伊藤若冲 作品

伊藤若冲の作品|「動植綵絵」と超絶技巧・枡目描きを解説
作品制作期 1750年代–1790年代絹本著色・紙本墨画・拓版画花鳥画・水墨画・枡目描きますめがき
ITŌ JAKUCHŪ · WORKS

伊藤若冲の作品The Works of Itō Jakuchū

伊藤若冲の作品は、長く「奇抜なデフォルメ」と「異常なほどの細密描写」という言葉だけで語られてきた。だが、1999年から2004年にかけて行われた《動植綵絵どうしょくさいえ》の解体修理と、東京文化財研究所による蛍光X線分析(XRF)は、その画面の内実を科学の言葉で描き直した。牡蠣殻かきがらから作る胡粉ごふんで黒変しない白を保ち、辰砂しんしゃ・石黄せきおう・緑青ろくしょうといった最高級の鉱物顔料を惜しみなく投じ、日本でも最初期のベロ藍ベロあい(プルシアンブルー)を取り入れ、絹の裏面から顔料を重ねる「裏彩色」で内から発光するような透明感を得る。さらに若冲は、11万を超える方眼を積み上げる「枡目描き」や、漆黒に白を浮かべる「拓版画」で、平面絵画の構造そのものを解体し組み立て直した。この記事では、若冲の作品を、科学が明かした技法と、禅・老荘に根ざす思想の両面から、主題別・技法別にたどっていく。

伊藤若冲《向日葵雄鶏図》
《向日葵雄鶏図ひまわりゆうけいず》『動植綵絵』のうち、18世紀、皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん蔵。大輪の向日葵の下で羽を逆立てる雄鶏。羽毛の一枚ごとに施された細密描写と、朱・緑・黄の鮮烈な対比に、最高級顔料と裏彩色を駆使した若冲の超絶技巧が凝縮されている。Itō Jakuchū, Rooster and Sunflowers (from Colorful Realm of Living Beings), 18th c. / The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan / Wikimedia Commons, Public Domain
DATA作品データ
総点数生涯におよそ千点とも(真作・工房作を含む)
主要ジャンル花鳥画(彩色)・水墨画・拓版画・障壁画・肖像画
制作期間1750年代〜1790年代
主な形式絹本著色(掛軸・屏風)/紙本墨画/木版(拓版画)/襖絵
主要技法裏彩色・筋目描き・枡目描きますめがき・拓版画
制作上の特徴徹底した観察、最高級顔料の投入、平面構造の解体と再構築
代表作・代表シリーズ動植綵絵どうしょくさいえ(全30幅・国宝)/樹花鳥獣図屏風じゅかちょうじゅうずびょうぶ/乗興舟じょうきょうしゅう
主な所蔵館皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん/静岡県立美術館/出光美術館ほか
3点でわかる伊藤若冲の作品
  1. 色は「科学」で選ばれていた。 蛍光X線分析は、《動植綵絵どうしょくさいえ》で若冲が黒変しやすい鉛白えんぱくを避け、牡蠣殻かきがら由来の胡粉ごふんで清冽な白を保ったこと、辰砂しんしゃ・石黄せきおう・緑青ろくしょうなど最高級の鉱物顔料を投じ、日本でも最初期にベロ藍ベロあい(プルシアンブルー)を取り入れたことを明らかにした。発色の微差を肉眼で見極める、科学者のような制御がそこにある。
  2. 絵は「裏」からも描かれていた。 若冲は《動植綵絵》のほぼ全図で、絵絹の裏面から顔料を塗り重ねる「裏彩色」を用いた。絹を透過した光が裏の顔料層で乱反射することで、表からのベタ塗りでは得られない、内から発光するような深い透明感が生まれる。見えない裏面にまで及ぶ執念が、あの奥行きを支えている。
  3. 平面の構造そのものを組み替えた。 約1センチ角の方眼を11万以上積み上げてモザイク状に描く「枡目描きますめがき」(樹花鳥獣図屏風じゅかちょうじゅうずびょうぶ)は、現代のピクセルアートを先取りする発想である。さらに墨一色で陰刻を刷る「拓版画」(乗興舟じょうきょうしゅう)では、漆黒の地に白いシルエットを浮かべた。事物を要素に分解し再構築する論理が、若冲の前衛性の核にある。
WORKS

