尾形光琳 作品

尾形光琳の作品|燕子花図屏風・紅白梅図屏風から硯箱と小袖まで|アーティストの人生
代表図版19点17世紀末〜18世紀初頭屏風・漆芸・小袖江戸時代/琳派
ARTIST · WORKS

尾形光琳の作品The Works of Ogata Kōrin

光琳の絵をひと目で見分けるのは、鮮やかな花の群れ、大胆な余白、絵画を横断する曲線かもしれない。だが《燕子花かきつばた図屏風びょうぶ》と《八橋やつはし図屏風》を並べ、硯箱すずりばこの蓋や小袖こそでにまで視線を移すと、同じ主題を物の形に応じて作り替えた仕事が見えてくる。代表作から画稿がこう、扇面せんめん、陶器の絵付けまで、作品そのものを手がかりに読む。

尾形光琳《紅白梅図屏風》。白梅と紅梅の間に暗い流水が走る二曲一双の全景。MOA美術館蔵、国宝。
尾形光琳《紅白梅図屏風》、MOA美術館蔵。画像:Google Art Project/Wikimedia Commons・パブリックドメイン。
DATA作品データ
総点数19点の図版を掲載
主要ジャンル琳派の絵画と工芸
制作期間17世紀末~18世紀初頭
主な形式屏風・板絵・掛幅・画稿・扇面・小袖・硯箱・陶器
主要技法金地着色・墨画・蒔絵・螺鈿・描絵・陶器の絵付け
制作上の特徴花と水の反復・余白・材料と形の使い分け
代表作・代表シリーズ《燕子花図屏風》《八橋図屏風》《紅白梅図屏風》《風神雷神図屏風》《八橋蒔絵螺鈿硯箱》
主な所蔵館根津美術館、MOA美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、メトロポリタン美術館ほか
3点でわかる尾形光琳おがたこうりんの作品
  1. 同じ物語を何度も描き換える。 『伊勢物語いせものがたり』の八橋やつはしは、花だけの屏風びょうぶ、橋を描く屏風、橋を鉛で表した硯箱すずりばこでまったく異なる姿をとる。
  2. 反復と変化を一緒に使う。 燕子花かきつばたは型紙も利用して繰り返されるが、群れごとの位置や花弁の絵具には違いがある。厳格な図形のようでいて、生き物の揺れを残す。
  3. 素材までが構図に参加する。 金地きんじ、銀、顔料、墨すみ、漆うるし、鉛、螺鈿らでん、絹、陶土とうど。同じ形でも素材を替えれば、明るさ、手触り、使用時の見え方が変わる。
WORKS

尾形光琳の作品

屏風から漆芸、衣服、陶器まで、作品の形と素材に沿って光琳の表現をたどる。作品に「伝」「帰属」の表示がある場合は所蔵館の表記に従う。

18世紀京都の画題/東京所蔵01

金地きんじと草花を読む

光琳の作品を「装飾的」のひと言でまとめると、絵ごとの違いが見えにくくなる。金箔きんぱくを敷き詰めた画面、濃い青と緑でまとまる花、ほとんど何も描かない余白は目を引く。しかし描かれた花は、まず屏風びょうぶを置く部屋の光を受け、折れた面ごとに見え方を変える。板絵なら木目もくめ、扇なら弧、小袖こそでなら袖の広がりが絵の条件になる。光琳は同じ輪郭を媒体へ機械的に写したのではなく、その条件に応じて、何を大きくし何を消すかを選んだ。草花の絵から始めると、その選び方が分かりやすい。

金地は写実的な空の色とは限らない。植物を背景から切り離し、見る人に花の距離や高さを自由に感じさせる場になる。サントリー美術館の《秋草あきくさ図屏風》では、薄すすきや菊きくなどの草花が二曲の画面を満たし、伸びる茎と花のかたまりが季節の気配を作る。同館は作者を「伝 尾形光琳おがたこうりん」とするため、確実な真筆の作例と同列には扱わない。その前提の上で、光琳に結びつけられてきた秋草表現を考える補助図版として見る。

伝 尾形光琳《秋草図屏風》。薄、菊などの草花が二曲の地へ広がる。サントリー美術館蔵。作者の帰属は所蔵館表記に従う。
《秋草図屏風》(伝・尾形光琳)薄、菊などの草花が二曲の地へ広がる。サントリー美術館蔵。作者の帰属は所蔵館表記に従う。伝 尾形光琳《秋草図屏風》、サントリー美術館蔵/画像:Google Art Project・Wikimedia Commons/パブリックドメイン

光琳にとって草花は、植物名を示す標本でも、季節を説明する挿絵でもない。つるがどこへ伸び、葉がどこで重なり、空いた場所に何を感じるかという画面の問題でもあった。そこで大事になるのが「反復」と「省略」である。形を似せて並べれば流れが生まれる。水や地面、旅人を描かなくても、花と場所の取り合わせが物語を呼ぶ。次の《燕子花かきつばた図屏風》はその最も明快な例である。

