葛飾北斎ゆかりの地In the Footsteps of Katsushika Hokusai
北斎は生涯に93回引っ越したと伝わる。ところが、その転居先の大半は現在の墨田区の内側に収まっている。生まれた家も、娘と暮らした家も、描いた風景も、半径数キロの中にあった。その男が80歳を過ぎてから、二百キロ以上離れた信州小布施へ通うようになる。生誕地の本所から、天井画を残した小布施、そして墓のある浅草まで、いま何が残っているのかをたどる。

- 北斎が住んだ建物は一つも残っていない。あるのは跡地の解説板と標識だけである。生誕地の標柱も撤去され、現在は隣接する緑町公園に解説板が立つ。
- 93回の転居は、ほぼ現在の墨田区内で完結している。生誕地、旧居跡、記念館、描かれた風景が、すべて徒歩圏にある。
- 長野県小布施町。80歳を超えてから通い、岩松院の天井に「八方睨み鳳凰図」を残した。長野駅から電車で30分、駅から徒歩30分ほどの距離にある。
葛飾北斎ゆかりの地をたどる
生まれた本所から、天井画を残した小布施、そして墓のある浅草まで。
93回引っ越して、ほとんど動かなかった
北斎は生涯に93回転居したと伝わる。90年生きたとして、平均すると一年に一度以上引っ越している計算になる。部屋が汚れると掃除をせずに住まいを変えた、という飯島虚心『葛飾北斎伝』の記述が、この数字の背景として引かれることが多い。
ところが、その転居先を地図に落とすと、意外なことが分かる。大半が現在の墨田区の内側に収まっているのである。生まれた本所割下水、娘と暮らした榛馬場、描いた両国橋と隅田川。生活圏の半径はほとんど広がっていない。
したがって、北斎のゆかりの地は大きく二つに整理できる。
ひとつは江戸本所、現在の東京都墨田区である。生誕から画業の大部分までをここで過ごし、錦絵と版本という大衆向けの複製メディアを通じて世に出た。
もうひとつが信州小布施、現在の長野県上高井郡小布施町である。80歳を超えてからパトロンの招きで通い、版元の制約から離れて肉筆の大作を残した。
そして最後に、終焉の地と墓所である台東区元浅草がある。
| エリア | 時期 | この地でのこと | いま |
|---|---|---|---|
| 墨田区(江戸本所) | 1760年〜生涯の大半 | 生誕。錦絵・版本の制作。娘お栄との共同生活 | 解説板・北斎通り・すみだ北斎美術館 |
| 台東区元浅草 | 1849年 | 死去 | 誓教寺に墓と胸像 |
| 長野県小布施町 | 1840年代 | 天井画・祭屋台絵などの肉筆大作 | 岩松院・北斎館・高井鴻山記念館 |
注意しておきたいのは、北斎が実際に住んだ建物は一つも残っていないという点である。生誕地にも旧居跡にも、建物はない。あるのは標識と解説板だけである。訪ねる側は、そこにあったものを想像で補うことになる。
本所割下水 ─ 生まれた場所
宝暦10年(1760年)9月23日、北斎は武蔵国葛飾郡本所割下水で生まれた。現在の東京都墨田区亀沢付近にあたる。
割下水というのは、地域の排水を担う堀のことである。本所には北と南の二本があり、北斎が生まれたのは南割下水の沿線とされる。両岸に細い町屋が続く、江戸の中心から一歩外れた場所だった。武家地と町人地が入り混じり、下級武士と職人と商人が同じ通りに住んでいる。
この水路沿いの生活空間が、北斎の原風景である。
生誕地を示す標識については、少し経緯がある。かつて墨田区亀沢1-7に生誕地を示す標柱が立っていたが、現在は撤去されている。代わって、近隣の緑町公園内(墨田区亀沢2-7)に「葛飾北斎生誕地解説板」が設置された。
訪ねる際に注意したいのは、この解説板が示しているのはおおよその一帯であって、番地単位で特定された「この家」ではないという点である。北斎の生年月日自体にも複数の説があり、生家の正確な位置を確定できる史料は残っていない。