伊藤若冲の作品を読む

若冲の絵の前に立つと、まず色彩の鮮烈さと細部の密度に圧倒される。だがその画面は、感興のままに塗られたものではない。黒変しない白を選び、絹の裏から光を仕込み、方眼の一つずつに濃淡を重ね、墨の陰刻から白を刷り出す──幾層もの技術と判断の果てに、あの奇想は組み立てられている。本記事は、非破壊科学が明かした制作プロセスを起点に、代表的な作品を主題別・技法別にたどる。まずは、彩色画と水墨画という二つの顔をもつ、若冲芸術の全体像から始めたい。

全体像THE OEUVRE01

若冲芸術の全体像 ── 彩色と水墨の二面

伊藤若冲(1716–1800)の作品は、大きく二つの顔をもつ。一つは、最高級の顔料を惜しみなく用い、対象を狂気的なまでに細密に描き込む極彩色の花鳥画。もう一つは、墨の濃淡と大胆な余白で対象の本質を瞬時に捉える水墨画である。この振れ幅の大きさこそが、若冲を同時代の円山応挙まるやまおうきょや長沢芦雪ながさわろせつらと分かつ、際立った特徴だ。

長らく若冲は美術史の傍流、「異端の画家」として位置づけられてきた。しかし1970年、辻惟雄つじのぶおの『奇想の系譜』が彼の前衛性を再評価すると、状況は一変する。今日われわれが見る若冲の作品は、鮮烈な色彩や奇抜な構図の表層だけでは語り尽くせない。錦市場の青物問屋を束ねた実務家として培った冷徹な観察眼と論理性が、その造形の底に一貫して流れている。

白鸚鵡図
《白鸚鵡図はくおうむず》18世紀、エール大学美術館蔵。純白の鸚鵡おうむを一羽、大きく捉えた掛軸。羽毛の柔らかな質感と、余白を生かした構図に、彩色と墨の双方を知り尽くした若冲の造形感覚がうかがえる。奇想の底にある、確かな観察眼を示す一作。Itō Jakuchū, White Cockatoo, 18th c. / Yale University Art Gallery, New Haven / Wikimedia Commons, Public Domain

彩色画と水墨画、そして版画。技法も画題も多岐にわたるが、そのすべてに共通するのは、事物の外見を写すだけでなく、その内に潜む生命そのものを捉えようとする執念である。「すべての生命が仏性を持つ」という仏教的世界観のもと、若冲は鶏の羽根一枚から魚のうろこ、虫の脚の関節に至るまでを、等しく美の対象として凝視した。以下の章では、その眼差しがどのような技法へと結実したのかを、順にたどっていく。

1757–1766年頃COLORFUL REALM02

畢生ひっせいの大作『動植綵絵どうしょくさいえ』── 曼荼羅まんだら的荘厳画しょうごんが

若冲の代名詞が、1757年頃から約10年をかけて描かれた全30幅の絹本著色画『動植綵絵』である。これは単なる花鳥画の連作ではない。同時に制作された『釈迦三尊像しゃかさんぞんぞう』3幅を中心に据え、その周囲を30幅の動植物画が取り囲む、曼荼羅的な荘厳画として構想され、1765年に相国寺へ寄進された。

30幅の画題は多岐にわたる。鶏を描いた作品が最も多く、ほかに孔雀、鳳凰ほうおう、鸚鵡おうむ、鴛鴦おしどり、魚介、昆虫、そして牡丹・梅・蓮・菊といった花々が、四季と生死を超えた生命の循環として配される。「すべての生命に仏性が宿る」という思想を、絵画という物理的な平面の上に顕現させようとした、宗教的かつ哲学的な行為だった。

芍薬群蝶図
《芍薬群蝶図しゃくやくぐんちょうず》『動植綵絵』第一幅、18世紀、皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん蔵。咲き乱れる芍薬しゃくやくに無数の蝶が舞う。連作の巻頭を飾る一幅で、花弁の重なりと蝶の翅の微細な模様に、若冲の色彩設計の精度が凝縮されている。Itō Jakuchū, Herbaceous Peonies and Butterflies (from Colorful Realm of Living Beings), 18th c. / The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan / Wikimedia Commons, Public Domain

明治維新後の廃仏毀釈はいぶつきしゃくで相国寺が存続の危機に陥った1889年、寺は《動植綵絵》30幅を皇室へ献上し、下賜金によって難を逃れた。結果としてこの傑作は、宮内庁(現・皇居三の丸尚蔵館)の万全の環境で守られることになる。2021年(令和3年)、全30幅は国宝に指定された。文化庁は「我が国の花鳥画の到達点のひとつ」と評価している。近年はキヤノンによる高精細複製の試みも進み、展示の制約を超えた公開が模索されている。

