レオナルド・ダ・ヴィンチの作品The Works of Leonardo da Vinci
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵は少ない。確実に彼の手によるとされる主要作は25点に満たず、そのうち何点かは未完のまま放置されている。同時代の工房が年に何十枚も祭壇画を納品していたことを思えば、職業画家としては失格に近い数字である。それでも彼の一枚一枚が特別なのは、そこに時間と工学が異常な密度で詰め込まれているからだ。近年の蛍光X線分析は、彼が1〜2マイクロメートルの半透明の層を何十枚も重ねて陰影を作っていたことを突き止めた。マルチスペクトル撮影は、黄ばんだニスの下から本来の青空と血色のよい肌を掘り出した。この記事では、彼が残した作品を制作順にたどりながら、絵の表面で何が起きているのかを一点ずつ見ていく。

- 絵は「描かれた」のではなく「積層された」。 蛍光X線分析によれば、彼は厚さ1〜2マイクロメートルという極薄の半透明層を何十層も重ね、全体で30〜40マイクロメートルを超えない範囲に陰影を収めていた。髪の毛の直径がおよそ80マイクロメートルであることを思えば、顔の陰影のすべてが髪一本の半分の厚みのなかで組み立てられていることになる。
- 色は褪せたのではなく、覆われている。 現在われわれが見る『モナ・リザ』の黄褐色は、レオナルドの色ではなく経年で黄変したニスの色である。13バンドのマルチスペクトル撮影でニスの分光成分を数学的に取り除くと、透明な青空と血色のよい肌が現れた。
- 未完は失敗ではなく、方法の帰結だった。 『東方三博士の礼拝』も『聖ヒエロニムス』も『アンギアーリの戦い』も未完に終わっている。乾きの遅い媒材を使い、何十層も重ね、そのあいだ観察と修正を続けるという方法は、完成を先送りにし続ける方法でもあった。
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品
レオナルドの作品を見るとき、いま目の前にある表面は、彼が置いた最後の層でしかない。その下には下絵があり、転写の点線があり、塗り直された指の位置があり、何十層ものグレーズがある。上には数世紀ぶんの黄変したニスが乗っている。この20年ほどで蓄積された非破壊分析のデータは、この「厚み」を初めて数字で示した。以下の13章では、作品を制作順にたどりながら、見えているものと、見えなくなっているものを並べて記述していく。年代には研究者によって幅があるため、通説的な範囲を示している。
20点あまりという寡作 ── 帰属の地図
レオナルドの作品を語るとき、最初に確認しておくべきなのは数である。彼に帰属される主要な現存作品は25点に満たない。しかもそのうち何点かは未完のまま放棄され、何点かは工房の助手の関与が指摘され、何点かは帰属そのものが議論の対象であり続けている。
美術史の合意はおおよそ三層に分かれる。第一の層は、過去にほとんど論争を呼ばなかった作品群である。『東方三博士の礼拝』『荒野の聖ヒエロニムス』ルーヴル版『岩窟の聖母』『最後の晩餐』、スフォルツァ城サーラ・デッレ・アッセの天井装飾、『聖アンナと聖母子と幼い洗礼者ヨハネ』のカルトン、『聖アンナと聖母子』、そして『モナ・リザ』。この8点前後が、揺るぎない核をなす。
| 分類 | 該当作品 | 点数の目安 |
|---|---|---|
| 論争のほとんどない帰属 | 東方三博士の礼拝/荒野の聖ヒエロニムス/岩窟の聖母(ルーヴル版)/最後の晩餐/サーラ・デッレ・アッセ/聖アンナと聖母子と幼い洗礼者ヨハネ(カルトン)/聖アンナと聖母子/モナ・リザ | 約8点 |
| 現在は広く認められる帰属 | 受胎告知/カーネーションの聖母/キリストの洗礼(ヴェロッキオとの共作)/ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像/ブノワの聖母/音楽家の肖像/白貂を抱く貴婦人/ラ・ベル・フェロニエール/岩窟の聖母(ロンドン版)/イザベラ・デステの肖像/洗礼者ヨハネ | 約11点 |
| 帰属が係争中 | サルヴァトール・ムンディ ほか | 数点 |
| 失われた作品 | アンギアーリの戦い/スフォルツァ騎馬像/イザベラ・デステの肖像(油彩版) | 3点前後 |
第二の層は、現在では広く帰属が認められているものの、過去にはかなりの論争や疑問を呼んだ作品群である。『受胎告知』『カーネーションの聖母』、ヴェロッキオとの共作『キリストの洗礼』、『ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像』『ブノワの聖母』、工房の関与が想定される『音楽家の肖像』、『白貂を抱く貴婦人』『ラ・ベル・フェロニエール』、工房の助力を伴うロンドン版『岩窟の聖母』、『イザベラ・デステの肖像』、そして『洗礼者ヨハネ』。
第三の層は、いまも係争中の作品群である。2017年に4億5,030万ドルという公開オークションの世界記録で落札された『サルヴァトール・ムンディ』は、その全体または一部がレオナルドに帰属するとされるが、議論は決着していない。
この数字の少なさは、技量の問題ではない。彼の制作方法そのものの帰結である。乾きの遅い媒材を選び、極薄の層を重ね、そのあいだじゅう観察と修正を続ける。この方法は必然的に一点あたりの時間を膨張させる。『モナ・リザ』は10年以上手元にあり、それでも彼は完成を宣言しなかった。