公園は住宅とマンションに囲まれた、ごく普通の都市公園である。遊具があり、ベンチがあり、近所の人が通り抜けていく。特別な雰囲気があるわけではない。江戸の排水路沿いだった土地が、二百六十年を経てそうなっている。
最寄りはJR総武線の両国駅、または都営大江戸線の両国駅。どちらからも徒歩10分前後である。
北斎通り ─ 埋め立てられた下水路
南割下水は、昭和の初めに埋め立てられた。水路の上に道路が通り、いまその道は「北斎通り」という愛称で呼ばれている。都市計画道路である。
つまり、北斎が生まれ育った水辺の景観は、道路として残っている。水は見えないが、線形はそのままである。
この通りには、いくつかの仕掛けがある。
北斎誕生の高札が掲げられている。路面のマンホールの蓋と歩道のモザイク画には、北斎の浮世絵をもとにしたデザインが施されている。歩きながら足元を見ていくと、作品の断片が現れる構成になっている。
地域の商業にも入り込んでいる。両国の東あられ本舗などの地元商店では、作品をモチーフにした「北斎揚げ」「北斎おかき」が売られている。土産物として成立しているということは、地元でこの名前が認められているということでもある。
生誕地の記憶が観光資源として整備されるとき、往々にして「ここに何があったか」より「誰がここで生まれたか」が前面に出る。北斎通りもその例で、割下水という水路の存在を説明する掲示は多くない。歩く前に、この道がもと堀だったことを頭に入れておくと、見え方が変わる。
通りは両国駅方面から錦糸町方面へ伸びている。すみだ北斎美術館へ向かう道でもあるため、駅から美術館まで歩けば自然にこの通りを通ることになる。
榛馬場の旧居跡 ─ 父娘が暮らした家
北斎の晩年の旧居跡として、具体的な場所が伝えられているところがある。
本所亀沢町榛馬場。大きな榛(はん)の木の傍らで、榛稲荷神社の隣にあたる。現在の東京都墨田区両国4-34-11付近である。
ここで北斎は、娘のお栄——画号を応為という——と暮らしていた。
お栄は絵師の南沢等明に嫁いだが離縁し、父のもとに戻った。以後、北斎の工房で助手として働きながら、自身も絵を描いた。晩年の北斎の肉筆画について、彩色や細部を応為が担っていたとする代作説は、現在の学界で有力視されている。
この家での暮らしぶりは、飯島虚心の『葛飾北斎伝』に記録されている。二人とも家事をせず、掃除もしなかった。部屋が散らかると住まいを変えた。金銭の管理にも無頓着で、届いた画料の包みを開けずに置いておき、支払いのときにそのまま渡していたという。
93回の転居という数字は、この生活態度と直結している。掃除の代わりに引っ越す。それができたのは、家財がほとんどなかったからでもある。
現地に建物は残っていない。榛稲荷神社は現存するので、そこを目印に一帯を歩くことになる。周囲は住宅と小さな事業所が並ぶ、生活の場である。
この旧居の様子を実際に見たい場合は、次章のすみだ北斎美術館に行くのが早い。常設展示に、この部屋を再現した等身大の可動模型がある。
すみだ北斎美術館 ─ 生誕地に建つ拠点
2016年11月、生誕地に隣接する緑町公園の一角に、すみだ北斎美術館が開館した。所在地は東京都墨田区亀沢2-7-2である。
設計は妹島和世。建物は鏡面仕上げのアルミパネルで覆われ、スリット状の切れ込みが入っている。周囲の下町の景色が、その表面に柔らかく歪んで映り込む。密集した住宅地の中に、周囲を反射して溶け込む箱が立っている、という外観である。
収蔵品は、北斎とその門下の作品約2,200点。ピーター・モース・コレクションと楢崎宗重コレクションが中核をなしており、肉筆画、版本、錦絵を横断的に収めている。海外の研究者も参照する、北斎研究のハブとして機能している。