1750年代–60年代THE ROOSTERS03

鶏への偏愛 ── 徹底観察の結晶

若冲の作品を貫く最大のモチーフが鶏である。彼は隠居後、自宅の庭で数十羽の鶏を実際に飼育し、その生態を克明に観察し続けた。羽根の生える向きや重なり、鶏冠とさかの質感、脚の関節の動きまでを見尽くしたうえで描かれた鶏は、単なる写生を超え、生命の充溢そのものを画面に定着させている。

《動植綵絵どうしょくさいえ》のなかでも鶏を描いた幅は際立って多く、堂々たる雄鶏おんどりと控えめな雌鶏めんどりを対に配した構図が繰り返し現れる。歌舞伎役者のように誇張された親鶏の姿勢と、鮮烈な朱の鶏冠は、観察に基づきながらも、若冲の頭のなかで再構成された「デザイン」でもある。写実と作為が同居するこの感覚が、彼の鶏図に独特の緊張感を与えている。

POINT

若冲の鶏は「写した」ものではない。徹底して観察した骨格や動きを、いったん解体し、誇張とリズムをもって組み立て直している。写実の果てにデザインがある——それが若冲の造形の核心だ。

大鶏雌雄図
《大鶏雌雄図たいけいしゆうず》『動植綵絵』のうち、18世紀、皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん蔵。堂々たる雄鶏と小さな雌鶏を対に配す。波打つ鶏冠、艶やかな尾羽、地を掴む脚——庭で鶏を飼い観察し続けた若冲の眼が、細部の隅々にまで行き渡っている。Itō Jakuchū, Rooster and Hen (from Colorful Realm of Living Beings), 18th c. / The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan / Wikimedia Commons, Public Domain

対象を徹底して見尽くしたうえで、その骨格や動きを自らの造形言語へと翻訳する——この方法は、青物問屋として日々、野菜や魚介、鶏を「商品」かつ「生命」としてシビアに見定めてきた実務家の眼と地続きである。若冲にとって観察とは、耽美ではなく、生命の構造を掴むための冷徹な作業だった。

科学的調査PIGMENTS & XRF04

蛍光X線が解く顔料とベロ藍ベロあい

1999年度から2004年度にかけての《動植綵絵どうしょくさいえ》解体修理の過程で、東京文化財研究所は三の丸尚蔵館の協力のもと、全30幅に対する非破壊・非接触の彩色材料調査を実施した。用いられたのはポータブル蛍光X線分析装置(XRF)である。ロジウム管球を光源に、管電圧50kV・管電流100μA・照射径2mmのX線を作品表面に1ポイントあたり100秒照射し、顔料を構成する元素を特定していった。

分析からは、若冲が最高級の鉱物顔料を惜しみなく投じていたことが裏づけられた。赤には水銀系の辰砂しんしゃや鉛系の鉛丹えんたん、鉄系のベンガラ、黄には土性の黄土やヒ素系の石黄せきおう、緑には銅系の緑青ろくしょう、青には銅系の群青。同じ図像でも幅によって、水銀のみの顔料と、わずかに鉛を含ませて色調を調整した顔料とを使い分けるなど、発色の微差を見極める緻密な制御が確認された。

老松鸚鵡図
《老松鸚鵡図ろうしょうおうむず》『動植綵絵』のうち、18世紀、皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん蔵。老松に純白の鸚鵡おうむがとまる。白い羽毛、緑の松葉、幹の褐色といった限定された色数のなかで、顔料の質を見極めて配色する若冲の色彩設計がよく分かる。Itō Jakuchū, Cockatoos in an Old Pine (from Colorful Realm of Living Beings), 18th c. / The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan / Wikimedia Commons, Public Domain

さらに青の材料については、群青だけでなく、18世紀中頃に西洋からもたらされた人工顔料ベロ藍(プルシアンブルー、紺青)の使用可能性が指摘されている。若冲は日本でも最初期に、この舶来の青を作品に取り入れた画家の一人とされる。なお蛍光X線分析には、原子番号19のカリウムより軽い元素を検出できないという限界があり、胡粉ごふん(炭酸カルシウム)や藍・蘇芳すおう・紅花などの有機染料は、この装置では確認できない。科学の眼にも、なお見えない領域が残されているのである。

