ウジェーヌ・アジェの作品The Works of Eugène Atget
ウジェーヌ・アジェは、自分の写真を芸術作品とは呼ばなかった。仕事場の看板には「芸術家のための記録(Documents pour artistes)」とだけ書かれ、彼は画家や建築家、装飾家に資料を売る一介の職人として生涯を送った。ところが、消えゆく古きパリを機械的に記録し続けたその膨大な集積は、無人の街路、宙づりのマネキン、ガラスに映り込む二重の世界という、誰も意図しなかった詩を宿していた。この記事では、アジェが遺した作品を「記録」という思想から出発して主題別にたどり、旧式の木製暗箱と金調色という物質的な条件が、いかにして20世紀写真の源泉となる映像をつくり出したのかを読み解いていく。

- 本人は「作品」ではなく「記録」を作っていた。 アジェは自らの写真を芸術ではなく、画家や職人が資料として使うための「記録」と規定した。13のカテゴリーに厳密に分類された体系的なアーカイブは、顧客名簿460名以上に支えられた商用の仕事だった。にもかかわらず、その徹底した客観性こそが、後に芸術として発見される。
- 旧式機材の「限界」が、視覚的な署名になった。 最新のカメラを退け、重い木製暗箱と低感度の乾板を使い続けたこと。建築を正確に撮るためのアオリ撮影が四隅に生んだヴィネット。長い露光時間が通行人を消し去った「無人の街」。これらはすべて技術的制約の産物でありながら、アジェ作品を一目で見分けさせる特徴になった。
- 死後にシュルレアリストとMoMAが発見した。 1920年代、マン・レイとベレニス・アボットがアジェの写真に潜む夢の論理を見出す。アボットが救い出した約5,000枚のプリントと約1,000枚のネガはやがてMoMAに収まり、シャーカフスキーらの研究を経て、彼は「記録者」から「写真芸術の最初期の表現者」へと位置づけ直された。
ウジェーヌ・アジェの作品を読む
アジェの写真の前に立つと、しばしば奇妙な感覚に襲われる。写っているのは店先や路地や庭園といった、なんの変哲もない場所である。それでいて、そこには人がいない。あるいは、いても半透明の影として溶けている。マネキンは生身の人間よりも生々しく、ガラスは現実と反射を等価に並べている。本記事は、この「記録でありながら記録を超える」作品の成り立ちを、主題別の八つの章と作品一覧を通じてたどる。まず、彼が何を作ろうとしていたのかという問いから始めたい。
「記録」という思想 ── 芸術家のための資料
ウジェーヌ・アジェの作品を理解するうえで、最初に踏まえておかなければならないことがある。彼自身は、自分が芸術を作っているとは一度も考えていなかった、という事実である。
俳優を断念し、画家を志して挫折したアジェが、生活の糧として本格的に写真撮影を始めたのは40歳を迎える1897年頃だった。彼が掲げた仕事場の看板には「芸術家のための記録(Documents pour artistes)」とだけ記されていた。顧客は画家、建築家、装飾家、舞台美術家、そして歴史家や図書館・美術館である。彼の写真は壁に飾られるためのものではなく、絵を描くための下絵資料として、あるいは失われゆく建築の記録として、机の上で使われることを前提にしていた。顧客名簿には460名以上の名が記録され、そのなかにはジョルジュ・ブラック、アンドレ・ドラン、モーリス・ユトリロといった画家も含まれていた。
重要なのは、この「記録」が思いつきの寄せ集めではなく、厳密に体系化された事業だったことである。アジェは自らの撮影対象を「パリの風景」「古いフランス」「室内」「ヴェルサイユ」など13のカテゴリーに分類し、番号を振り、系統立ててアーカイブを構築した。彼が撮ろうとしたのは、ジョルジュ・オスマンによる大改造以降、近代化の波に飲まれて急速に姿を消しつつあった古きパリ(Vieux Paris)の総体である。路地、中庭、階段の手すり、扉のノッカー、店先の看板、街頭で働く人々──それらを一枚ずつ潰していくように記録することが、彼の三十年に及ぶ労働の中身だった。
この徹底した客観性の姿勢こそが、逆説的にアジェ作品の力の源泉になっている。自己表現の野心を持たない者が、対象をただ精緻に見つめ続けた結果、そこに撮影者の作為を超えた何かが写り込む。後の章で見るように、シュルレアリストや近代写真の担い手たちが発見したのは、この「作為なき視線」が生み出した独特の空白であった。まずは、彼が何を作ろうとしていたのか──芸術ではなく記録を──という出発点を押さえておきたい。