18世紀初頭三河・八橋/東京02

《燕子花かきつばた図屏風びょうぶ》と見えない八橋やつはし

根津美術館の国宝《燕子花図屏風》は六曲一双ろっきょくいっそう。屏風を開けば金地きんじを舞台に、群青ぐんじょうの花と緑青ろくしょうの葉がいくつもの群れを作る。遠くへ続く山も人物もない。根津美術館の解説によれば、花の描写には濃淡の群青と緑青が用いられ、一部の形には型紙の反復が認められる。型を使うことは手作業の放棄を意味しない。花の傾き、群れの間隔、花弁の厚みは画面の場所ごとに変わり、似た形が戻ってくるたび別の印象を生む。屏風の継ぎ目や折れを越えて視線が移るから、花は一枚の壁紙の模様とは違った動きを帯びる。

尾形光琳《燕子花図屏風》の一面。金地に群青の花と緑青の葉が群れ、橋や旅人を描かずに『伊勢物語』の八橋を思わせる。根津美術館蔵、国宝。
《燕子花図屏風》右隻金地に群青の花と緑青の葉が群れ、橋や旅人を描かずに『伊勢物語いせものがたり』の八橋を思わせる。根津美術館蔵、国宝。尾形光琳おがたこうりん《燕子花図屏風》、根津美術館蔵/画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン

作品を支える古典は『伊勢物語』第九段「東下り」だ。旅人が三河みかわの八橋で燕子花を見て、五句の頭に「かきつばた」を詠み込む。絵には橋が見えないのに、花を見て八橋を思い出す人には歌と旅の情景が現れる。これは図像だけで物語を逐語的に語る方法とは異なる。鑑賞者の記憶が欠けた場面を補う。物語を知らない人にも、色と群れの動きだけで画面の力は伝わる。その二重の読みを保てる点が、この屏風の強さである。

群青と緑青を単なる青と緑に言い換えると、顔料の粒子がつくる表情が抜け落ちる。花びらは平らな青色の印刷面ではなく、絵具の厚みと濃淡によって量感を得る。整った形の繰り返しと、物質としての絵具が同時に働く。これは光琳が自然を無視して幾何学へ移ったという話ではない。花を見た記憶を、折りたたみ式の大画面で最も強く響く形へ編集したのだ。図版は一双すべてではなく一面を写す。画面全体の左右の呼応を確かめる際は、根津美術館の所蔵品ページも併せて参照する。

1709年以後を含む三河・八橋/ニューヨーク・東京03

《八橋やつはし図屏風びょうぶ》と硯箱すずりばこの橋

同じ八橋の主題を扱いながら、メトロポリタン美術館の《八橋図屏風》は、花だけの《燕子花かきつばた図屏風》と違って橋を堂々と見せる。所蔵館は1709年以後の制作とする。六曲一双ろっきょくいっそうの金地きんじに、燕子花の群れをまたぐ板橋が鋭角に折れて進む。橋の斜線は、花と葉が立ち上がる縦の流れを断ち切るようでいて、隣の群れへ視線を運ぶ道にもなる。旅人を描かなくても、見る人は橋の折れに沿って画面の中を移動できる。

尾形光琳《八橋図屏風》。金地の燕子花の間を、折れ曲がる板橋が斜めに走る。1709年以後、メトロポリタン美術館蔵。
《八橋図屏風》金地の燕子花の間を、折れ曲がる板橋が斜めに走る。1709年以後、メトロポリタン美術館蔵。尾形光琳おがたこうりん《八橋図屏風》、The Metropolitan Museum of Art、53.7.1・53.7.2/画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン

ここでの橋は、自然の風景を奥へ写す遠近法より、屏風を開いたときの水平な広がりを利用する形に近い。金地の空きが橋を際立たせ、花は橋の脇で密集したり、少し離れて現れたりする。「花と橋」という同じ素材を使っても、二つの屏風の体験は大きく異なる。前者では目に見えない橋を思い出す。後者では橋の角を追う。古典を知ることは作品を読む一つの入口だが、斜線と曲線の緊張そのものが、物語を知らない鑑賞者にも届く。

東京国立博物館の国宝《八橋蒔絵まきえ螺鈿らでん硯箱》では、橋はさらに別の物になる。黒漆うるしを地とし、燕子花の葉と茎に金の蒔絵、花に厚い貝を打ち欠いた螺鈿を使う。橋板は表面に質感を与えた鉛板なまりいた、橋杭はしぐいは銀板。蓋の表から箱の胴にかけて橋と花を展開し、蓋や胴の外面には川そのものを描かない。水を示す波文は箱の内面に現れる。開けて使う行為まで含めて、八橋の場面が少しずつ姿を見せる設計である。金地の屏風の橋が「目でたどる道」なら、この箱の橋は「物を持って動かすときに見る面」を横切る道になる。