技法URA-ZAISHIKI05

裏彩色 ── 絹の裏から宿す光

この調査における最大の功績の一つが、修理の過程でしかアクセスできない「絵絹の裏面」からの分析を行い、若冲が《動植綵絵どうしょくさいえ》のほぼ全図で「裏彩色」を駆使していたことを科学的に立証した点である。裏彩色とは、表から対象を描いたのち、絵絹の裏面から胡粉ごふんや黄土、緑青ろくしょうなどの顔料を塗り重ねる技法をいう。

X線は数十〜数百マイクロメートルの厚みまで透過するため、重ね塗りされた箇所では上層と下層の両方の元素が検出される。このデータを光学的調査と照合した結果、若冲が表面の色と裏面の色を緻密に計算し、組み合わせていたことが判明した。絹の目を透過した光が裏の顔料層で乱反射を繰り返すことで、対象に深い奥行きが生まれ、表からのベタ塗りでは決して得られない、内から発光するような透明感と空気の層が獲得される。

蓮池遊魚図
《蓮池遊魚図れんちゆうぎょず》『動植綵絵』のうち、18世紀、皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん蔵。蓮の茂る池を泳ぐ魚群を、水面と水中の両方から捉える。裏彩色が生む透明感が、水の奥行きと魚体の艶を際立たせている、技法の妙が凝縮された一幅。Itō Jakuchū, Fish in a Lotus Pond (from Colorful Realm of Living Beings), 18th c. / The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan / Wikimedia Commons, Public Domain

見えない裏面にまで顔料を重ねるという偏執的な手当ては、若冲の作品を単なる細密画から、光を宿す物質へと変えている。とりわけ水中や水辺を描いた幅では、この技法が生む透明感が、水の冷たさや魚の鱗うろこの艶を際立たせている。表からは決して見えない層にこそ、若冲の執念が最も濃く沈んでいるのである。

主題CREATURES OF WATER06

水界・草虫・貝 ── 生命の細部

若冲の眼は、華やかな鳥や花だけでなく、水中の魚介や地を這う虫、浜辺の貝殻にまで等しく注がれた。《動植綵絵どうしょくさいえ》には、魚と蛸たこが入り乱れる幅や、無数の貝を並べた幅があり、そのどれもが博物図譜はくぶつずふのような正確さと、装飾的なリズムを兼ね備えている。生きとし生けるものすべてに仏性が宿るという思想が、こうした「小さな生命」への執拗な凝視となって表れている。

とりわけ魚介の幅では、鱗うろこや殻の質感が驚くほど克明に描き分けられている。若冲は青物問屋の主人として、日々、錦市場に集まる新鮮な魚介を間近に見ていた。商品として生き物を見定める実務の眼が、そのまま生命の細部を捉える画家の眼へと転化しているのである。

諸魚図
《諸魚図しょぎょず》『動植綵絵』のうち、18世紀、皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん蔵。鯛や蛸をはじめ多種の魚介が画面を埋める。鱗や吸盤の一つずつまで描き分ける精度に、錦市場で日々魚介を見定めた若冲の観察眼が生きている。Itō Jakuchū, Fish and Octopus (from Colorful Realm of Living Beings), 18th c. / The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan / Wikimedia Commons, Public Domain

こうした細部への執念は、単なる観察の精密さにとどまらない。画面いっぱいに生命を過剰なまでに敷き詰めながら、全体を破綻なく統べる構成力——それは、市場という複雑な利害の場を束ねた若冲の論理的な思考と、どこかで通じ合っている。細部と全体、過剰と秩序が同居するところに、若冲の作品の緊張感がある。

造形論HIDDEN FORMS07

相似形の隠し絵 ── 万物に宿る形

若冲の作品には、自然界の形態形成の原理を探るような「相似形」の隠し絵的手法が、しばしば指摘されている。その代表例が《動植綵絵どうしょくさいえ》の《梅花小禽図ばいかしょうきんず》である。複雑に絡み合う梅の枝の隙間が、よく見ると小鳥の形に見えるように構成されているというのだ。

これは単なる遊びではない。若冲は、枝の分岐と鳥の姿、花弁と羽根といった、異なる事物に共通する形の律動を画面に忍ばせることで、「万物は同じ造形原理でつながっている」という世界観を可視化しようとしたと考えられている。すべての生命に仏性が宿るという思想が、形態のレベルで表現されているのである。