『キリストの洗礼』の天使 ── 共同制作に混じった異質な油彩
レオナルドの筆が最初に確認できる絵は、彼の名前で注文された作品ではない。師アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房が受けた祭壇画『キリストの洗礼』(1472–1475年頃、177×151cm、ウフィツィ美術館蔵)である。
ヴァザーリは、画面左端でキリストの衣を持つ若い天使をレオナルドが描いたと記し、その出来があまりに師を上回っていたためヴェロッキオは筆を折ったと伝えている。後半の逸話はおそらく作り話だが、絵の表面に技術的な断層が存在すること自体は事実である。

決定的な違いは技法にある。この作品の大部分はテンペラで描かれているが、天使の部分、褐色の渓流の向こうに見える岩、風景の一部、そしてキリストの身体の多くには油彩が使われている。テンペラは乾きが早く、筆跡が残りやすい。対して油彩は乾きが遅く、半透明の層を重ねて光の透過と反射を操作できる。北方フランドルからイタリアへ伝わったばかりのこの新技法を、20歳前後のレオナルドは師の画面のなかで実験していたことになる。
つまりこの絵は、テンペラの時代と油彩の時代が一枚の板の上で隣り合っている。天使の柔らかい輪郭と、それ以外の部分の硬い輪郭を見比べるだけで、その後の40年でレオナルドが何をやろうとしていたのかがすでに読める。
『受胎告知』 ── 横長の画面と、遠近法のわずかな破綻
ウフィツィ美術館の『受胎告知』(98×217cm)は、レオナルドの現存する最初期の大型作品である。縦横比がほぼ1対2という極端な横長は、当時の祭壇画の下部を飾るプレデッラ的な配置に由来する。
構図は伝統に忠実だ。フラ・アンジェリコの同主題作品と同様、聖母は画面右に座り、左から百合を持った天使が近づく。ただし人物の扱いは伝統から離れている。読書を中断された聖母は、聖書に指を挟んで場所を保ったまま、もう一方の手を上げる。驚きとも挨拶ともつかない仕草である。彼女は諦めをもって役割を受け入れるのではなく、確信をもって受け取っている。若いレオナルドがここで提示したのは、神の受肉における人間の役割を認める、人文主義的な聖母像だった。

もう一点、この絵にはよく指摘される「破綻」がある。聖母の右腕が、書見台に対して不自然に長く伸びているように見えるのだ。これは画面を斜め右下から見上げる位置に置かれることを想定した補正だとする説と、若書きの未熟さとする説が並存している。どちらにせよ、この時点でレオナルドが視点と歪みの関係を意識していたことは確かで、その関心はのちに『最後の晩餐』の消失点設計や『モナ・リザ』の背景の処理へつながっていく。
背景の遠景は、すでに空気遠近法の兆しを見せている。遠くの山と港は青みに沈み、輪郭がほどけている。大気中の水分と塵が遠方の物体をどう見せるかという観察を、彼は絵具の色として翻訳しはじめていた。
『ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像』 ── 画面に残った指紋
20代前半に描かれたこの肖像(38.1×37cm、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)は、南北アメリカ大陸で公開されている唯一のレオナルド作品である。1967年にリヒテンシュタイン侯フランツ・ヨーゼフ2世から購入されたもので、当時の絵画取引としては記録的な500万〜600万ドルという価格がついた。
美術史的な革新は二つある。第一に、当時のイタリアで女性の肖像がメダルや硬貨の意匠にならった厳格な横顔で描かれるのが通例だったのに対し、レオナルドはモデルの身体をわずかに回転させて4分の3正面観を採用した。これによって顔の表情、身体の立体、そして背後の風景へと鑑賞者の視線が連続的に導かれる。第二に、女性を室内ではなく屋外の自然のなかに置いた。人間を大宇宙のなかの小宇宙として捉える視座が、構図の選択に直接現れている。この二つはそのまま『モナ・リザ』に受け継がれる。

そして、この絵にはきわめて物質的な痕跡が残っている。空と背後の植物の境界部分に、レオナルド自身の指紋がはっきり確認できるのだ。筆の跡を残さずに絵具をぼかし、遠方の物体が青みがかって見える推移を自然に近づけるために、彼は指を直接使って油彩をブレンドしていた。のちに完成される「スフマート」は、こうした触覚的な操作から出発している。
背景に描かれた低木はネズ(ジュニパー、イタリア語で ginepro)で、モデルの名ジネーヴラ(Ginevra)にかけた視覚的な語呂合わせである。板の裏面には月桂樹とシュロとネズの枝が描かれ、「美は美徳を飾る(VIRTVTEM FORMA DECORAT)」というラテン語の銘文を記した巻物が配される。外見の模写を超え、詩人でもあった彼女の知性と道徳的価値を象徴で語らせるエンブレム的肖像である。
初期の聖母子二点 ── 独立後の最初の実験
1478年10月、レオナルドは二点の聖母子像に着手したと自ら記録している。一点はエルミタージュ美術館の『ブノワの聖母(花を持つ聖母子)』(49.5×33cm)、もう一点はミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある『カーネーションの聖母』(62×47.5cm)である。