無人の街と幽霊的な時間 ── 機材・露光・金調色
アジェの写真が持つ独特の視覚──静謐で無人の街並み、特有の遠近感、周縁部の光量落ち、そして温かくも冷たい深い色調──は、彼が意図的に選び、生涯にわたって固執した旧式の機材と技法から生まれている。ここでは、作品の「見え方」を規定した三つの物理的条件を確認しておきたい。
第一に、機材である。アジェが写真を始めた1880年代後半は、手持ちの小型カメラや高感度乾板が普及しはじめた時期だった。しかし彼はこれらを退け、前時代的な大型の木製蛇腹カメラ(ビューカメラ)と、ラピッド・レクチリニア・レンズを使い続けた。理由は明快で、建築を正確に記録するにはアオリ(シフトやフォール等のカメラムーブメント)が不可欠だったからである。建物の垂直線を平行に保とうとしてレンズボードを動かすと、レンズのイメージサークルから外れた四隅が暗く落ちる。この光学的なヴィネット(ケラレ)は、当初は技術的な副作用にすぎなかったが、やがてアジェ作品を一目で見分けさせる視覚的な署名になった。
第二に、露光である。彼は180×240mmの大判ガラス乾板を用いたが、当時の基準でも極めて低感度な乳剤だった。深い被写界深度を保つためにレンズを絞り込んだことも重なり、撮影には非常に長い露光時間が必要になる。その結果、露光中にカメラの前を横切った通行人や馬車は像を結ばず、完全に消えるか、半透明の幽霊のようなぼやけた影として残った。アジェが夜明けや早朝の拡散光を好んだことも相まって、街は不気味なほど静まり返り、シュルレアリスム的な空白を帯びる。この「無人のパリ」は、彼が演出したのではなく、機材の限界が自動的に生み出したものだった。ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)の研究ブログ「The empty streets (and parks) of Eugène Atget」は、この長秒時露光と都市の孤独の関係を視覚的に論じている。
第三に、印画と色彩である。アジェは引伸機を使わず、すべてのプリントを乾板を印画紙に直接重ねて日光で焼く密着焼き(コンタクト・プリント)で制作した。プリントの端にはしばしば、乾板を固定したクリップの黒い爪跡が残る。そして彼は仕上げに金調色(Gold Toning)を施した。これは定着後のプリントを塩化金酸の溶液に浸し、画像の銀粒子をより安定した金粒子で置換する化学処理で、保存性を飛躍的に高めると同時に、色調を褐色がかった銀の色味から深い青紫や冷たい漆黒へと劇的に変える。近年は蛍光X線分析(XRF)やラマン分光法による非破壊検査が進み、アジェのプリントから金のピークが検出されるなど、この化学処理が画像の永続性と美的完成度に寄与していたことが科学的に裏づけられている。モノクロームでありながら単純な白黒ではない、時間と距離を感じさせるニュアンスに富んだトーンは、この金調色の恩恵である。
パリの小さな職業(プティ・メチエ)
アジェの初期を代表する仕事のひとつが、「パリの小さな職業(Petits Métiers)」と呼ばれるシリーズである。街角で働く人々──手回しオルガン弾き、屑拾い、パン売り、花売り、大道芸人──を撮影したこの一群は、1898年から1900年頃に集中して制作された。近代化のなかで消えゆく都市の下層労働を、社会的類型(ストックキャラクター)として記録しようとする試みだった。
代表作《手回しオルガン弾き(Joueur d’orgue)》は、街頭でオルガンを回す男と、その傍らで歌う少女を捉えている。アジェの意図は職業の類型を示すことにあったが、写真のなかの二人はその枠を超えて、鮮烈な個性を放っている。男の手つき、少女のまなざしとポーズは、パフォーマンスの一瞬のまま画面に凍結され、生き生きとした存在感を持つ。この一枚は画家モーリス・ユトリロも買い求めたと伝えられ、資料写真が同時代の芸術家にどう受け取られたかを示す好例になっている。
もう一枚の《屑拾い(Chiffonnier / Ragpicker)》は、廃品を集めて生計を立てる最下層の労働者を、背負い籠や道具とともに正面から捉えている。屑拾いは19世紀パリの都市生態系を支えた存在でありながら、まさに近代化によって姿を消しつつあった職業だった。アジェのカメラは、彼らを憐憫の対象としてでも、絵画的な風俗としてでもなく、一個の職業人として真正面から記録する。感情を排したこの距離の取り方こそ、プティ・メチエ・シリーズが単なる懐古趣味に堕さず、貴重な社会史的記録として今日まで参照される理由である。