梅花小禽図
《梅花小禽しょうきん図》『動植綵絵』のうち、18世紀、皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん蔵。咲き誇る梅の枝に小禽が遊ぶ。複雑に絡む枝の隙間に鳥の形が潜むとされ、万物に共通する造形原理を画面に忍ばせた、若冲の知的な遊戯性を示す一幅。Itō Jakuchū, Birds on a Blossoming Plum (from Colorful Realm of Living Beings), 18th c. / The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan / Wikimedia Commons, Public Domain

執拗なまでの自然観察と、そこから形の共通性を見いだす抽象的な思考。この二つが結びつくところに、若冲の作品の知的な奥行きがある。近づけば細密描写に飲み込まれ、離れれば構図のリズムと隠された形が立ち上がる——若冲は、鑑賞者と作品との距離の変化までを計算に入れて描いていたと考えられている。

造形論MASUME-GAKI08

枡目描きますめがき ── プロト・デジタルの造形

若冲の前衛性が最も先鋭に表れたのが「枡目描き」である。静岡県立美術館の《樹花鳥獣図屏風じゅかちょうじゅうずびょうぶ》、個人蔵の《白象群獣図はくぞうぐんじゅうず》、そして出光美術館の《鳥獣花木図屏風ちょうじゅうかぼくずびょうぶ》——現存が確認されるこの3点(ほかに行方不明の《釈迦十六羅漢図屏風しゃかじゅうろくらかんずびょうぶ》の写真記録がある)に見られる手法で、現代のピクセルアートを彷彿ほうふつとさせる。

その制作プロセスは、常軌を逸している。まず淡墨で縦横約1センチ間隔の方眼を画面全体に引き、絵柄に合わせて淡い地色を塗る。次に各方眼をやや濃い色で正方形に塗り、さらにその隅により濃い色で小さな四角を描き込んで陰影を施す。《樹花鳥獣図屏風》では、高精細複製を用いた数え上げで、六曲一双ろっきょくいっそうの全体に11万6千を超える方眼が確認された。色彩を分割し併置することで視覚混合を起こす、極めて論理的な造形である。

樹花鳥獣図屏風(右隻)
《樹花鳥獣図屏風(右隻)》18世紀後半、静岡県立美術館蔵。約1センチ角の方眼を重ねて動物と植物を構成する「枡目描き」の実作。各区画の色と濃淡が、離れて見ると象や鳥の輪郭へまとまり、章で述べた平面の分解と再構築を直接示す。Itō Jakuchū, Animals in the Flower Garden (right-hand screen), late 18th c. / Shizuoka Prefectural Museum of Art / Wikimedia Commons, Public Domain

近年、TOPPANの協力で行われた3次元計測は、さらなる秘密を明らかにした。方眼内の絵具は平坦ではなく、インパストのように立体的に盛り上げられており、光の当たる角度によって各「画素」が微細な陰影を生む構造になっていたのである。色の併置だけでなく、物理的な凹凸による光の反射までを計算に入れたこの感覚には、京都・西陣織の紋様図案「正絵しょうえ」や朝鮮半島の民画からの示唆が指摘されている。なお枡目描きの屏風群には工房作や後世作を疑う声もあったが、描かれた異国の動物が当時舶来した博物学の書物を通じて参照可能だったことが内山淳一うちやまじゅんいちらの研究で裏づけられ、若冲の旺盛な情報収集力の証として評価されている。

1767年ほかINK & RUBBING PRINTS09

拓版画たくはんがと水墨 ── 墨の美学

極彩色の対極で、若冲は墨一色の表現にも果敢に挑んだ。その一つが「拓版画」である。通常の木版画が線や面を凸部として残して白地に黒い線を刷るのに対し、拓版画は描線を彫り窪める陰刻いんこくの手法をとる。版木に湿らせた紙を密着させ、上からタンポで墨を叩き込むことで、石碑の拓本のように、光沢のある漆黒の地に被写体が純白のシルエットとして浮かび上がる。代表作に、1767年春、大典顕常だいてんけんじょうとともに淀川を大坂へ下った旅を描いた絵巻《乗興舟じょうきょうしゅう》、宝蔵寺ほうぞうじの《髑髏図どくろず》、冊子本の《玄圃瑶華げんぽようか》《素絢帖そけんじょう》がある。ハイコントラストで知的なこの表現は、中国の碑文拓本ひぶんたくほんに精通した大典の示唆によるところが大きいとされる。