『ブノワの聖母』は、レオナルドがヴェロッキオから独立して最初に描いた作品である可能性が高いとされる。主題は素朴だが、着目点は視線にある。幼子は母の手を導くようにして、花を自分の視野の中心へ持っていこうとしている。大英博物館に残る二点の準備素描と合わせて見ると、レオナルドがこの時点ですでに「見ること」と遠近の問題を絵の主題そのものに据えていたことがわかる。この作品は若い画家たちに盛んに模写され、ラファエロもロンドン・ナショナル・ギャラリーの『カーネーションの聖母(Madonna of the Pinks)』でこれを踏まえている。

『カーネーションの聖母』は、当初ヴェロッキオの作とされていたが、その後の研究でレオナルドの作、おそらくヴェロッキオのもとでの修業期の仕事と考えられるようになった。聖母は豪奢な衣装と宝飾を身につけ、左手に赤いカーネーションを持つ。赤は血と受難を暗示する。顔だけが光のなかに置かれ、花を含む他の要素は影に沈む。母は下を見、幼子は上を見て、視線は交わらない。背景は左右に窓が開いた室内で、その向こうには青く霞む山岳風景が広がる。
この二点はどちらも小画面だが、その後の要素はほぼ出そろっている。窓の向こうの空気遠近法、光を顔に集中させる明暗の設計、視線の交わらない人物配置。ミラノで大画面を任される前の、実験の記録である。
二つの未完 ── 下描きのまま止まった大作
1481年3月、サン・ドナート・ア・スコペート修道院の修道士たちから『東方三博士の礼拝』の注文が入る。完成すれば約250×250センチ、50人近い人物が渦を巻く大作になるはずだった。
構図はきわめて複雑である。前景に聖母子が三角形をなし、その背後を半円状の群衆が取り巻く。画面右端には若いレオナルド自身の自画像かもしれない人物が立つ。左の背景には異教の建物の廃墟があり、そこで職人らしき人物たちが修復作業をしている。中世の伝説では、この廃墟は処女が子を産むまで立ち続けるとされたマクセンティウスのバシリカを指し、キリスト降誕の夜に崩れ落ちたとされる。右には騎馬の戦闘と岩山のスケッチ。降誕、崩壊、戦闘が一枚のなかで同時に進行するという、前例のない構成である。

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しかし絵は木炭とインクによる下描きの段階で止まった。1482年、レオナルドがミラノへ発ったためである。
この未完作にはさらに数奇な後日談がある。伝統的な三博士の絵を期待していた依頼主は、半ば骸骨のような群衆と背景の戦闘場面を見て困惑し、破棄せずに倉庫へ回した。のちにレオナルド作品の価値が上がると、この板は引き出され、売りやすくするために何者かが上から加筆した。この後年の加筆によって、レオナルドの原案は改変されてしまう。2012年から2017年にかけてフィレンツェの貴石加工研究所(Opificio delle Pietre Dure)が修復を行い、長年の汚れと古いニスを除去した結果、レオナルドの木炭の輪郭が明瞭に見える、驚くほど明るい画面が現れた。
同じ時期に着手された『荒野の聖ヒエロニムス』(103×75cm、ヴァチカン美術館蔵)も未完である。悔悛者ヒエロニムスは画面中央にやや斜めに置かれ、上方から見下ろされる。ひざまずく姿は台形をなし、片腕は画面の外縁へ伸び、視線は反対方向へ向かう。前景には象徴である獅子が、身体と尾で二重の螺旋を描いて横たわる。ワッサーマンは、この作品とレオナルドの解剖学研究との結びつきを指摘している。首と肩の骨格構造が、下描きの段階ですでに露出しているからである。この板は18世紀にアンゲリカ・カウフマンの所蔵となったのち切断され、二つの主要部分が古道具屋と靴屋で別々に発見されて再結合されたという経緯をもつ。
『岩窟の聖母』二つのヴァージョン ── 何が変えられたのか
レオナルドがミラノで最初に受けた重要な絵画注文は、無原罪の御宿りの信心会のための『岩窟の聖母』だった。ところがこの作品は、なぜか二点存在する。ほぼ同じ構図で、いくつかの重要な細部だけが異なる。
一般に先行するとされるルーヴル版(1483–1486年頃、199×122cm)は未修復のままパリにあり、もう一点のロンドン版(1491/92–1499年および1506–1508年頃)はロンドン・ナショナル・ギャラリーにある。どちらも高さ約2メートル、油彩。当初はいずれも木製パネルに描かれたが、ルーヴル版はのちにカンヴァスへ移し替えられている。
| 項目 | ルーヴル版 | ロンドン版 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1483–1486年頃 | 1491/92–1499年および1506–1508年頃 |
| 所蔵 | ルーヴル美術館(パリ) | ナショナル・ギャラリー(ロンドン) |
| 支持体 | 板(のちカンヴァスへ移し替え) | ポプラ材の板 |
| 寸法 | 約199×122cm | 約189.5×120cm |
| 天使の視線 | 鑑賞者のほうを向く | 幼子のほうを向き、鑑賞者を見ない |
| 天使の右手 | 洗礼者ヨハネを指し示す | 指差しが省かれる |
| 天使のローブ | 赤 | 青 |
| 光の性格 | やわらかく全体に回る | 明暗の対比が強い |
| 修復状況 | 未修復 | 2008–2010年に修復、2010年再公開 |
| 工房の関与 | ほぼレオナルド単独と考えられる | 助手の関与が想定される |