展示は常設と企画に分かれる。
常設展示エリアでは、北斎の生涯を年代順に追える構成が取られている。ここに、前章で触れた榛馬場の旧居を再現した等身大の可動模型がある。火鉢のそばに座り込んで絵を描く北斎と、その傍らで別の作業をするお栄。人形が実際に動く。散らかった室内がそのまま再現されており、二人が世俗の生活をどこまで犠牲にしていたかが立体で分かる。
企画展示エリアでは年に数回の特別展が開かれ、最新の研究成果に基づく展示が組まれる。研究紀要も発行されており、新出の肉筆画の調査報告や門人の動向がここから発信されている。
常設展示の作品は、保存のため定期的に入れ替わる。特定の作品を目当てに行く場合は、公式サイトの展示リストを事前に確認したほうがいい。版画と肉筆画はどちらも光に弱く、通年展示ができない。
JR両国駅から徒歩約9分、都営大江戸線両国駅から徒歩約5分。北斎通りを歩いていけば着く。
隅田川と両国 ─ 描かれた風景の現場
北斎が住んだ建物は残っていない。しかし、彼が毎日見ていた地形は残っている。
隅田川と両国橋である。
両国橋は隅田川に架かる橋で、本所と江戸の中心部を結んでいた。北斎の生活圏から中心街へ出るには、この橋を渡ることになる。橋のたもとには盛り場が広がり、見世物小屋と屋台が並び、花火が上がった。江戸でもっとも人が集まる場所のひとつである。
この水辺の景観は、北斎の作品に繰り返し現れる。『冨嶽三十六景』の《御厩川岸より両国橋夕陽見》《深川万年橋下》、そして狂歌絵本『絵本隅田川両岸一覧』。最後のものは、隅田川の両岸を上流から下流へ順に追っていく構成の絵本で、川沿いの風景と人々の営みが連続して描かれる。
川の位置は変わっていない。橋は架け替えられ、両岸の建物はすべて入れ替わったが、水面の幅と流れの方向はそのままである。
墨田区内には、江戸の町人文化を伝える史跡が密集している。歩いて回れる範囲に、次のようなものがある。
回向院。明暦の大火の犠牲者を供養するために建てられた寺で、のちに勧進相撲の舞台になった。両国が相撲の町になった起点である。
本所松坂町公園(吉良邸跡)。赤穂事件の現場である。北斎が生まれたのは事件から約60年後で、当時すでに講談や芝居の題材として繰り返し語られていた。
旧安田庭園。江戸期の大名庭園を起源とする池泉回遊式庭園で、潮の干満で水位が変わる潮入りの池を持つ。
烏亭焉馬(うていえんば)住居跡。落語中興の祖とされる人物で、狂歌や噺の会を主催した。北斎が身を置いていた文化圏が、こうした人々によって形成されていた。
これらの史跡は、北斎が直接関わった場所ではない。だが、彼が観察の対象にしていた江戸の社会が、どういう密度と構成でそこにあったかを示している。森羅万象を描き尽くそうとした男が、どんな人間交差点に住んでいたかという文脈である。
小布施へ ─ 83歳の長距離移動
80歳を超えてから、北斎は江戸を離れて信濃国高井郡小布施へ通うようになる。
現在の長野県上高井郡小布施町。江戸からは二百キロ以上、山を越える道のりである。当時の交通手段は徒歩と川船で、片道に何日もかかる。80代の人間が往復する距離ではない。
背景には二つの事情がある。
ひとつは天保の改革である。1840年代前半、幕府は質素倹約令を出し、出版物への統制を強めた。多色摺りの錦絵は贅沢品として規制の対象になり、版元の企画は縮小した。江戸で版画を出すこと自体が難しくなっていた。
もうひとつが高井鴻山(たかい こうざん)の存在である。小布施の豪農商で、京都と江戸で学んだ文人でもあった。財力と教養を併せ持ち、中央の文化人を地方に招くことに関心を持っていた。鴻山は北斎を小布施に招き、町の中心にアトリエを用意した。