水墨画でも若冲は独自の技法を編み出した。和紙の水分の吸収を計算し、隣り合う墨の面のあいだに白い筋を残す「筋目描きすじめがき」である。晩年になると、彼は執拗な細密描写から一転し、墨の滲みにじみと大胆な余白を生かした水墨へと大きく展開していく。

猿猴捉月図
《猿猴捉月図えんこうそくげつず》1770年頃、キンベル美術館蔵。水面に映る月を捉えようと手を伸ばす手長猿を、墨の濃淡と大胆な余白だけで描く。中国の故事に基づく主題を、若冲は最小限の筆で軽妙に捉えた。彩色画とは対極の、墨の表現力を示す一作。Itō Jakuchū, Two Gibbons Reaching for the Moon, c.1770 / Kimbell Art Museum, Fort Worth / Wikimedia Commons, Public Domain

彩色画で対象の外見を克明に写す一方、水墨や拓版画では対象の本質を瞬時の筆致や墨面で捉える——この二面性は、若冲が事物の外観だけでなく、その内に潜む精神を常に掴もうとしていたことを物語る。色を極めた画家が、色を捨てた表現においても最先端に立っていたという事実は、彼の造形的な探求心の深さを示している。

思想LIFE & DEATH10

生と死の凝視 ── 一霊の哲学

若冲の作品世界を貫く精神を最も象徴するのが、宝蔵寺ほうぞうじに伝わる《髑髏図どくろず》である。この図には、煎茶道の祖・売茶翁ばいさおうによる「一霊皮袋 皮袋一霊いちれいひたい ひたいいちれい(屍しかばねはここにあるが、人である霊はこの皮袋の中には居ない)」という賛が添えられている。肉体は器にすぎず、真の生命はその内には留まらない——禅の生死観をそのまま画に凝縮したこの一作は、若冲が事物の外観だけでなく、生と死の境界を超えた精神の深淵を見つめていたことを物語っている。

若冲の精神世界を育んだのは、相国寺の学僧・大典顕常だいてんけんじょうと、名利を求めない奇僧・売茶翁との交友だった。若冲は売茶翁の肖像も描いており、その生き方への深い共鳴が、彼の作品に一貫する「一霊」への眼差しを支えている。華やかな極彩色の花鳥画も、枯淡の水墨画も、その根底には同じ問いが流れている。目に見える形の奥に、何が宿っているのか。

生命を過剰なまでに描き尽くすこと、そして生命が去った後の空を見つめること。若冲の作品は、この生と死の両極を往復しながら、目に見えない精神を平面上に可視化しようとした、壮大な試みだったといえる。

初期〜現代EARLY TO LEGACY11

初期から晩年、そして国宝へ

若冲の作品研究は、いまなお進行中である。京都・嵐山の福田美術館が収蔵・初公開した《蕪に双鶏図かぶにそうけいず》は、現在知られる作品のなかで最も初期、30代前半の作と推定されている。ヨーロッパの個人コレクションから里帰りしたこの作は、後年の《菜蟲譜さいちゅうふ》と表現技法が酷似し、巻末には大典による跋文ばつぶんを伴う。初期段階から既に、雄鶏の羽の緻密な描写や、枯れかけた蕪の葉の虫食い痕までを美の対象とする若冲の真骨頂が完成の域にあったことが確認され、研究者を驚かせた。

初期の細密な彩色画から、晩年の墨の滲みを生かした水墨画へ——若冲の画業は、外見を克明に捉える方向と、本質を瞬時に掴む方向の双方へ、生涯をかけて展開し続けた。その振れ幅の大きさこそが、彼の作品の尽きせぬ魅力である。

秋塘群雀図
《秋塘群雀図しゅうとうぐんじゃくず》『動植綵絵どうしょくさいえ』のうち、18世紀、皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん蔵。実った粟の穂に群雀が舞い降りる。一羽ごとに姿勢を変える雀の群れと、垂れる穂の描写に、初期から晩年まで一貫した若冲の観察眼と造形力が示されている。Itō Jakuchū, Autumn Millet and Sparrows (from Colorful Realm of Living Beings), 18th c. / The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan / Wikimedia Commons, Public Domain