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二点が存在する理由は、報酬をめぐる争いにある。ルーヴル版は支払いの紛争の末に別の買い手(おそらくフランス王室関係者)へ売却され、信心会のために代替品として制作されたのがロンドン版だった、というのが有力な説明である。信心会も共同制作者のデ・プレディス兄弟も、絵と報酬を受け取るまで次の世紀まで待たされた。
構図上の最大の相違は天使にある。ルーヴル版の天使は鑑賞者のほうを見て、右手で幼い洗礼者ヨハネを指し示す。ロンドン版ではこの視線と指差しが消える。加えて配色が変えられた。ルーヴル版で赤かった天使のローブが、ロンドン版では青になっている。ナショナル・ギャラリーの技術報告は、これを画面全体の色彩構成を単純化し、鑑賞者の視線を聖母の黄色い衣と劇的な明暗法へ集中させるための意図的な操作だと分析している。
ロンドン版は約18か月に及ぶ大規模な修復を経て2010年に再公開された。修復と技術分析の記録は『National Gallery Technical Bulletin』第32巻(2011年)に詳しい。そこから読み取れるのは、1490年代前後にレオナルドの造形上の野心が大きく動いたことである。ポプラ材の上に置かれた油彩の層は、地質学的に正確な岩の構造と植物の生態という自然観察を、無原罪の御宿りという神学的主題のための舞台装置として機能させている。
ミラノの三つの肖像 ── ねじれる身体
ミラノ時代のレオナルドは、宮廷の求めに応じて肖像画を描いた。現存する三点は、それぞれ別の課題に取り組んでいる。
『白貂を抱く貴婦人』(1489–91年頃、54.8×40.3cm、クラクフのチャルトリスキ美術館蔵)は、そのなかで最も動的である。モデルはルドヴィーコ・スフォルツァの愛人チェチーリア・ガッレラーニとされる。身体は鑑賞者の左を向き、頭部は右へ回り、視線はさらに枠外へ向かう。多くの肖像がまだ硬い横顔で描かれていた時代に、この三段のねじれは異例だった。結果として画面には緩やかなS字の動きが生まれ、白貂の身体がその動きを反復する。白貂は象徴で、モデル自身の純潔を指すとも、白貂騎士団に属していたルドヴィーコを指すとも解される。背景の暗色は後世の加筆で、レオナルド本来の色ではない。


『音楽家の肖像』(アンブロジアーナ絵画館蔵)は逆に、三点のなかで最も静的である。顔も視線も身体も同じ方向を向いており、動きがない。この静止のために、複数の研究者がレオナルドの単独制作を疑い、工房の関与を想定している。手に持つ楽譜らしき紙片が、この人物を音楽家と同定する根拠になっている。
『ラ・ベル・フェロニエール』(1490–1496年頃、62×44cm、ルーヴル美術館蔵)は、身体と頭部を鑑賞者の左へ向けつつ、眼だけを右へ動かす。『モナ・リザ』に最も近い構えである。手前には石の欄干が置かれ、モデルと鑑賞者のあいだに物理的な隔たりが挿入されている。題名は17世紀に付けられたもので、鉄物商(ferronnier)の妻あるいは娘という意味だが、モデルの同定は定まっていない。ルドヴィーコの愛人ルクレツィア・クリヴェッリとする説がある。なお、この題名はかつて『白貂を抱く貴婦人』にも用いられており、二作の呼称は歴史的に混同されてきた。
『最後の晩餐』 ── 技法の賭けと、その代償
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたこの壁画は、レオナルドの幾何学的遠近法と解剖学的な感情表現の集大成である。同時に、彼の実験が失敗した最も有名な例でもある。
主題は、キリストが「あなたがたのうちの一人が私を裏切る」と告げた直後の一瞬に固定されている。12人の使徒は3人ずつ4群に分けられ、告発の言葉が波のように左右へ伝播していく過程が、身振りの連鎖として描かれる。消失点はキリストの頭部に置かれ、実際の食堂の空間と絵のなかの空間が連続して見えるように設計されている。
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問題は技法だった。壁画の標準的な技法であるフレスコは、漆喰が乾く前に水溶性の顔料で素早く描く。修正がきかず、遅筆で何度も塗り重ねるレオナルドの制作スタイルとは根本的に相性が悪い。そこで彼は、ジェッソ(地塗り)、ピッチ(樹脂)、マスチックを塗布した乾いた壁の上に、油彩とテンペラを混合して描くという方法を選んだ。
この選択によって細部の描写は自由になった。しかし、湿度の高い食堂の環境に対して、この層構造はまったく耐えられなかった。完成の数年後には絵具の剥落が始まり、100年後にはある鑑賞者が「完全に廃墟である」と記すまでに劣化した。カビと剥離が進行し、以後500年にわたって修復の対象であり続けている。
高さ約460センチ、幅約880センチというこの巨大な画面は、したがって二つのことを同時に示している。一つは、時間をかけて構図と心理を作り込むという方法が到達した高みであり、もう一つは、油彩と壁面の接着性という未知の化学に対する過信が招いた工学的な失敗である。レオナルドの科学的探究は、常に成功したわけではない。
『アンギアーリの戦い』 ── 失われた壁画を模写から読む
1504年、レオナルドはフィレンツェ共和国の政庁パラッツォ・ヴェッキオ、五百人広間の壁画を委嘱された。契約書に署名したのはニッコロ・マキャヴェッリである。向かい合う壁にはミケランジェロが『カッシーナの戦い』を担当することになっていた。二人の作品はどちらも失われ、今日では準備素描と模写を通じてしか知られていない。