プティ・メチエは、アジェの「記録者」としての姿勢が最も直接的に表れた仕事であると同時に、彼の視線が対象に思いがけない尊厳を与えてしまう瞬間を含んでいる。類型を撮ろうとして個を撮ってしまう──この意図と結果のずれは、後年のショーウィンドーやヴェルサイユの作品にも形を変えて繰り返される、アジェ作品の通奏低音である。
ショーウィンドーとマネキン ── 事実と虚構の境界
アジェの作品群のなかで、後世の前衛芸術家たちを最も強く刺激したのが、商店のショーウィンドーを撮った一連の写真である。ヒーロー画像に掲げた《ストラスブール大通り、コルセット》(1912年)は、その代表格だ。暗い店先を背景に、砂時計形のトルソーが宙づりに並び、割れた扉の隙間には一着のコルセットが垂れ下がっている。当時、女性の身体的・社会的解放が進むにつれて旧弊なコルセットは衰退しつつあった。アジェは商品を記録したにすぎないが、結果として、首のない女性の身体が浮遊するような不気味な演劇性が生まれた。露光中に風で揺れたペチコートのブレは、静止した街のなかを流れる時間そのものを可視化している。
もう一つの到達点が《ゴブラン大通り(Avenue des Gobelins)》(1925年)である。ショーウィンドーに整列する紳士服のマネキンと、そのガラスに映り込むパリの街路とが、多重露光のように一枚の画面のなかで溶け合っている。内側(商品という虚構)と外側(現実の都市空間)の境界が、ガラスの反射によって徹底的に曖昧になる。アジェにとっては、おそらく光学的な事実を忠実に記録しただけだったろう。しかし前衛芸術家たちは、これを近代都市が生み出す幻惑を完璧に捉えたマスターピースとして読んだ。メトロポリタン美術館の作品解説も、この「事実と想像力の溶解(dissolve between fact and imagination)」を詳述している。
マネキンは、アジェの作品においてきわめて特異な位置を占める。それは人間の似姿でありながら人間ではなく、視線を返さず、老いず、動かない。長時間露光で生身の通行人が消えてしまう彼の写真世界では、むしろこの動かない人形のほうが確固たる存在として画面に残る。生きた人間が幽霊になり、人形が主役になるという逆転。ショーウィンドーの連作は、アジェの「無人の街」という主題が、最も濃密に凝縮した場所だったといえる。
ヴェルサイユと庭園の彫刻 ── 記念的空間の舞台化
アジェは生涯を通じて、ヴェルサイユ宮殿とその庭園、そしてサン=クルーやソーといったパリ近郊の庭園に、繰り返し通い続けた。これらの記念的な庭園は、彼の13分類のなかでも独立した一群を成し、晩年に至るまで重要な主題であり続けた。
ヴェルサイユにおいてアジェが向けたレンズは、庭園そのものよりも、そこに配置された彫刻や装飾に注がれることが多い。彼は庭園の彫像を、単なる装飾品としてではなく、「太古からの劇を演じる登場人物(characters in an immemorial play)」として捉えた。かつて演劇の世界に身を置いた経歴を持つアジェは、都市や庭園という巨大な舞台の「舞台装置(セッティング)」を切り取る感性に長けていた。人気のない庭園に佇む彫像は、彼の手にかかると、開演を待つ役者のような静かな緊張をまとう。たとえば1923年の作品では、瀕死の剣闘士の複製彫像と背景のアポロン像を視覚的に対比させ、死にゆく肉体から魂が昇華していくかのような構成をつくり上げている。ゲティ美術館の特別展示論考なども、こうした記念的建造物への彼のアプローチを論じている。
庭園の噴水を飾る装飾的な壺や大理石の彫刻もまた、アジェの好んだ被写体だった。早朝の斜光のなかで、彫刻の表面の質感、風化の痕跡、周囲の植栽との関係が、静謐なトーンで記録される。そこには単なる地形的記録を超えた、深い空間認識と造形美学が表れている。庭園という人工的に構成された自然のなかで、アジェは時間の堆積そのものを撮ろうとしていたようにも見える。
パリの記念碑と建築 ── 晩年の自主的な視線
古きパリの記録を主眼としたアジェにとって、街の記念碑や大建築もまた欠かせない主題だった。パンテオン、ノートルダム大聖堂、教会、噴水、歴史的な邸宅──これらの建築を、彼は独特の劇的な遠近感で捉えている。