死後長らく忘れられていた若冲は、1970年の辻惟雄つじのぶお『奇想の系譜』と、2000年の「没後200年 若冲」展を経て劇的に再評価され、2021年には《動植綵絵》が国宝に指定された。今日、その膨大な視覚的遺産はパブリックドメインとして解放され、3Dスキャンや数億画素の高精細画像によって、一筆の筆致や絵具の厚みまでを誰もが画面上で追体験できる時代となった。「千載具眼の徒せんざいぐがんのとを竢つまつ」と記した若冲の予言は、科学と情報技術の力を借りて、いま成就しつつある。

LIST / 一覧主要作品一覧

本記事で取り上げた作品を中心に、若冲の代表作を年代・技法・特記事項・所蔵とともにまとめる。制作年には諸説があり、主要な所蔵館・研究の表記に基づく目安である。

作品名制作年形式・技法特記事項所蔵
動植綵絵どうしょくさいえ(全30幅)1757–1766年頃絹本著色(裏彩色)釈迦三尊像しゃかさんぞんぞうを囲む荘厳画。2021年国宝皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん
向日葵雄鶏図ひまわりゆうけいず(動植綵絵)18世紀絹本著色大輪の向日葵と雄鶏の鮮烈な対比皇居三の丸尚蔵館
芍薬群蝶図しゃくやくぐんちょうず(動植綵絵 第1幅)18世紀絹本著色連作の巻頭。芍薬しゃくやくと群蝶皇居三の丸尚蔵館
蓮池遊魚図れんちゆうぎょず(動植綵絵)18世紀絹本著色(裏彩色)裏彩色が生む水の透明感皇居三の丸尚蔵館
諸魚図しょぎょず(動植綵絵)18世紀絹本著色魚と蛸たこが入り乱れる水界皇居三の丸尚蔵館
梅花小禽図ばいかしょうきんず(動植綵絵)18世紀絹本著色枝の隙間に小鳥が潜む相似形皇居三の丸尚蔵館
樹花鳥獣図屏風じゅかちょうじゅうずびょうぶ18世紀後半紙本著色(枡目描きますめがき)一双で11.6万超の方眼。3D計測で凹凸を確認静岡県立美術館
鳥獣花木図屏風ちょうじゅうかぼくずびょうぶ18世紀紙本著色(枡目描き)片隻3万4千超の方眼。旧プライス旧蔵出光美術館
白象群獣図はくぞうぐんじゅうず18世紀紙本著色(枡目描き)現存する枡目描き3点の一つ個人蔵
乗興舟じょうきょうしゅう明和4年(1767年)拓版画(紙本)淀川下りを描く絵巻。大典の賛京都国立博物館ほか
玄圃瑶華げんぽようか18世紀拓版画(冊子本)草花と虫を陰刻で刷る各所
髑髏図どくろず18世紀拓版画/墨画売茶翁ばいさおうの「一霊」の賛宝蔵寺ほうぞうじ
仙人掌群鶏図さぼてんぐんけいず天明9年(1789年)金碧障壁画きんぺきしょうへきが(襖絵)金地にサボテンと鶏西福寺
蕪に双鶏図かぶにそうけいず30代前半(推定)絹本著色現存最初期の作。大典の跋文ばつぶん福田美術館

《動植綵絵》の彩色材料と検出元素

色系伝統的な顔料名主成分蛍光X線での主要検出元素
白鉛白えんぱく塩基性炭酸鉛Pb(鉛)
白胡粉ごふん炭酸カルシウム(貝殻由来)軽元素主体のため検出困難
赤辰砂しんしゃ(朱)硫化水銀Hg(水銀)
赤鉛丹えんたん四酸化三鉛Pb(鉛)
赤ベンガラ酸化第二鉄Fe(鉄)
黄黄土含水酸化鉄Fe(鉄)
黄石黄せきおう三硫化二ヒ素As(ヒ素)
緑緑青ろくしょう炭酸水酸化銅(孔雀石由来)Cu(銅)
青群青炭酸水酸化銅(藍銅鉱由来)Cu(銅)
青ベロ藍ベロあい(紺青)フェロシアン化鉄(舶来の人工顔料)Fe(鉄)ほか

彩色画・水墨画・拓版画

項目彩色画水墨画拓版画
代表作動植綵絵群鶏図(水墨)・猿猴捉月図えんこうそくげつず乗興舟・玄圃瑶華・髑髏図
支持体・素材絹本+鉱物顔料紙本+墨木版+墨(陰刻)
核となる技法裏彩色・最高級顔料筋目描きすじめがき・余白彫り窪め、漆黒に白を残す
表現の狙い生命の充溢と細部本質を瞬時に捉えるハイコントラストな知的表現
目指したもの見える形の極致見えない精神(一霊)図と地の反転による新鮮さ