レオナルドが選んだのは、1440年のアンギアーリの戦いのうち、4人の男が軍旗をめぐって荒れ狂う軍馬の上で争う場面である。人間と馬の身体が一つの塊にもつれ合い、口を開いた馬の頭部と人間の顔が同じ表情の系列に置かれる。感情の表現を解剖学から出発して構築するという彼の方法が、最も暴力的な形で現れた構想だった。

しかしこの壁画も残らなかった。初期の伝記作者によれば、レオナルドはクルミ油を用いた別種のフレスコ技法を試みたが顔料が不安定で、制作を放棄したという。未完のまま現地にしばらく残され、多くの訪問者や画家が賞賛したが、最終的には失われ、1563年から65年のヴァザーリのフレスコに置き換えられた。2020年には、レオナルドの想定したジェッソと油の層では絵具が壁に定着しえないため、そもそも制作は着手されていなかったとする研究も提出されている。
現在この構図が知られている主な経路は二つある。一つは16世紀の素描で、のちにルーベンスが入手して縁を描き足したもの。ルーヴルにあり、『軍旗をめぐる戦い』と呼ばれる。もう一つは「タヴォラ・ドーリア」と呼ばれる板絵で、中央部を写した16世紀トスカーナの画家による模写と考えられている。ヴェネツィアのアカデミア美術館には、レオナルド自身の準備素描も複数残る。そこでは短剣や小型の刃物は使われず、きわめて長い槍だけが用いられており、その直線が構図と背景を分割する装置として機能している。
『モナ・リザ』の科学 ── ニスを数学で剥がす
いま『モナ・リザ』を見ると、画面全体が黄褐色に沈んで見える。これは絵具の色ではない。数世紀分の経年劣化とニスの黄変によって生じた、いわば琥珀色のフィルターである。
この層を物理的に触れずに取り除くために、リュミエール・テクノロジー社のパスカル・コットは、欧州CRISATELプロジェクトで開発された超高解像度マルチスペクトルカメラを用い、2004年10月にルーヴル美術館で撮影を行った。システムは12,000ピクセルのCCDセンサーアレイを備え、可視光域(380〜780nm)を40nm帯域の干渉フィルター13枚で、近赤外域(最大1000nm)を100nm帯域のフィルター3枚でカバーする。1ピクセルあたり13の数値を取得し、それを補間して分光反射率曲線を生成する。
| 分析手法 | 実施者・年 | 対象 | 判明したこと |
|---|---|---|---|
| 蛍光X線分析(XRF) | フィリップ・ウォルターほか(LC2RMF/ESRF/ルーヴル)、2010年発表 | 『モナ・リザ』を含む7作品・9か所の顔の陰影 | グレーズ1層は1〜2μm、総厚は30〜40μmを超えない |
| 13バンド・マルチスペクトル撮影 | パスカル・コット(Lumiere Technology/CRISATEL)、2004年撮影 | 画面全体 | 劣化ニスの分光成分を除去し、本来の青空と肌色を復元 |
| 光学放射伝達方程式による解析 | M. エリアス、P. コット、2008年発表 | 1億以上の反射スペクトル | 上層に特有のアンバー顔料。レイリー散乱の関与 |
| 近赤外イメージング | 同上 | 額・手・膝の部分 | スポルヴェロの痕跡、指の配置変更、毛皮状の痕跡 |
| 寸法の再算出 | 同上 | 板の縁 | 本来の幅は約55.5cm(現在より約2.3cm大きい) |
| 鉛白顔料のマイクロ化学分析 | ゴンザレスほか、2020年発表(Scientific Reports) | 鉛白(セルサイト/ハイドロセルサイト) | 粒径と組成を意図的に調整し、散乱特性を制御していた |
注目すべきは、この撮影が作品にほとんど負担をかけていない点である。金属放電ランプとUV安定化装置を用いた専用の同期照明により、露光量は0.020メガルクス時に抑えられた。これは美術館の通常展示(180ルクスで1日9時間)における約10日分の光量にすぎない。
1億を超える反射スペクトルを解析し、人工的に劣化させたニスの試験片(磁気撹拌子で150度に加熱して酸化させ、365nmの紫外線に48時間曝露したもの)と照合することで、各ピクセルから劣化ニスの分光成分だけを数学的に差し引く「仮想洗浄」が行われた。
その結果現れた画面は、従来の暗く憂鬱な色調とは別物だった。透き通るような青空と、血色のよい肌。光学放射伝達方程式による解析からは、上層に特有のアンバー(褐色)顔料が使われ、これが彩度の最大化に寄与していることも明らかになった。この復元は解釈にも影響する。あの曖昧な微笑は、憂愁や神秘主義の表現というより、レオナルドが極限のリアリズムで追った「生命の躍動」の結果ではないか、という読み方が科学的データによって支持されるようになった。
近赤外のデータは、さらに深い層の事実も暴いた。額と手の部分に「スポルヴェロ」と呼ばれる下絵転写の痕跡、すなわち微細な炭の点線の連なりが確認されたのである。長らくレオナルドは板に直接描き起こしたと考えられてきたが、この発見は、彼が原寸大の下絵(カルトン)を用意して転写するという計画的な手順を踏んでいたことを示す。加えて、現在とは異なる指の配置や、膝の上に毛皮の外套らしきものを置いていた痕跡も検出され、制作過程で構図が何度も修正されていたことがわかった。板の本来の幅は現在より約2.3センチ大きい55.5センチだったとも算出されている。
スフマートの物質的解明 ── 髪の毛半分の厚みのなかで