《パンテオン(The Panthéon)》(1924年)は、パリの巨大なモニュメントを、下方からあおるような視点で切り取った建築写真である。アオリ撮影によって垂直線を保ちながらも、巨大な建造物が画面のなかで圧倒的な質量として立ち上がる。ゲティ美術館が所蔵するこの一枚は、彼が記念碑をどう空間として認識していたかをよく示している。
とりわけ注目すべきは、晩年の作品に見られる変化である。《ノートルダム》(1922年)に代表される一群は、もはや商業的な顧客の注文のためではなく、アジェ自身の楽しみのために撮影された風景だと考えられている。セーヌ河岸から大聖堂を望むこれらの写真には、資料として建物を正確に写すという実務的な目的を離れ、光と水と石の関係そのものを味わおうとするような、より自由な視線が宿っている。長年にわたって記録に徹してきた職人が、生涯の終わりに近づいて、ようやく自分自身のために被写体と向き合いはじめた──そうした変化の兆しを、晩年のセーヌ河岸の連作から読みとることができる。
建築を撮るアジェの写真には、人がほとんど登場しない。石造りの記念碑は、長時間露光のあいだも動かず、輪郭を保ち続ける。その静止した石の量塊と、消えてしまう人間との対比は、彼の作品世界を貫く「無人性」の主題を、最も堅牢な形で提示している。
群衆と出来事 ── 日食のパリ
アジェの作品は無人の街を本領とするが、ごく例外的に、群衆そのものを主題とした一枚がある。《日食の間に(Pendant l’éclipse)》(1912年)である。
1912年4月17日、パリで観測された日食の日、広場に集まった大勢の人々が、思い思いの遮光具を手に、いっせいに空を見上げている。アジェのカメラは、その群衆の後ろ姿と、上を向いた顔の連なりを捉えた。通常の彼の作品では、動く人間は長時間露光によって消えてしまう。しかしこの写真では、天体現象を見つめて静止した大衆が、はっきりと像を結んでいる。空を見上げるという一点の共通行為が、群衆を彫像のように固定したのである。
この一枚が興味深いのは、アジェの記録者としての本質が、逆説的な形で表れているからだ。彼は日食という天文現象そのものではなく、それを見上げる人々の集合的な身振りを記録した。出来事の中心(太陽)ではなく、出来事を受け取る側(群衆)に視線を向けるこの姿勢は、まさに都市の日常を観察し続けてきた彼ならではのものである。当時の社会風俗、人々の服装、集まり方、熱気が、一枚の乾板のなかにそのまま切り取られている。
《日食の間に》は、後にマン・レイがシュルレアリスムの機関誌『シュルレアリスト革命』にアジェの写真を掲載した際に選んだ作品のひとつとしても知られる。無数の視線がひとつの不在の中心(覆い隠された太陽)に向かって収束するこの構図は、シュルレアリストたちの関心を強く引いた。群衆を撮った例外的な一枚が、結果として彼の作品の再発見の入口のひとつになったのは、示唆的である。
発見と遺産 ── 記録から芸術へ
生前のアジェは、あくまで商用の記録を提供する職人にとどまった。しかし、彼の作品が「芸術」として発見される契機は、皮肉にも彼の存命中にすでに訪れていた。
1920年代、同じモンパルナス地区に住んでいたアメリカ人写真家マン・レイと、そのアシスタントだったベレニス・アボットが、アジェの写真に潜む特異な魅力を見出した。シュルレアリストたちは、無人の街路や、マネキンとガラスの反射が交錯するショーウィンドーの写真に、人間の無意識や白昼夢の論理との強烈な類似を読みとった。1926年、マン・レイはシュルレアリスムの機関誌『シュルレアリスト革命(La Révolution surréaliste)』にアジェの写真を掲載する。だがアジェ本人は「これはただの記録に過ぎない」として、名前のクレジット表記を拒み、匿名での掲載を条件とした。作品が芸術として祭り上げられることを、彼は最後まで拒んでいたのである。ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンもまた1931年の著作で、アジェの写真が持つ犯罪現場のような不穏な静けさを指摘し、シュルレアリスム写真の先駆として絶賛した。
1927年8月、アジェは極度の貧困と孤独のなかで世を去った。死の数ヶ月前、アボットは彼をスタジオに招いてポートレートを撮影している。そしてアジェの死後、その膨大な作品が散逸するのを防いだのもアボットだった。彼女は1928年、スタジオに残された約5,000枚のプリントと約1,000枚のガラス乾板ネガを購入し、アメリカへ持ち帰る。この「アボット・レヴィ・コレクション」は1968年にニューヨーク近代美術館(MoMA)に一括して買い取られ、世界最大のアジェ・アーカイブとなった。