IMAGE CREDITS / 図版図版クレジット

掲載した全11点は、作品名・被写体・所蔵情報を章内容と照合済みで、同一作品の重複はない。

  • ヒーロー:《向日葵雄鶏図》 — Itō Jakuchū – Rooster and Sunflowers (Colorful Realm of Living Beings) / Wikimedia Commons / Public Domain
  • w1:《白鸚鵡図》 — Ito Jakuchu – White Cockatoo – 2006.210.7a-b – Yale University Art Gallery / Wikimedia Commons / Public Domain
  • w2:《芍薬群蝶図》 — Itō Jakuchū – Herbaceous peonies and butterflies (Colorful Realm of Living Beings) / Wikimedia Commons / Public Domain
  • w3:《大鶏雌雄図》 — Itō Jakuchū – Rooster and hen (Colorful Realm of Living Beings) / Wikimedia Commons / Public Domain
  • w4:《老松鸚鵡図》 — Itō Jakuchū – Cockatoos in an old pine (Colorful Realm of Living Beings) / Wikimedia Commons / Public Domain
  • w5:《蓮池遊魚図》 — Itō Jakuchū – Fish in a lotus pond (Colorful Realm of Living Beings) / Wikimedia Commons / Public Domain
  • w6:《諸魚図》 — Itō Jakuchū – Fish and octopus (Colorful Realm of Living Beings) / Wikimedia Commons / Public Domain
  • w7:《梅花小禽図》 — Itō Jakuchū – Birds on blossoming plum (Colorful Realm of Living Beings) / Wikimedia Commons / Public Domain
  • w8:《樹花鳥獣図屏風(右隻)》 — Itō Jakuchū – Animals in the Flower garden (Right-hand screen) / Wikimedia Commons / Public Domain
  • w9:《猿猴捉月図》 — Ito Jakuchu, Japanese (1716–1800), Two Gibbons Reaching for the Moon, c. 1770, Japan, Edo period, Hanging scroll, ink on paper, Kimbell Art / Wikimedia Commons / Public Domain
  • w11:《秋塘群雀図》 — Autumn Millet and Sparrows by Ito Jakuchu (Sannomaru Shozokan) / Wikimedia Commons / Public Domain

伊藤若冲の絵画は著作権保護期間を満了している。掲載画像はWikimedia CommonsでPublic DomainまたはPD-Artと表示された二次元作品の忠実な複製のみを使用した。現地写真や現代撮影写真は使用していないため、撮影者名の追加表記が必要な図版はない。各キャプションには作者・作品名・所蔵先・提供元・ライセンス区分を記載した。

REFERENCES / 出典参考文献

科学分析・技法研究

  • 早川泰弘ほか「伊藤若冲『動植綵絵どうしょくさいえ』の彩色材料について」東京文化財研究所
  • 皇居三の丸尚蔵館こうきょさんのまるしょうぞうかん収蔵作品・東京文化財研究所光学調査(凡例・作品一覧)
  • 「動植綵絵」皇居三の丸尚蔵館 収蔵品情報
  • 「若冲《樹花鳥獣図屏風じゅかちょうじゅうずびょうぶ》デジタルアーカイブ」静岡県立美術館

作品・造形論

  • 「Birds and Animals in the Flower Garden(樹花鳥獣図屏風)」キヤノン綴プロジェクト
  • 「Itō Jakuchū’s Paintings 004: Genpo Yōka and Soken-chō」SHOGA
  • 「京都・嵯峨嵐山の福田美術館で若冲最初期の作品が初公開」Casa BRUTUS

一次資料・作品資料

  • 「絹本著色動植綵絵〈伊藤若冲筆/〉」文化遺産オンライン
  • 「松梅群鶏図屏風」ColBase(東京国立博物館)
  • 「乗興舟じょうきょうしゅう」ColBase(京都国立博物館)
  • 辻惟雄つじのぶお『奇想の系譜』

デジタルアーカイブ

  • Wikimedia Commons「Colorful Realm of Living Beings by Itō Jakuchū」
  • Wikimedia Commons「Paintings by Itō Jakuchū」
最終更新:2026年9月7日

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