この構図は、版画とは根本的に異なる制作条件を生む。
錦絵は版元が費用を出し、数百枚単位で売って回収する商品である。売れる見込みのないものは企画されない。ところがパトロンが費用を持つ肉筆画には、その制約がない。一点しか作れず、その場所から動かせない天井画のような仕事が、ここで初めて可能になる。
北斎は小布施を数回訪れ、通算で数年をこの町で過ごしたとされる。制作したのは、祭屋台の天井絵と、寺院の本堂天井画である。いずれも売り物ではない。
小布施行きの年次と回数については史料により幅がある。83歳での初訪問とする記述が広く使われている一方、より後の年を示す資料もある。町の各施設の解説も一致しないことがあるため、複数の説があるものとして受け取っておきたい。
アクセスは、北陸新幹線で東京駅から長野駅まで約1時間20分から1時間30分。長野駅から長野電鉄で小布施駅まで約30分。町の主要な施設は駅から徒歩圏にある。
岩松院 ─ 八方睨み鳳凰図
小布施における北斎の最大の遺産が、岩松院(がんしょういん)の本堂天井画である。
正式には曹洞宗梅洞山 岩松院。所在地は長野県上高井郡小布施町雁田。町の中心から東へ、山際に向かったところにある。
本堂に入り、天井を見上げると、二十一畳分の面積いっぱいに鳳凰が描かれている。《八方睨み鳳凰図》と呼ばれる。
この名は、堂内のどこに立っても鳥がこちらを見ているように感じられることから来ている。首の角度、目の位置、羽根の広がり方が、複数の視点から成立するように設計されている。天井という見上げる面に、どの位置からも破綻しない像を置くという課題への解答である。
制作は1848年、北斎89歳の仕事とされる。翌年、彼は死んでいる。
色は現在も鮮やかである。一度も塗り直されていないと伝えられており、当時の顔料がそのまま残っている。天井という位置は、日光と手が直接当たらないという意味で、保存に有利な条件でもあった。
境内にはもうひとつ、時代の異なる遺構がある。戦国武将福島正則の霊廟である。関ヶ原の戦いで功を挙げながら後に改易され、この地に移されて没した人物の墓所が、同じ寺の中にある。
堂内は撮影禁止で、拝観料が必要である。仰向けに寝転がって見られるよう配慮している場合もあるが、その可否は時期による。冬季の開閉時間は短くなることがあるため、事前確認をおすすめする。
小布施駅から徒歩で30分ほど。町の中心部からはやや離れており、レンタサイクルか町営バスを使う人が多い。
北斎館 ─ 祭屋台が置かれた美術館
小布施の中心部に、北斎館がある。所在地は長野県上高井郡小布施町大字小布施485。北斎の肉筆画を専門に扱う美術館である。
ここの展示で特徴的なのは、平面の絵ではなく立体物が置かれている点である。
小布施の祭礼に使われた祭屋台が二台、実物のまま展示されている。屋台とは、車輪の付いた移動式の舞台のようなもので、その天井部分に北斎の絵が入っている。
東町祭屋台には、《龍図》と《鳳凰図》。上町祭屋台には、《男浪図》と《女浪図》——あわせて怒濤図と呼ばれる——が描かれている。
『冨嶽三十六景』の《神奈川沖浪裏》から二十年近く経ったあとの、同じ画家による波である。版画の波は彫師の刃を通っているが、こちらは筆の跡がそのまま残っている。線の速度と筆圧の変化が見える。
そして重要なのは、これらが祭りの道具であるという点である。美術館の壁に掛けるために描かれた絵ではない。町の人が担いで引き回す屋台の、見上げる面に入っていた。地域の祝祭空間と、北斎の仕事が直結している。
北斎館は小布施駅から徒歩10分ほど。町の観光の中心にあり、周辺には栗菓子の店が並ぶ。
高井鴻山記念館と、栗と北斎に出会うみち