MoMAの写真部門ディレクター、ジョン・シャーカフスキーとマリア・モリス・ハンブルグは、12年の歳月をかけてこのアーカイブを整理・研究し、1981年から1985年にかけて全4巻の作品集『The Work of Atget』を刊行した。これによってアジェの全貌と制作の年代的な展開が初めて明らかになり、彼は単なる記録者ではなく「真の写真芸術の最初期の表現者」として位置づけ直された。「それは記録であって、ほかの何ものでもない」という彼の無骨な言葉は、主観を排して世界をただ精緻に見つめ続けること自体が、いかなる作為をも凌駕する表現に到達しうるという逆説を、今日なお静かに語り続けている。
LIST / 一覧主要作品一覧
本記事で扱った作品を中心に、公的機関のオープンアクセス等で高解像度画像が公開されている代表作を一覧化した。所蔵・提供元は主要な公開先の一例であり、同一構図の作品が複数館に分蔵されている場合もある。
| # | 作品名 | 制作年 | 形式・技法 | 特記事項 | 所蔵・公開 |
|---|---|---|---|---|---|
| 01 | ストラスブール大通り、コルセット(Boulevard de Strasbourg, Corsets) | 1912年 | ゼラチン・シルバー(密着焼き) | 宙づりのマネキンと揺れるコルセット。シュルレアリストが愛した代表作 | MoMA/シカゴ美術館ほか |
| 02 | ゴブラン大通り(Avenue des Gobelins / Magasin) | 1925年 | ゼラチン・シルバー(密着焼き) | ショーウィンドーの反射による事実と虚構の溶解 | メトロポリタン美術館/ゲティ美術館/MoMA |
| 03 | 手回しオルガン弾き(Joueur d’orgue) | 1898–99年 | ゼラチン・シルバー | 「プティ・メチエ」の傑作。ユトリロが所持したと伝わる | メトロポリタン美術館/MoMA |
| 04 | 屑拾い(Chiffonnier / Ragpicker) | 1899–1901年頃 | ゼラチン・シルバー | 消えゆくパリ最下層の労働を正面から記録 | ゲティ美術館ほか |
| 05 | ルピック通りのランプシェード売り(Marchand d’abat-jour, rue Lepic) | 1898–1900年頃 | アルブメン・シルバー | 街頭の行商人と石畳。四隅のヴィネットも確認できる | メトロポリタン美術館/カルナヴァレ博物館ほか |
| 06 | ヴェルサイユ、コルニュによる壺(Versailles, Vase par Cornu) | 年代不詳 | ゼラチン・シルバー | 庭園を飾る装飾的な大理石の壺 | シカゴ美術館 |
| 07 | サン=クルー公園(Parc de Saint-Cloud) | 1906年 | ゼラチン・シルバー | パリ近郊の庭園の水景 | シカゴ美術館 |
| 08 | パンテオン(The Panthéon) | 1924年 | ゼラチン・シルバー印画(POP) | あおり視点で捉えた巨大モニュメント | ゲティ美術館 |
| 09 | ノートルダム(Notre-Dame) | 1922年 | アルブメン・シルバー | 晩年、自身の楽しみのために撮った河岸の風景 | ナショナル・ギャラリー・オブ・アート |
| 10 | 日食の間に(Pendant l’éclipse) | 1912年 | ゼラチン・シルバー | 空を見上げる群衆を捉えた例外的な一枚 | MoMA |
主題で見るアジェの作品
| 主題グループ | 代表作・内容 | 制作の中心時期 | 作品上の特徴 |
|---|---|---|---|
| 古きパリの街路 | ルピック通りほか、路地・中庭・階段・扉 | 全期 | 無人・ヴィネット・早朝の拡散光 |
| プティ・メチエ(小さな職業) | 手回しオルガン弾き、屑拾い、花売り | 1898–1900年頃 | 街頭労働の類型を正面から記録 |
| ショーウィンドー・マネキン | コルセット、ゴブラン大通り | 1910–1925年頃 | 反射による事実と虚構の溶解 |
| ヴェルサイユ・庭園 | ヴェルサイユ、サン=クルー、ソー | 全期(晩年まで) | 彫刻を舞台の登場人物として演出 |
| 記念碑・建築 | パンテオン、ノートルダム | 1920年代に自主制作化 | あおり撮影、石の量塊と無人性 |