尾形光琳《八橋蒔絵螺鈿硯箱》。黒漆地の上に金の葉、貝の花、鉛の橋が重なる。東京国立博物館蔵、国宝。
《八橋蒔絵螺鈿硯箱》黒漆地の上に金の葉、貝の花、鉛の橋が重なる。東京国立博物館蔵、国宝。写真:東京国立博物館/出典:国立博物館所蔵品統合検索システム(ColBase)/原画像/CC BY 4.0。画像の改変なし(表示サイズのみ調整)。
比較項目《燕子花図屏風》《八橋図屏風》《八橋蒔絵螺鈿硯箱》
媒体六曲一双屏風六曲一双屏風二段重ねの硯箱
目に見える主題燕子花燕子花と板橋燕子花、鉛の橋、内面の波
橋の扱い描かない。花から八橋を想起させる斜めの帯として描く鉛板で作り、蓋と箱に展開する
画面の地金地金地黒漆
鑑賞の動き花の群れを左右に追う橋の折れを横にたどる箱の外を見て、開くと内面の水に出会う
所蔵根津美術館メトロポリタン美術館東京国立博物館

三作を「同じモチーフの別バージョン」で終わらせない理由はここにある。屏風には折れと部屋の光があり、硯箱には蓋、箱、内面と手の動きがある。光琳は古典の決まった挿絵を何度も複製したのではなく、絵を置く場所と用いる素材に応じ、物語が立ち上がる順番を変えたのである。

1704~1709年頃ニューヨーク所蔵04

《波濤はとう図屏風びょうぶ》の荒れる水

水は光琳が繰り返し考えた題材だが、《波濤図屏風》の波は、《紅白梅こうはくばい図屏風》の黒い流れとも、硯箱すずりばこの内部の波文とも違う。二曲の画面いっぱいに起こる波は、穏やかな水面の描写ではない。墨すみの輪郭が爪のように曲がり、波頭には長く伸びる不規則な形が現れる。メトロポリタン美術館は制作を1704~1709年頃とし、道崇どうすうの落款らっかんに触れ、片手に二本の筆を持って輪郭を描く技法も解説する。自然の一瞬を写すつもりで、自然にはありえないほど強い形をつくる。その緊張が画面の迫力を生む。

尾形光琳《波濤図屏風》。墨の輪郭と爪のように伸びる波頭が二曲の画面を満たす。1704~1709年頃、メトロポリタン美術館蔵。
《波濤図屏風》墨の輪郭と爪のように伸びる波頭が二曲の画面を満たす。1704~1709年頃、メトロポリタン美術館蔵。尾形光琳おがたこうりん《波濤図屏風》、The Metropolitan Museum of Art、26.117/画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン

同館の解説は、室町の画家・雪村周継せっそんしゅうけいの絵から着想を得た可能性も挙げる。ただし直接の手本を一作に決める必要はない。波に物語の登場人物も舟も置かず、波自体を主役にした点が肝心だ。暗い輪郭と金の明るさが接する場所をたどると、波は水の質量でありながら、折れ曲がる線の連続として見えてくる。近づけば墨の勢い、離れれば二曲を貫く大きなうねり。距離で作品の読みが変わる。

光琳の波を、直ちに近代のデザインや西洋の特定作家の発明へ結びつけるのは慎重でありたい。後世に似た曲線が見つかることと、光琳から直接学んだことを示す史料があることは別だからだ。この作品だけを見ても十分に面白い。二本の筆の運びから生じる並走する線、墨のにじみ、紙と金箔きんぱくの反射が、絶えず形を変える水を静止した画面に留めている。八橋やつはしの水が省かれたり箱の内部へ隠れたりするのに対し、ここでは水が鑑賞のすべてを占める。

18世紀・晩年熱海所蔵05

《紅白梅こうはくばい図屏風びょうぶ》と素材の謎

《紅白梅図屏風》はMOA美術館所蔵の国宝で、二曲一双にきょくいっそう。白梅と紅梅が金地きんじに立ち、二つの画面の間を暗い流水が走る。右と左の木は、色の違いだけでなく、幹の向きや枝の伸び方でも呼応する。花が向き合う静けさに対し、水は画面の奥へ細まり、手前で大きな曲線を広げる。水流を背景へ従わせないので、三つの大きな形が互いに押し合う構図になる。白梅と紅梅を人の生涯や男女の象徴と断定するより、木の個別の姿と、両方を隔てながら結ぶ水の働きにまず目を向けたい。

尾形光琳《紅白梅図屏風》。白梅と紅梅の間に暗い流水が走る二曲一双の全景。MOA美術館蔵、国宝。
《紅白梅図屏風》白梅と紅梅の間に暗い流水が走る二曲一双の全景。MOA美術館蔵、国宝。尾形光琳おがたこうりん《紅白梅図屏風》、MOA美術館蔵/画像:Google Art Project・Wikimedia Commons/パブリックドメイン

梅花は濃い輪郭で囲むのではなく、花びらの色を生かして示す。幹には色や墨すみが乾く前に別の色を加え、偶然のにじみを取り込む「たらし込みたらしこみ」が見られる。形の大枠はよく計算されている一方で、幹の表面には予測しきれない模様が残る。金地には葉の茂る空や遠景を描き込まない。木の老いを思わせる節、咲き始める花、暗い水という異質な時間が、余計な風景説明なしに同じ画面で出会う。