北斎を小布施に招いた高井鴻山の屋敷は、現在高井鴻山記念館として公開されている。北斎館から歩いてすぐの距離にある。
鴻山は豪農商であると同時に文人であり、みずからも絵を描いた。妖怪画を多く残していることで知られる。記念館には彼自身の作品と、北斎が滞在したと伝わる建物が保存されている。
パトロンという役割は、単に金を出すことではない。制作の場所と時間を用意することである。鴻山が北斎のために設けたアトリエは、江戸の版元の企画からも、天保の改革の統制からも切り離された空間だった。80代の画家が採算を度外視した大画面に取り組めたのは、この条件があったからである。
小布施町全体は、「栗と北斎に出会うみち」という枠組みで整備されている。北斎館、高井鴻山記念館、岩松院、そして栗菓子の老舗が、歩ける経路でつながっている。
この整備は、文化観光の成功例として評価されることが多い。人口一万人あまりの町が、一人の画家の晩年数年間という接点を軸に、通年で来訪者を集める構造を作った。
小布施は栗の産地として知られ、秋には栗の収穫期に合わせて来訪者が集中する。混雑を避けるなら平日か、栗のシーズンを外した時期がいい。町なかの主要施設は徒歩圏だが、岩松院だけは離れているため、レンタサイクルを借りると動きやすい。
誓教寺 ─ 墓所がある寺
嘉永2年(1849年)、北斎は江戸で死んだ。享年90。
死の床で残したとされる言葉が伝わっている。天があと十年、いや五年でいいから命を延ばしてくれたなら、自分は本当の絵師になれるのに、という趣旨のものである。
墓所は誓教寺(せいきょうじ)。浄土宗の寺院で、所在地は東京都台東区元浅草4-6-9である。
境内には北斎の胸像が建てられている。命日の前後には、愛好家や研究者が訪れる。
墓石には辞世の句が刻まれている。
人魂で 行く気散じや 夏野原
葛飾北斎 辞世の句として伝わるもの人魂になって、気晴らしに夏の野を歩いていこう、という意味である。九十年生きて最後まで足りないと言い続けた人間の句としては、意外に軽い。
生誕地の墨田区亀沢から、この誓教寺までは直線で3キロほど。隅田川を挟んで、ほぼ向かい合う位置にある。本所で生まれ、小布施で最後の大作を残し、浅草で終わった。移動の総量に対して、始点と終点の距離はきわめて短い。
最寄りは東京メトロ銀座線の稲荷町駅、または都営大江戸線の新御徒町駅。どちらからも徒歩数分である。稼働中の寺院なので、参拝の作法を守って訪ねたい。
ルート3案
ゆかりの地は東京と長野に分かれている。まとめて回るなら通しの行程になるが、片方だけでも十分に成立する。
すみだ 日帰り
- AM両国駅 → 緑町公園徒歩10分ほど。生誕地の解説板を確認する。標柱ではなく解説板であること、示しているのが一帯であることを頭に入れておく。
- AMすみだ北斎美術館公園に隣接。常設展示でアトリエ再現模型を見る。企画展があれば2時間ほど見ておきたい。
- PM北斎通りを歩くマンホールとモザイク画を追いながら移動。もと南割下水だった線形をたどることになる。
- PM榛馬場の旧居跡(両国4-34-11付近)榛稲荷神社を目印に一帯を歩く。建物は残っていない。
- PM回向院・吉良邸跡・旧安田庭園いずれも徒歩圏。最後に隅田川の岸に出て、両国橋の位置を確認する。
全体が徒歩で回れる。急がなければ半日、史跡をひとつずつ見るなら一日かかる。誓教寺(台東区元浅草)を足すなら、両国から地下鉄で20分ほど。
小布施 1泊2日
- DAY 1東京駅 → 長野駅 → 小布施駅北陸新幹線で約1時間20〜30分、長野電鉄で約30分。午前中に着けば初日から動ける。
- DAY 1北斎館駅から徒歩10分ほど。祭屋台の実物と天井絵を見る。展示替えがあるため、公式サイトで内容を確認しておきたい。