「スフマート」はイタリア語の fumo(煙)に由来する語で、色の移り変わりが認識できないほどわずかな混合を行い、輪郭線をぼかすことで深みと立体を作る技法を指す。定義としてはこれで足りるが、では実際に絵具の層はどうなっているのか。この問いは長らく答えを持たなかった。作品の希少性ゆえに、顔料を物理的に削り取る断面分析が事実上不可能だったからである。
この壁を越えたのが、フランス国立美術館修復研究センター(LC2RMF)のフィリップ・ウォルター率いる研究チームによる、欧州シンクロトロン放射光施設(ESRF)およびルーヴル美術館との共同研究である。蛍光X線分析は、X線を当てて返ってくる二次X線のエネルギー準位を測ることで、絵具の元素組成と層の厚さを非破壊で特定する。対象となったのは『モナ・リザ』を含む7作品の顔の陰影9か所。約40年のキャリア全体にまたがるサンプルである。
| 項目 | 数値 | 比較の目安 |
|---|---|---|
| グレーズ1層の厚さ | 1〜2マイクロメートル | 赤血球の直径(約7〜8μm)の4分の1以下 |
| 陰影部分の総厚 | 30〜40マイクロメートル以下 | 人間の髪の毛の直径(約80μm)の半分以下 |
| 重ねられた層の数 | 数十層 | 1層ずつ乾燥を待てば、1か所に数か月を要する |
| 分析対象 | 7作品・9か所の顔の陰影 | 約40年のキャリア全体をカバー |
| 鉛白の結晶サイズ | サブミクロン | 酢酸洗浄などの後処理で微細化 |
判明した数値は具体的だった。彼が重ねていた半透明のグレーズは、1層あたりわずか1〜2マイクロメートル。それを何十層も積み上げ、しかも全体の厚さは30〜40マイクロメートルを超えない。人間の髪の毛の直径がおよそ80マイクロメートルであることを思えば、顔の陰影のすべてが髪一本の半分ほどの厚みのなかに収まっていることになる。
このミクロン単位の層を流れずに定着させるために、彼は結合材にも手を入れていた。近年の化学分析は、乾燥油とマスチック樹脂と添加物を混合した媒材の使用を示唆している。鉛とカルボン酸部分のあいだに配位錯体が形成され、それが自己組織化して層状構造をなすことで、ゲル状の挙動が生まれる。垂れずに極薄で留まる絵具は、この化学によって成立していた。
さらに鉛白顔料のマイクロ化学分析からは、彼が光の物理を経験的に把握していたことが読み取れる。彼の鉛白はサブミクロンサイズの結晶で構成され、酢酸で洗浄するなどの後処理によって粒径が微細化され、より白い反射が得られるよう調整されていた。加えて、粒径の揃わない鉱物粒子を透明な媒材に分散させることで、青色顔料を使わずにレイリー散乱を起こし、構造色としての青みと深い透明感を画面に生じさせる手法も応用されている。
つまりスフマートとは、筆さばきの妙ではない。顔料の粒径、媒材の粘度と乾燥特性、そして光の散乱を同時に制御する物質工学だった。
晩年の三点と素描 ── 完成されなかったものたち
レオナルドの最後の20年に属する作品は、いずれも制作年に幅がある。手元に置かれたまま加筆され続けたためである。
『聖アンナと聖母子と幼い洗礼者ヨハネ』のカルトン(1499–1508年頃、160×100cm、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)は、着色された紙に黒チョークで描かれた大型の下絵である。1500年にフィレンツェのサンティッシマ・アンヌンツィアータ修道院で公開されたとき、ヴァザーリの記述によれば、男も女も、若者も老人も、荘厳な祭に行くかのように群れをなして見にきたという。完成品ではなく下絵に人が押し寄せた記録として、美術史上でも異例である。この下絵から油彩が起こされた形跡はなく、最も近いのはルーヴルの『聖アンナと聖母子』だが、構成は異なる。



『聖アンナと聖母子』(1501–1519年頃、ルーヴル美術館蔵)は、斜めに置かれた人物像を二重に重ねるという難題に取り組んでいる。聖母は母である聖アンナの膝に座り、身を乗り出して、子羊と乱暴に戯れる幼子キリストを引き止めようとする。子羊は来たるべき自己犠牲の徴である。三世代と一頭の動物を、安定していながら動きのある構造に収めるという課題に対する解答であり、この構図はミケランジェロ、ラファエロ、アンドレア・デル・サルトへ、さらにポントルモやコレッジョへと影響を広げた。
『洗礼者ヨハネ』(1508–1516年頃、ルーヴル美術館蔵)は、彼の最後の絵画とされることが多い。暗闇のなかから人物が浮かび上がり、右手の指が上方を指す。背景はほぼ完全な闇で、空間の手がかりが与えられない。スフマートが極限まで押し進められた結果、身体の輪郭そのものが闇に溶けている。この作品に見られる中性的な身体表現は、19世紀以降しばしば彼の性のあり方と結びつけて論じられてきたが、美術史家マーティン・ケンプは、それを主要な説明原理とすることには慎重な立場をとっている。
そして忘れてはならないのが素描である。レオナルドは日々ノートに小さなスケッチと詳細な図を書き続けた。『ウィトルウィウス的人体図』のような有名なものから、衣文の研究、感情の表れる顔の研究、動物、赤ん坊、植物、岩の層、渦、そして解剖図まで。240点を超える解剖図と約13,000語の草稿は、公刊されていれば医学史を変えていたと評価されている。完成した絵の少なさは、この膨大な紙束と表裏の関係にある。
LIST / 一覧主要作品一覧
本記事で扱った主要作品を制作年順に整理した。制作年には研究者によって幅があるため、通説的な範囲を示している。寸法はセンチメートル。