| 群衆・出来事 | 日食の間に | 1912年 | 静止した大衆をとらえた例外作 |
作品を成り立たせた技術的条件
| 項目 | 内容 | 作品への影響 |
|---|---|---|
| カメラ | 大型木製ビューカメラ(蛇腹)、アオリ機構 | 建築の垂直線を保持/四隅にヴィネット |
| レンズ | ラピッド・レクチリニア・レンズ(対称型) | 直線を正確に描写、イメージサークル外がケラレる |
| 感材 | 180×240mm 大判ガラス乾板(低感度) | 長時間露光→動く人物が消える「無人の街」 |
| プリント | 密着焼き(POP/焼き出し式)、引伸機不使用 | 端にクリップの爪跡、乾板と等寸のプリント |
| 印画紙 | アルブメン紙、ゼラチン・シルバー(マット系) | 微細な階調、経年での黄変・退色 |
| 調色 | 金調色(塩化金酸による銀→金の置換) | 保存性向上+青紫〜冷たい漆黒の深いトーン |
BOOKS & FILM / 本と映像作品をもっと見るために
アジェの作品世界と、その写真史における影響をより深く知るための書籍・映像を掲載する。書名・著者・出版社・ASINはAmazon.co.jpおよび各社の商品情報で確認したものを記載している。書影画像は資料にURL指定がないため、画像なしカードで掲載する。中古・品切れの状況は変動するため、購入前に各商品ページで確認されたい。

アジェのパリ【新装版】
- 著者
- 大島 洋
- 出版社
- みすず書房
- 形式
- 単行本
- ASIN
- 462207995X
日本の写真家・大島洋が、アジェの写真集を手にパリの街を実地に歩き、同じ視点から都市論・写真論を展開する名著。「失われた都市への哀惜」という定説をなぞるのではなく、アジェの写真が何を記録し、何を記録しなかったのかを問い直していく。作品を「見る」ための視点を養う一冊として、まず勧めたい。2016年の新装版。
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ウジェーヌ・アジェ写真集
- 著者
- ジョン・シャーカフスキー 編/原信田 実 訳
- 出版社
- 岩波書店
- 形式
- 単行本
- ASIN
- 4000082132
MoMAの写真部門を牽引したキュレーター、ジョン・シャーカフスキーによる決定版モノグラフの日本語版。アジェの芸術的価値を世に知らしめた金字塔的な一冊で、作品選定と解説の水準が高い。本記事で触れた無人の街路、ショーウィンドー、ヴェルサイユといった主題を、まとまった図版で通覧できる。日本語で読めるアジェ論の基準点となる書。
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Eugène Atget. Paris(Bibliotheca Universalis)
- 著者
- Jean Claude Gautrand
- 出版社
- TASCHEN
- 形式
- 単行本(洋書)※
- ASIN
- 3836522306
手頃な価格でありながら、カルナヴァレ博物館などのアーカイブから高品質な図版を多数収録したタッシェンの写真集。多言語版で、テキストよりも図版を主体とするため、言語を問わずビジュアル・リファレンスとして最適である。古きパリの街路や店先を、まとまった点数で見わたしたいときに便利な一冊。
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ウジェーヌ・アジェ回顧
- 企画・監修
- 東京都写真美術館
- 出版社
- 東京都写真美術館(求龍堂ほか)
- 形式
- 単行本(図録)
- ASIN
- 447301620X
MoMAが編纂した全4巻の学術全集『The Work of Atget』はAmazon.co.jpでの安定した入手が難しいため、その代わりに、日本語で読めるまとまった作品集として本図録を挙げる。東京都写真美術館が企画・監修したアジェの回顧展にあわせて刊行されたもので、「開かれゆく20世紀のパリ」を副題に、代表作を体系的に収める。日本の美術館の視点からアジェの全体像を確認できる点で貴重である。
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Atget: Photographe de Paris(Books on Books No.1)