- DAY 1高井鴻山記念館北斎館から徒歩すぐ。パトロンの側から見た小布施を確認する。町内泊。
- DAY 2岩松院町の中心から徒歩30分ほど。レンタサイクルか町営バスが便利。《八方睨み鳳凰図》と福島正則の霊廟。
- DAY 2「栗と北斎に出会うみち」を歩いて帰路町並みを回りながら小布施駅へ。長野経由で戻る。
岩松院の堂内は撮影禁止で拝観料が必要。冬季は開閉時間が短くなることがある。栗の収穫期は町全体が混むため、時期の選択で体験が変わる。
東京・小布施を通しで 2泊3日
- DAY 1すみだ(両国)緑町公園、すみだ北斎美術館、北斎通り、旧居跡。生誕から画業の大部分までをここで押さえる。都内泊。
- DAY 2誓教寺 → 東京駅 → 小布施午前に台東区元浅草で墓と胸像。午後に新幹線で長野へ移動し、北斎館と高井鴻山記念館。小布施泊。
- DAY 3岩松院 → 帰路《八方睨み鳳凰図》で締める。89歳の仕事を最後に見る順序になる。
2日目に墓所を挟む構成は時系列としては前後するが、移動効率を優先している。時系列で通したい場合は、誓教寺を最終日の帰着後に回す。
宿泊・レンタカーのリンクはアフィリエイトリンクです。料金と空室状況は各予約サイトでご確認ください。
LIST / 一覧ゆかりの地一覧
現況は2026年8月時点。開館日・拝観時間・料金は変更されることがあるため、訪問前に各施設の公式サイトで確認してください。
| 場所 | 所在地 | 北斎との関係 | いま何があるか | アクセス |
|---|---|---|---|---|
| 本所割下水(生誕地) | 東京都墨田区亀沢付近 | 1760年、この一帯で生まれた | 建物なし。亀沢1-7の標柱は撤去済み | JR・都営 両国駅から徒歩10分前後 |
| 緑町公園 | 東京都墨田区亀沢2-7 | 生誕地の一帯 | 葛飾北斎生誕地解説板 | 両国駅から徒歩約9分 |
| 北斎通り | 東京都墨田区(両国〜錦糸町方面) | 旧・南割下水。原風景の水路 | 高札、浮世絵デザインのマンホール、モザイク画 | 両国駅から続く |
| すみだ北斎美術館 | 東京都墨田区亀沢2-7-2 | 生誕地に隣接する研究・展示拠点 | 2016年11月開館。妹島和世設計。収蔵約2,200点。アトリエ再現模型 | 都営大江戸線両国駅から徒歩約5分 |
| 榛馬場の旧居跡 | 東京都墨田区両国4-34-11付近 | 娘お栄(応為)と暮らした家 | 建物なし。榛稲荷神社が目印 | 両国駅から徒歩圏 |
| 隅田川・両国橋 | 東京都墨田区・中央区 | 『絵本隅田川両岸一覧』などに描かれた | 橋は架け替え済み。川の位置と幅は当時のまま | 両国駅から徒歩数分 |
| 回向院・吉良邸跡・旧安田庭園 | 東京都墨田区両国・横網 | 北斎が生きた江戸の町人文化の現場 | いずれも現存。徒歩で回れる | 両国駅周辺 |
| 誓教寺 | 東京都台東区元浅草4-6-9 | 墓所(浄土宗) | 墓、胸像 | 銀座線稲荷町駅・大江戸線新御徒町駅から徒歩数分 |
| 北斎館 | 長野県上高井郡小布施町大字小布施485 | 晩年の肉筆画を専門展示 | 東町祭屋台(龍・鳳凰)、上町祭屋台(怒濤図)の実物 | 長野電鉄小布施駅から徒歩10分ほど |
| 岩松院 | 長野県上高井郡小布施町雁田 | 1848年、本堂天井に《八方睨み鳳凰図》 | 天井画(塗り直しなしと伝わる)、福島正則霊廟 | 小布施駅から徒歩30分ほど。レンタサイクル可 |
| 高井鴻山記念館 | 長野県上高井郡小布施町 | 北斎を招いたパトロンの屋敷 | 鴻山の作品と、北斎が滞在したと伝わる建物 | 北斎館から徒歩すぐ |
| 栗と北斎に出会うみち | 長野県上高井郡小布施町 | 町全体の回遊ルート | 主要施設と栗菓子店をつなぐ経路整備 | 小布施駅から徒歩圏 |