| 作品名 | 制作年 | 形式・技法 | 特徴 | 所蔵先 |
|---|---|---|---|---|
| キリストの洗礼 | 1472–1475年頃 | 板に油彩・テンペラ、177×151 | ヴェロッキオとの共作。左端の天使ほかがレオナルドの油彩 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ) |
| 受胎告知 | 1473–1475年頃 | 板に油彩、98×217 | 縦横比ほぼ1対2の横長。空気遠近法の萌芽 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ) |
| ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像 | 1474–1478年頃 | 板に油彩、38.1×37 | 4分の3正面観と屋外背景。画面に画家の指紋が残る | ワシントン・ナショナル・ギャラリー |
| ブノワの聖母 | 1478–1480年頃 | カンヴァスに油彩、49.5×33 | 独立後の最初期作とされる。視線と遠近が主題 | エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク) |
| カーネーションの聖母 | 1472–1480年頃 | 板に油彩、62×47.5 | 顔だけに光を集める明暗設計。窓外に空気遠近法 | アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン) |
| 東方三博士の礼拝 | 1481–1482年頃 | 板に木炭・インク・水彩・油彩、約246×243 | 未完。降誕・廃墟・戦闘が同時進行 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ) |
| 荒野の聖ヒエロニムス | 1480–1482年頃 | 板にテンペラ・油彩、103×75 | 未完。骨格構造が下描きの段階で露出 | ヴァチカン美術館 |
| 岩窟の聖母(ルーヴル版) | 1483–1486年頃 | 板に油彩(カンヴァスへ移設)、199×122 | 天使が鑑賞者を見て、洗礼者ヨハネを指し示す | ルーヴル美術館(パリ) |
| 音楽家の肖像 | 1485年頃 | 板に油彩 | 三肖像中で最も静的。工房の関与が想定される | アンブロジアーナ絵画館(ミラノ) |
| 白貂を抱く貴婦人 | 1489–1491年頃 | クルミ材の板に油彩、54.8×40.3 | 身体・頭部・視線の三段のねじれ。白貂が動きを反復 | チャルトリスキ美術館(クラクフ) |
| ウィトルウィウス的人体図 | 1490年頃 | 紙にペン・インク | 人体比例の研究。上下に鏡文字の注記 | アカデミア美術館(ヴェネツィア) |
| ラ・ベル・フェロニエール | 1490–1496年頃 | 板に油彩、62×44 | 手前に石の欄干。『モナ・リザ』に最も近い構え | ルーヴル美術館(パリ) |
| 最後の晩餐 | 1495–1498年頃 | 乾いた壁にテンペラ・油彩、約460×880 | 消失点はキリストの頭部。技法上の実験が早期劣化を招く | サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ(ミラノ) |
| 岩窟の聖母(ロンドン版) | 1491–1508年頃 | ポプラ材の板に油彩、約189.5×120 | 天使の指差しが省かれ、ローブが青に変更 | ナショナル・ギャラリー(ロンドン) |
| 聖アンナと聖母子と幼い洗礼者ヨハネ(カルトン) | 1499–1508年頃 | 着色紙に黒チョーク、160×100 | 下絵の段階で群衆が押し寄せた記録が残る | ナショナル・ギャラリー(ロンドン) |
| イーモラの都市図 | 1502年 | 紙にペン・インク・水彩 | 真上からの視点。地上の実測のみで作図 | 王立図書館(ウィンザー城) |
| アンギアーリの戦い | 1504–1505年 | 壁面(技法は実験的) | 失われた。ルーベンスの模写と準備素描で知られる | 消失(模写はルーヴルほか) |
| モナ・リザ | 1503–1516年頃 | ポプラ材の板に油彩、77×53 | 仮想洗浄で本来の色彩を復元。スポルヴェロの痕跡 | ルーヴル美術館(パリ) |
| 聖アンナと聖母子 | 1501–1519年頃 | 板に油彩 | 斜めに置かれた人物像の二重の重ね合わせ | ルーヴル美術館(パリ) |
| 洗礼者ヨハネ | 1508–1516年頃 | クルミ材の板に油彩 | 最後の絵画とされる。背景はほぼ完全な闇 | ルーヴル美術館(パリ) |
| 子宮内の胎児の研究 | 1511年頃 | 紙に黒チョーク・サンギーヌ・ペン・インク | 子宮を単室として正しく描いた最初期の図 | 王立図書館(ウィンザー城) |
REFERENCES / 出典参考文献
本記事の技法・分析に関する記述は、主に以下の一次的な研究論文と所蔵館の技術報告に基づいています。
作品研究・技法研究
- L. de Viguerie, P. Walter, V. Solé ほか「Revealing the sfumato Technique of Leonardo da Vinci by X-Ray Fluorescence Spectroscopy」『Angewandte Chemie』2010年