この作品の金色と黒い水については、見た目だけで材質を決められないことがよく知られる。MOA美術館が紹介する科学調査では、金地や水流の材料・変色を検討し、銀箔の表面を硫化させた黒い表現について説明している。ただし、現在の色と制作当初の見え方を完全に同一視することや、画家の化学的な意図を細部まで断言することは避ける。資料が確かめるのは材料と状態であり、作者の心の中そのものではない。素材を調べることで、黒い帯を単なる墨の塗りつぶしと読むより豊かな見方が開く。

この一双は、作品の大きな形、枝先の細かな筆、箔の性質という三つの距離から鑑賞できる。画面全体だけを見れば、白と赤、金と黒の対比が強烈だ。寄れば花の輪郭や幹のにじみが見える。さらに調査の記録を読むと、時間とともに姿を変える金属の働きも見えてくる。図版は一双の全景。流水の細部をこの縮小画像で確定せず、所蔵館の資料へ進む入口として使う。

18世紀京都の主題/東京所蔵06

宗達そうたつを見つめた《風神雷神ふうじんらいじん図屏風びょうぶ》

東京国立博物館の重要文化財《風神雷神図屏風》は、俵屋宗達たわらやそうたつが描いた同主題の屏風を光琳が写した作品として知られる。二曲一双にきょくいっそうに風神と雷神を分け、空いた金地きんじの中央へ向かう姿勢が生む張りつめた間を受け継いだ。手に風袋を持つ神、輪になった太鼓を背負う神。二神の衣や雲、身体のうねりを追うと、単に輪郭をなぞるだけでは成り立たない絵の呼吸が感じられる。宗達の作品を見て、構図のどの働きを保ち、どこで自分の筆へ変えるか。その問いを抱えた模写として読みたい。

尾形光琳《風神雷神図屏風》。金地の一双に風袋を持つ風神と太鼓を背負う雷神を描く。東京国立博物館蔵、重要文化財。
《風神雷神図屏風》金地の一双に風袋を持つ風神と太鼓を背負う雷神を描く。東京国立博物館蔵、重要文化財。尾形光琳おがたこうりん《風神雷神図屏風》、東京国立博物館蔵/画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン

東京国立博物館の比較解説によれば、光琳は宗達の絵より一回り大きな屏風を用い、二神の大きさをほぼ保って写した。神と画面の縁との距離が変われば、周囲の金地の広がりも変わる。人物の形が近くても、二曲を置いたときの力の配分は同じではない。これを「宗達から光琳へ」という一直線の継承物語としてだけ見るより、実物の大きさと人物の配置を比べると、光琳が過去の絵をどのように使ったかを具体的に考えられる。

光琳の屏風の裏面には、後年、酒井抱一さかいほういつが《夏秋草あきくさ図屏風》を描いた。現在は保存のため別々の屏風として扱われる。表の風と雷を受け、裏には風にたわむ草や雨を受ける草が配されるという関係は魅力的だ。ただし抱一ほういつの絵を光琳本人の作品として図版一覧に混ぜてはならない。この章の図版は光琳の《風神雷神図屏風》だけである。長い時間を経て古作が再び読まれる、その連なりまでがこの屏風の履歴となった。

17世紀末~18世紀初頭京都・江戸/各所蔵先07

人物画の四つの顔

燕子花かきつばたや梅の鮮烈さから光琳を植物の絵師と考えがちだが、人物画を見ると筆の選択が大きく広がる。《太公望たいこうぼう図》は中国の故事に取材した二曲一隻にきょくいっせきの金地きんじの絵で、京都国立博物館は重要文化財として所蔵する。釣り竿を持つ人物を大きな空きの中に置く構成は、物語の出来事を細部まで描き込むものではない。人物の身振りと道具で太公望と分かる人には故事が呼び起こされ、知らない人には金地に置かれたひとりの人物として見える。八橋やつはしの花が歌を暗示するのと同じく、少ない手がかりから話を立ち上げる方法である。

尾形光琳《太公望図》。金地に釣り竿を持つ太公望を置いた二曲一隻。京都国立博物館蔵、重要文化財。
《太公望図》金地に釣り竿を持つ太公望を置いた二曲一隻。京都国立博物館蔵、重要文化財。尾形光琳おがたこうりん《太公望図》、京都国立博物館蔵/画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン

《布袋ほてい図》では、太公望の金地とは別の軽さが現れる。画面に丸い袋と柔らかな体を置き、わずかな墨すみ線で表情をつくる。メトロポリタン美術館の解説は、この人物を光琳が親しみやすく遊び心のある姿で描いた例とする。神格化された人物だから荘厳に描かねばならない、という決まりに絵が縛られていない。淡い線で大きさを示し、濃い墨を部分的に当てると、体の重さと笑みの軽さが同時に伝わる。