BOOKS & FILM / 本と映像ゆかりの地を歩く前に
北斎 視覚のマジック:小布施・北斎館名品集
- 編集
- 北斎館
- 出版
- 平凡社、2019年10月25日
信州小布施の北斎館が所蔵する名品を軸に、北斎の生涯と画業、東町・上町祭屋台、肉筆画、摺物、版画、版本までをまとめた作品集。小布施で晩年の北斎が何を描いたのかを一冊で見渡せるため、北斎館や祭屋台を訪ねる前後の予習・復習に向いている。
Amazonで見るDigital×北斎 小布施の「鳳凰図」の謎
- 監修
- 安村敏信
- 出版
- 左右社、2025年6月30日/224ページ
岩松院本堂の巨大天井絵「鳳凰図」を、高精細デジタルスキャンと研究者・技術者の論考から読み解く一冊。肉眼では捉えにくい筆致や制作工程まで掘り下げ、小布施と高井鴻山、岩松院との関係も扱うため、現地鑑賞の解像度を上げたい人におすすめ。
Amazonで見るもっと知りたい葛飾北斎 改訂版 生涯と作品
- 監修
- 永田生慈
- 出版
- 東京美術、2019年3月/104ページ
永田生慈監修による北斎入門書の改訂版。90年の生涯を時代ごとの代表作とエピソードでたどり、巻頭では『冨嶽三十六景』46図をまとめて紹介する。ゆかりの地を巡る前に、北斎の人物像と作品の流れを短時間でつかみたいときに使いやすい。
Amazonで見る北斎漫画 〈全三巻〉 第一巻「江戸百態」
- 著者
- 葛飾北斎
- 出版
- 青幻舎、2010年11月/352ページ
江戸末期の『北斎漫画』全15編をテーマ別に再編集した全三巻シリーズの第一巻。市井の人々、風俗、生活道具、建物などを「人物絵鑑」「日常茶飯」「動態活写」「道具百科」の四つに整理し、北斎が見つめた江戸の日常を文庫サイズで楽しめる。
Amazonで見るHOKUSAI 豪華版[DVD]
- 監督
- 橋本一
- 発売
- ハピネット、2021年11月5日
- 仕様
- DVD 2枚組/本編129分
葛飾北斎の青年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じる映画『HOKUSAI』の豪華版DVD。絵を描く意味を模索する北斎と、蔦屋重三郎、歌麿、写楽ら同時代の人物との関わりをドラマとして描く。2枚組でブックレットやメイキングなどの特典も収録され、北斎の時代背景を映像からつかみたい人に向く。
Amazonで見るAmazonのアソシエイトとして、アーティストの人生は適格販売により収入を得ています。
REFERENCES / 出典参考文献
施設・自治体の資料
- すみだ北斎美術館 公式サイト(沿革・収蔵品・常設展示の解説)
- 北斎館(長野県小布施町)公式サイト
- 岩松院 拝観案内
- 墨田区・墨田区観光協会による北斎関連の案内資料
- 東京都「すみだが誇る世界の絵師・北斎の生まれをたどる」
伝記・研究書
- 飯島虚心『葛飾北斎伝』鈴木重三 校注
- 辻惟雄 編著『日本の名画11 葛飾北斎』講談社、1974年
- すみだ北斎美術館 編『葛飾北斎:すみだが生んだ世界の画人』2017年
学術データベース・紀要
- CiNii Research(国立情報学研究所)
- J-STAGE(科学技術情報発信・流通総合システム)
- 『北斎研究』(墨田区文化振興財団ほか編)
- 学位論文「十九世紀日本版画における風景主題と歴史主題」
- 国立国会図書館デジタルコレクション/ジャパンサーチ
画像
- ウィキメディア・コモンズ(撮影者・ライセンスは本文第12章の表に記載)















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