。画面の端で対象を大胆に切るトリミング。そして鮮烈な色彩である。三点目の色が、彼ら自身の大陸で合成されたプルシアンブルーだったのは皮肉と言うほかない。
美術評論家のフィリップ・ビュルティは1866年の著書で、北斎の筆致をルーベンスに、優雅さをヴァトーに、幻想性をゴヤに、躍動感をドラクロワに例えて論じた。西洋美術史の頂点にある画家たちを、一人の東洋の版画家に並べたことになる。
フィンセント・ファン・ゴッホは、1885年と1888年の弟テオ宛の手紙で北斎の名を挙げている。アルルの風景を前にして、これは純粋な北斎の世界だ、という趣旨のことを書いた。クロード・モネとエドゥアール・ヴュイヤールも北斎の版画を収集し、自分の色彩と構図に取り込んでいる。
影響は音楽にも及んだ。クロード・ドビュッシー(1862–1918)は、ローマ留学時代から日本の美術品を集めており、パリの書斎に《神奈川沖浪裏》を額装して掛けていた。
ドビュッシーは、古典派やロマン派の厳格な形式——動機を展開して構造を組み上げていく作法——を嫌っていた。彼が求めたのは、自然のエネルギーの推移そのものを音にすることである。1905年に発表した交響詩『海(La Mer)』は、北斎の波の運動から直接の着想を得ている。同年の初版スコアの表紙には、《神奈川沖浪裏》の波がそのまま使われた。
ヨーロッパで合成された顔料が江戸に届き、その顔料で摺られた版画が数十年後にヨーロッパへ戻り、現地の絵画と音楽を変えた。材料は往復しているが、その間に日本側で加えられたのは、二重摺りという工程と、円と直線による作図法だった。
LIST / 一覧主要作品一覧
本記事で扱った作品と連作をまとめた。所蔵は2026年8月時点。
| 作品名 | 制作年 | 形式 | 特記事項 | 所蔵・公開 |
|---|---|---|---|---|
| 略画早指南 | 1812年ごろ | 版本(絵手本) | 定規とコンパスによる作図法を図解 | 各館 |
| 北斎漫画 | 1814年〜 | 版本(全15編・約4,000図) | 最後の3編は没後刊行 | 国立国会図書館ほか |
| 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 | 1830年代初頭 | 錦絵(横大判) | ベロ藍と藍の二重摺り。紙面に三段の凹凸 | 東京国立博物館/メトロポリタン美術館ほか |
| 冨嶽三十六景 凱風快晴 | 1830年代初頭 | 錦絵(横大判) | 通称「赤富士」。人物を排した構成 | 東京国立博物館(A-11176-1)ほか |
| 冨嶽三十六景 武州玉川 | 1830年代初頭 | 錦絵(横大判) | 水面の白い部分に空摺り | 東京国立博物館(A-11176-10) |
| 冨嶽三十六景 深川万年橋下 | 1830年代初頭 | 錦絵(横大判) | 橋の弧を額縁として使う構図 | 各館 |
| 冨嶽三十六景 五百らかん寺さゞゐどう | 1830年代初頭 | 錦絵(横大判) | 回廊の人物の視線で奥行きを作る | 各館 |
| 冨嶽三十六景 駿州江尻 | 1830年代初頭 | 錦絵(横大判) | 飛ばされた紙で風を可視化 | 各館 |
| 冨嶽三十六景 礫川雪ノ且 | 1830年代初頭 | 錦絵(横大判) | 屋内と屋外を同一画面に配置 | 各館 |
| 冨嶽三十六景 東海道江尻田子の浦略図 | 1830年代初頭 | 錦絵(横大判) | 海面の広がりと遠景の富士 | 各館 |
| 諸国瀧廻り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧 | 1833年ごろ | 錦絵(縦大判・全8図) | 滝を主題にした最初の連作とされる | 大英博物館/東京国立博物館ほか |
| 諸国名橋奇覧 飛越の堺つりはし | 1830年代 | 錦絵 | 橋の構造そのものが主題 | 各館 |
| 千絵の海 甲州火振 | 1830年代 | 錦絵 | 夜空の黒摺りと漁火の対比 | 東京国立博物館(A-10569-643) |
| 桜花に鷹 | 1830年代(70歳代) | 錦絵 | 落款「前北斎為一筆」。『富嶽百景』と同姿 | 東京国立博物館(A-10569-697) |
| 富嶽百景 | 1834年〜 | 版本(全3編) | 墨一色。跋文に画業の自己評価 | 国立国会図書館ほか |
BOOKS & FILM / 本と映像作品をもっと見るために
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版画ではなく、北斎が紙や絹に直接筆を下ろした一点物を集めた画集。彫師と摺師を経由しない分、線の速度と筆圧がそのまま残っている。本記事は版画技法を主に扱っているが、北斎が八十代で比重を移した先がこの形式であり、版画と肉筆の両方を見ることで画業の全体像がつかめる。
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REFERENCES / 出典参考文献
科学的分析・調査報告
- The Metropolitan Museum of Art, “The Great Wave: Anatomy of an Icon”(顕微分光分析および3Dスキャニング顕微鏡による調査)
- 東京文化財研究所/下山進(吉備国際大学名誉教授)/松井英男(礫川浮世絵美術館)による蛍光X線分析を用いたベロ藍導入時期の特定
北斎の絵手本(一次資料)
- 葛飾北斎『略画早指南』前編・後編(1812年ごろ〜)
- 葛飾北斎『一筆画譜』『画本早引』
- 葛飾北斎『諸職絵本 新鄙形』『新形小紋帳』
- 葛飾北斎『北斎漫画』全15編
- 葛飾北斎『富嶽百景』全3編
所蔵館・公的機関の資料
- 東京国立博物館/ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)作品解説
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- メトロポリタン美術館 オープンアクセス・コレクション
- 大英博物館 北斎関連展覧会資料
- すみだ北斎美術館/北斎館(長野県小布施町)
ジャポニスム関連
- フィリップ・ビュルティによる北斎評(1866年)
- フィンセント・ファン・ゴッホのテオ宛書簡(1885年、1888年)
- クロード・ドビュッシー『海(La Mer)』初版スコア(1905年)



















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