尾形光琳《布袋図》。大きな袋に寄る布袋を淡墨と濃墨で軽快に表す。1704年以後、メトロポリタン美術館蔵。
《布袋図》大きな袋に寄る布袋を淡墨と濃墨で軽快に表す。1704年以後、メトロポリタン美術館蔵。尾形光琳《布袋図》、The Metropolitan Museum of Art、2015.300.89/画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン

《維摩ゆいま図》は在家の仏教者を描く主題で、布袋の笑みとは異なる顔つき、姿勢を見せる。ここでは人物の輪郭と衣の筆致に注意したい。背景を埋めるより、顔、手、衣の線の力を集中させる方法は、金地の屏風びょうぶで色面を大きく扱う光琳と同一人物の仕事とは思えないほど節度がある。それでも「何を描けば主題が伝わるか」を見定める態度は共通する。図版のファイル情報は個人蔵の重要文化財と記す。現行の展示場所を推測して書かない。

尾形光琳《維摩図》。輪郭と衣の筆線を生かした人物画。個人蔵、重要文化財。
《維摩図》輪郭と衣の筆線を生かした人物画。個人蔵、重要文化財。尾形光琳《維摩図》、個人蔵/画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン

《中村内蔵助なかむらくらのすけ像》は故事の人物ではなく、同時代の人物を捉えた作例である。所蔵先の大和文華館に伝わるこの肖像を、太公望や布袋と並べると、役柄や人柄を伝えるという人物画の別の目的が見える。装いや姿勢、顔の描き分けによって、画面の主役が誰かがすぐ分かる。これら四図を制作年の整った発展段階に押し込まず、主題、注文、画面形式によって筆の速度を変えた作例として比較する方が、光琳の仕事の幅をよく示す。

尾形光琳《中村内蔵助像》。同時代の人物の姿と装いを描く肖像。大和文華館蔵。
《中村内蔵助像》同時代の人物の姿と装いを描く肖像。大和文華館蔵。尾形光琳《中村内蔵助像》、大和文華館蔵/画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン
作品人物の種類形式・画面で目立つ点読みの入口
《太公望図》中国故事の人物金地の二曲一隻、人物と釣り具故事を想起させる身振り
《布袋図》吉祥・禅に関わる人物丸い袋、淡墨と濃墨親しみやすい表情
《維摩図》仏教に由来する人物顔と衣に集中する線人物の態度と筆の抑揚
《中村内蔵助像》同時代の人物装いと顔の描き分け肖像としての個別性
18世紀京都の画題/箱根・ホノルル・ニューヨーク08

四季の植物と鳥

《雪松群禽せっしょうぐんきん図屏風びょうぶ》では、雪を載せる松、飛ぶ鳥、水辺に集まる鳥が金地きんじを満たす。岡田美術館は18世紀初頭の光琳作品として紹介する。《燕子花かきつばた図屏風》のように対象を少数の形へ絞る画面とは違い、鳥には飛ぶ、泳ぐ、休むといった行動の差がある。羽の模様や首の向きも一羽ずつ異なる。植物の反復を得意とする光琳が、動物を単純な同形の記号として扱っていないことが分かる。雪の白さは季節を示すと同時に、松の暗い枝を浮かび上がらせる面として働く。

尾形光琳《雪松群禽図屏風》。雪を載せた松と、飛ぶ鳥・水辺の鳥を描く。18世紀初頭、岡田美術館蔵。
《雪松群禽図屏風》雪を載せた松と、飛ぶ鳥・水辺の鳥を描く。18世紀初頭、岡田美術館蔵。尾形光琳おがたこうりん《雪松群禽図屏風》、岡田美術館蔵/画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン

ホノルル美術館には、表に白菊きく、裏に紅葉を描いた二曲屏風がある。同館の解説によれば菊の面が光琳、裏の楓かえでの面は後の酒井抱一さかいほういつの筆である。掲載するのは菊の面だけ。白い花が上端と一方の端に集まり、金地に広い空きが生まれる。花の丸い姿は繰り返されても茎と葉の密度は一定でない。ひとつの屏風が時を隔てた二人の絵を保持してきた事実は興味深いが、抱一ほういつの楓を光琳の作として数えてはならない。Commonsには楓を光琳作とするファイル名もあるため、所蔵館の現行説明を優先した。

尾形光琳作とされる《菊図》の面。白菊の群れと広い金地を見せる二曲屏風。裏面の楓は酒井抱一筆。ホノルル美術館蔵。
《菊図》(光琳作とされる)白菊の群れと広い金地を見せる二曲屏風。裏面の楓は酒井抱一筆。ホノルル美術館蔵。尾形光琳作とされる《菊図》、Honolulu Museum of Art、1592/画像:Wikimedia Commons・同館提供/パブリックドメイン