- 同論文(PubMed)
- P. Cotte, D. Dupraz「Spectral imaging of Leonardo Da Vinci’s Mona Lisa: A true color smile without the influence of aged varnish」『Archiving Conference』2006年
- M. Elias, P. Cotte「Multispectral camera and radiative transfer equation used to depict Leonardo’s sfumato in Mona Lisa」『Applied Optics』2008年
- Gonzalez ほか「Microchemical analysis of Leonardo da Vinci’s lead white paints reveals knowledge and control over pigment scattering properties」『Scientific Reports』2020年
- L. Keith, A. Roy ほか「Leonardo da Vinci’s ‘Virgin of the Rocks’: Treatment, Technique and Display」『National Gallery Technical Bulletin』Vol.32、2011年
- 「Chemical Analysis and Painted Colours: the Mystery of Leonardo’s Sfumato」『European Review』
- 「Paint handling in Leonardo’s Mona Lisa: guides to a reconstruction」『CeROArt』
- ScienceDaily「New light on Leonardo Da Vinci’s faces」2010年
一次資料・作品資料
- レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上・下』杉浦明平訳、岩波文庫
- Wikipedia (English)「List of works by Leonardo da Vinci」
- Wikipedia (English)「Virgin of the Rocks」
- Wikipedia (English)「The Baptism of Christ (Verrocchio and Leonardo)」
- Wikipedia (English)「Adoration of the Magi (Leonardo)」
- Wikipedia (English)「Benois Madonna」
- Wikipedia (English)「Madonna of the Carnation」
- Wikipedia (English)「Lady with an Ermine」
- Wikipedia (English)「La Belle Ferronnière」
- Wikipedia (English)「The Battle of Anghiari (Leonardo)」
- Wikipedia (English)「Tavola Doria」
所蔵館・公的機関の資料
- Musée du Louvre「La Joconde(モナ・リザ)」
- National Gallery of Art, Washington「Ginevra de’ Benci [obverse]」
- National Gallery of Art, Washington「10 Surprising Facts About Leonardo da Vinci’s “Ginevra de’ Benci”」
- The National Gallery, London「Leonardo da Vinci | The Virgin of the Rocks」
- The National Gallery, London「Restored Leonardo masterpiece goes back on display」
- Museo del Cenacolo Vinciano「The Last Supper, Leonardo da Vinci」
- European Synchrotron Radiation Facility (ESRF)/EPN-Campus「New light on Leonardo Da Vinci’s faces」
デジタルアーカイブ
- Wikimedia Commons「Leonardo da Vinci(作品ギャラリー)」
- Wikimedia Commons「Category:Virgin of the Rocks – Leonardo da Vinci – National Gallery, London」
- Wikimedia Commons「Category:Baptism of Christ by Andrea del Verrocchio」
- Lumiere Technology「Mona Lisa」
- Museo Galileo「leonardo//thek@」


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