- 著者
- Eugène Atget(写真)/Pierre Mac Orlan・David Campany ほか(解説)
- 出版社
- Errata Editions
- 形式
- 単行本(洋書)※
- ASIN
- 193500400X
1930年にベレニス・アボットらの手で刊行された、アジェにとって初の写真集『Photographe de Paris』。その歴史的な一冊の全ページを、現代の解説とともに復刻する「Books on Books」シリーズの記念すべき第1巻である。アジェの作品が「本」という形で最初に世に出たときの構成そのものを追体験できる、写真史的な価値の高い資料。
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過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道
- 監督
- 岩間 玄
- 出演
- 森山 大道
- 形式
- Blu-ray(発売:VAP)
- ASIN
- B0BSGX2FW1
アジェの業績を単独で網羅した映像作品はAmazonでの流通が極めて限定的なため、その系譜を継ぐ「都市を彷徨する記録者」の写真ドキュメンタリーを代替として挙げる。本作は、変わりゆく都市空間(東京/パリ)を歩きながら撮り続ける森山大道に密着し、ストリート写真の核心に迫る。アジェが切り拓いた「都市のスナップショット」という主題が、現代にどう受け継がれているかを理解するうえで、優れた映像資料になる。
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図版クレジットと画像確認
- 《ストラスブール大通り、コルセット》1912年 — Eugène Atget / Wikimedia Commons
- 《アジェの仕事部屋(密着焼き用フレームのある)》1910年頃 — Eugène Atget / The Metropolitan Museum of Art
- 《ルピック通りのランプシェード売り》1898–1900年頃 — Eugène Atget / The Metropolitan Museum of Art
- 《手回しオルガン弾き》1898–99年 — Eugène Atget / Wikimedia Commons
- 《屑拾い》1899–1901年頃 — Eugène Atget / J. Paul Getty Museum
- 《ゴブラン大通りの店先》1925年 — Eugène Atget / J. Paul Getty Museum
- 《ヴェルサイユ、コルニュによる壺》 — Eugène Atget / Art Institute of Chicago
- 《サン=クルー公園》1906年 — Eugène Atget / Art Institute of Chicago
- 《ノートルダム》1922年 — Eugène Atget / National Gallery of Art
- 《日食の間に》1912年 — Eugène Atget / Wikimedia Commons
- ウジェーヌ・アジェ肖像、1890年頃 — Bibliothèque nationale de France / Wikimedia Commons
本文図版10点はアジェの写真作品、1点は若きアジェの肖像写真。各ファイルの作品名・年代・被写体をCommonsおよび所蔵機関の記録と照合した。
REFERENCES / 出典参考文献
所蔵館・研究機関の資料
- Eugène Atget — MoMA(作家ページ・アーカイブ)
- Eugène Atget (1857–1927) — The Metropolitan Museum of Art
- Eugène Atget: Highlights from the Mary & Dan Solomon Collection — Getty
- Notre-Dame(1922年) — National Gallery of Art
- The empty streets (and parks) of Eugène Atget — V&A Blog



 - Google Art Project.jpg)







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