メトロポリタン美術館の《梅花・秋草あきくさ図》は、もとは杉戸に関わる一対の板絵で、所蔵館は1701年の法橋ほっきょう叙任じょにん後まもない制作とみる。一面に春を告げる白梅、もう一面に朝顔、薄すすき、桔梗ききょう、菊など晩夏から秋の草花が描かれる。紙の屏風と異なり、木目もくめは消せない背景だ。春の白梅の枝が木の縦線と応じ、秋の花が木目の上へ重なっていく。日常の出入りを伴う建具なら、季節の変化を二面に振り分けること自体が空間の体験になる。ここに置く画像は秋草の一面だけを写したもの。梅花の面は写っていないと明記しておく。

尾形光琳《梅花・秋草図》の秋草の一面。木地に菊や薄などを描く。1701年以後まもなく、メトロポリタン美術館蔵。
《梅花・秋草図》秋草の一面木地に菊や薄などを描く。1701年以後まもなく、メトロポリタン美術館蔵。尾形光琳《梅花・秋草図》、The Metropolitan Museum of Art、2015.300.90a・b/画像:Wikimedia Commons・同館提供/CC0 1.0

雪松、菊、板絵の秋草を比べると、光琳の四季が同じ方式の四枚組ではないことが分かる。雪は鳥の動作を集め、菊は白い丸い花と空きで秋を表し、板絵の草花は木の表面と隣り合う季節の関係を使う。植物名だけを一覧にするより、何を描かず、地と素材にどれほどの働きを与えたかを見ると、それぞれの作品の設計が明らかになる。

18世紀初頭京都/ニューヨーク所蔵09

完成品の手前にある画稿がこう

名品の写真には完成した姿が残るが、《松竹に鶴図屏風びょうぶ画稿》からは制作途中の判断がうかがえる。メトロポリタン美術館は、もと光琳の子孫にあたる小西家こにしけに伝わった画稿で、のちに屏風の形へ仕立て直されたと説明する。画面に見える薄い緑や塗り残し、色を指定する文字を、経年で絵が失われた跡と即断してはならない。所蔵館は未完成の部分こそ画稿の性格を示すとする。完成屏風として整った表面だけを期待せず、試している線や面を探すことが重要だ。

尾形光琳《松竹に鶴図屏風画稿》の一面。淡い竹のあいだに二羽の鶴、水辺と岩がある。のちに屏風へ改装、メトロポリタン美術館蔵。
《松竹に鶴図屏風画稿》の一面淡い竹のあいだに二羽の鶴、水辺と岩がある。のちに屏風へ改装、メトロポリタン美術館蔵。尾形光琳おがたこうりん《松竹に鶴図屏風画稿》、The Metropolitan Museum of Art、1975.268.62・.63/画像:Wikimedia Commons・同館提供/CC0 1.0

掲載する画像は、この画稿から仕立てられた一面で、竹のあいだに鶴二羽、水辺、岩が見える。もう一面や全体の向きを、この一枚から再現したと説明してはならない。もとの紙がどのように使われ、後の仕立てでどこが切り取られたかも、図版だけでは確定できない。分かるのは、鶴の動作の違い、竹の縦線、足元の石や水の位置がすでに大きな配置を作っていることだ。装飾的な大画面の背後には、モチーフの置き方を検討する手間がある。

この画稿を《燕子花かきつばた図屏風》の型紙利用と並べると、「型」と「下絵」は同じ意味ではないことも分かる。型紙は反復する形の手がかりとなり、画稿は全体の構図や色を探る場となる。制作現場には職人や後の仕立てが関わることもあるため、現在の屏風の外観を、そのまま光琳が完成させた最終状態と見なさない。作品の履歴に注目すると、筆が置かれた瞬間と、鑑賞のために現在の形へ整えられた時点との距離が見える。

1702年頃~18世紀江戸・冬木家/東京・ホノルル10

小袖こそでと扇面せんめんの絵

東京国立博物館の《小袖 白綾地しろあやじ秋草あきくさ模様》は、通称「冬木小袖ふゆきこそで」。光琳が江戸で世話になった冬木家ふゆきけの女性のために描いたと伝わる。白い綾地に桔梗ききょう、菊きく、薄すすき、萩はぎなどが墨すみや色で描かれ、衣服の面を埋め尽くさない。布を平らに広げた写真では、袖の広い面と身頃の空きがよく分かる。着たときには袖が垂れ、腕の動きで草の位置関係が変わる。同じ秋草の絵でも、固定された屏風びょうぶと、まとう布とでは見る時間が違う。冬木家との伝承や1704年の江戸行きは所蔵館の解説に従うが、個々の草のどこを光琳がどの順番で描いたかまで図版から断定しない。

尾形光琳《小袖 白綾地秋草模様》、通称「冬木小袖」。白綾地に桔梗、菊、薄、萩などを描く。東京国立博物館蔵、重要文化財。
《小袖 白綾地秋草模様》白綾地に桔梗、菊、薄、萩などを描く。東京国立博物館蔵、重要文化財。写真:国立文化財機構/出典:国立博物館所蔵品統合検索システム(ColBase)/原画像/CC BY 4.0。画像の改変なし(表示サイズのみ調整)。

《梅花図》の扇面には制作年1702年が示される。金地きんじの小さな曲面に枝と花を配すため、大きな屏風の梅とは違う密度の調整が要る。扇の骨がつくる放射状の区切りを考えると、絵はもともと四角い額に収まるためだけに描かれたものではない。手に持ち、開閉して見る小さな画面では、花のひとつ、枝の折れひとつに存在感が増す。金が室内の光を返すと、描かれない場所も作品の一部になる。

尾形光琳《梅花図》扇面。金地の弧に梅の枝と花を置く。1702年、ホノルル美術館蔵。
《梅花図》扇面金地の弧に梅の枝と花を置く。1702年、ホノルル美術館蔵。尾形光琳おがたこうりん《梅花図》扇面、Honolulu Museum of Art/画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン

メトロポリタン美術館の《藤》も扇面に由来するが、同館は作者を「尾形光琳に帰属」と表記している。したがって確実な真筆として扱わず、光琳に結びつけられてきた扇面を読む参考として置く。藤の花房が弧に沿って下がる姿を、小袖の草が布を渡る姿と比べてみたい。扇では閉じる動き、小袖では着る人の動きが形に条件を与える。光琳の意匠を理解するには、図案だけを紙の上に抽出せず、何のための物だったかを思い出すことが欠かせない。

尾形光琳に帰属《藤》扇面。下がる藤の花房と扇の弧を読む。メトロポリタン美術館蔵。作者表記は所蔵館に従う。
《藤》扇面(光琳に帰属)下がる藤の花房と扇の弧を読む。メトロポリタン美術館蔵。作者表記は所蔵館に従う。尾形光琳に帰属《藤》、The Metropolitan Museum of Art、29.100.526/画像:Wikimedia Commons・同館提供/CC0 1.0
1700年頃京都/クリーブランド所蔵11

乾山けんざんの器を飾る波と千鳥ちどり

光琳と弟・乾山の協働は《銹絵さびえ波に千鳥文角皿かくざら》を見れば具体的になる。クリーブランド美術館は1700年頃の器とし、乾山が皿を成形し、光琳が鉄の絵具で波と千鳥を描き、乾山が透明釉とうめいゆうを掛けて焼いたと説明する。作者欄も、光琳を意匠、乾山を器の制作として分ける。兄弟二人の名が並ぶ作品だからといって、光琳ひとりの陶芸品とは書けない。役割の違いが器の形と絵の関係を鮮やかにする。

尾形光琳が波と千鳥を描き、尾形乾山が器を作った《銹絵波に千鳥文角皿》。1700年頃、クリーブランド美術館蔵。
《銹絵波に千鳥文角皿》尾形光琳おがたこうりんが波と千鳥を描き、尾形乾山おがたけんざんが器を作った《銹絵波に千鳥文角皿》。1700年頃、クリーブランド美術館蔵。写真:Gary Kirchenbauer/クリーブランド美術館(1966.365)/Wikimedia Commons・CC0 1.0

皿は四角く、少し立ち上がる縁で中の浅い空間を囲む。内面には波の曲線、その上を渡る小さな鳥。波は《波濤はとう図屏風びょうぶ》ほど画面を威圧せず、食物を置く余地を残している。鑑賞のための二曲屏風では波が主役になれたが、器の内面では千鳥の飛ぶ空と波の間が、皿を使う場をつくる。外縁にも模様が続くので、上からだけでなく斜めから見たときの装いも考えられている。掲載図版の斜めの撮影は縁の模様を見せる一方、皿の内面を真正面から観察する資料ではない。

絵を「純粋な絵画」に閉じず、使う物の寸法と手順に合わせて変えることは、八橋やつはしの硯箱すずりばこ、冬木小袖ふゆきこそで、扇面せんめんにも通じる。ただし、それらが全部同じ意匠であるという意味ではない。主題も素材も、注文や用途も異なる。共通するのは、画面が与えられたときに何を残し、何を省くかを選ぶ働きだ。代表作だけを追うと大きな屏風の画家に見える光琳が、この小さな皿では線と空きによって器の使い心地に近づいている。

LIST / 一覧主要作品一覧

この表の年代は所蔵館の表示や本文の範囲表記に従う。制作年の記録が乏しい作品を細かく並べ替えるための年表ではない。図版IDは本文中の一回限りの掲載位置に対応する。

作品名年代の目安形式・素材/制作関係本文の着眼点所蔵先図版ID
《秋草図屏風》18世紀二曲屏風、伝光琳草の群れと金地。作者の帰属に留保サントリー美術館FIG13
《燕子花図屏風》18世紀紙本金地着色、六曲一双花の反復と省かれた橋根津美術館FIG01
《八橋図屏風》1709年以後紙本金地着色、六曲一双斜線の橋と群生メトロポリタン美術館FIG02
《八橋蒔絵螺鈿硯箱》18世紀漆、金、鉛、銀、螺鈿箱の外面と内面で変わる場面東京国立博物館FIG03
《波濤図屏風》1704~1709年頃二曲屏風、墨・色・金箔爪のような波頭メトロポリタン美術館FIG04
《紅白梅図屏風》18世紀・晩年紙本金地着色、二曲一双梅と流水、材料調査MOA美術館FIG05
《風神雷神図屏風》18世紀紙本金地着色、二曲一双宗達作品の模写と配置東京国立博物館FIG06
《太公望図》江戸時代紙本金地着色、二曲一隻故事人物と身振り京都国立博物館FIG07
《布袋図》1704年以後紙本墨画、掛幅袋と人物の軽やかな線メトロポリタン美術館FIG08
《維摩図》江戸時代人物画顔・衣の筆致個人蔵FIG09
《中村内蔵助像》江戸時代肖像画同時代人の個別性大和文華館FIG10
《雪松群禽図屏風》18世紀初頭屏風雪松と鳥の動き岡田美術館FIG11
《菊図》18世紀初頭二曲屏風の表面、光琳作とされる白菊と広い金地。裏の楓は酒井抱一筆ホノルル美術館FIG12
《梅花・秋草図》1701年以後まもなく杉板の一対の板絵異なる季節と木目メトロポリタン美術館FIG14(秋草の一面)
《松竹に鶴図屏風画稿》18世紀初頭画稿、のちに屏風へ改装制作途中の線と色指定メトロポリタン美術館FIG15(一面)
《小袖 白綾地秋草模様》18世紀初頭絹の小袖に描絵布の余白と衣服の動き東京国立博物館FIG16
《梅花図》扇面1702年紙本金地の扇面小さな曲面での枝の配置ホノルル美術館FIG17
《藤》扇面江戸時代扇面、光琳に帰属花房と弧の関係メトロポリタン美術館FIG18
《銹絵波に千鳥文角皿》1700年頃乾山成形、光琳意匠・絵付け波・千鳥と器の内面クリーブランド美術館FIG19

作品を比べるための補助データ

観点屏風板絵・掛幅扇面硯箱・小袖・陶器
見る動き折れた面と部屋を横に移動する建具を通る、または掛けて近くで見る手で開閉し、近距離で見る蓋を開く、身につける、器を使う
制約面の継ぎ目、広い余白木目、縦長の幅、掛ける高さ弧と骨、開く角度素材の厚み、立体の角、実用
光琳作品の例燕子花、八橋、波濤、紅白梅梅花・秋草図、布袋図梅花図、藤八橋硯箱、冬木小袖、波に千鳥文角皿
読む手がかり群れと反復、中央の間木地と筆線、人物の身振り枝や花房の向き表裏、内外、使うときの視点

この比較は形式が表現を一方的に決めたという説明ではない。光琳は器や衣服の条件を受け止めながら、同時にその条件を見せ場へ変えている。作品ごとに花や水の形が似ていても、同一の「光琳模様」が自動的に貼り付けられたわけではない。

REFERENCES / 出典参考文献

所蔵館・公的機関・図版資料

  • 基本資料:プロジェクト提供『尾形光琳作品の調査.docx』。作品の選定と論点の出発点に用い、所蔵情報や技法の強い断定は以下の一次的な解説で照合した。
  • 根津美術館《燕子花図》:六曲一双、顔料、型紙、『伊勢物語』の典拠。
  • メトロポリタン美術館《八橋図屏風》:1709年以後、橋と燕子花、所蔵番号53.7.1・53.7.2。
  • e国宝《八橋蒔絵螺鈿硯箱》:箱の二段構造、鉛・銀・螺鈿・金、内面の波文。
  • メトロポリタン美術館《波濤図屏風》:年代、二本の筆、波頭の説明。
  • MOA美術館《紅白梅図屏風》・同館の科学調査を紹介する展覧会解説:二曲一双、たらし込み、水流の材料。
  • 東京国立博物館「大琳派展」解説:宗達と光琳の《風神雷神図屏風》の比較。同館の《夏秋草図屏風》解説は後の裏面制作について参照。
  • 京都国立博物館《太公望図》:作者、指定、形式。メトロポリタン美術館《布袋図》:形式と人物の解説。
  • 岡田美術館・展覧会作品リスト:《雪松群禽図屏風》の作者と年代。メトロポリタン美術館《梅花・秋草図》:一対の板絵と季節の草花。
  • サントリー美術館《秋草図屏風》:作者表記は「伝 尾形光琳」。ホノルル美術館の屏風解説:菊は光琳、裏面の楓は酒井抱一による。
  • メトロポリタン美術館《松竹に鶴図屏風画稿》:小西家伝来、画稿の性格と後の屏風仕立て。
  • 東京国立博物館《小袖 白綾地秋草模様》:冬木家の伝承と文様。メトロポリタン美術館《藤》:光琳への帰属表記。
  • クリーブランド美術館《銹絵波に千鳥文角皿》:制作年、光琳と乾山の役割、所蔵番号。
  • 各図版のWikimedia Commonsファイルページ。画像を選ぶと対応するファイルページを開く。作品と所蔵先、撮影者・ライセンスの詳細は図版のキャプションで確認できる。
最終更新:2026年9月22日

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